荒ぶる『水神』への生け贄
今よりも数日前のこと――とある小さな村に褐色肌が特徴的な若い娘が近くの川の辺りに立っていた。
「……水神様、私はこの身を捧げに参りました。おいでください」
彼女は白装束に似た服装を着用し、その側には粗末な食べ物が供えられてあり、彼女は神として崇めている存在に我が身を捧げようと目の前に来るのを今か今かと覚悟して待っていた。
「考え直してくれ…何もお前が犠牲にならなくとも…」
そんな褐色肌の娘が生け贄になるのを引き止めようとしているのは村長らしき老人で、その背後では同じく彼女を引き止めようとして悲しげな顔をする村人達が全員で見守っていた。
「ですが長老、孤児であった私を拾ってなけなしの食糧を分けて育ててくれた恩をようやく返せる時が来たのですよ」
少女は振り返りながら他にどうしようもないと言う疲れた微笑みをしながら恩義を口にしたために、村人達は涙が出そうになりぐっと堪えるのだった。
「皆にはお腹いっぱい食べて貰いたいから…」
「だが、しかしそれは……っ!?」
「「「うおおおおっ!」」」
何とか引き止めようと説得を続ける長老だったが武装した人間達が茂みを掻き分けて村へと襲い掛かって来る。
▷▷▷
「姫様!姫様ー!」
それから月日が経った現在、キオナを探し続けていたリオーネはメイとアレッサの案内で日誌があった洞窟に到着していた。
「いないぞ…おい、アレッサ!姫様は本当にこの辺にいるのか!」
しかし洞窟は既にもぬけの殻になっており、案内したアレッサを問い詰める。
「ここにいたってのは間違いないわ。何人か寝そべっていた形跡があるわ」
「もう姫様達はどっかに移動したのか」
地面は人型に窪んでおり人が寝ていた形跡は残されていたが、ドランの言葉にアレッサはキオナ達が自らの足で移動した形跡は残されていないと首を横に振って表した。
「見てよこの大きな足跡。こいつが姫様達を何処かに連れ去ったのよ」
「しかも何だこれは?人のようにも見えるが大きさを熊をも上回るな」
寝そべった跡の近くには大きな人間に似た足跡が残されていたて、この足跡の持ち主がキオナ達に手を出したのではと考えられた。
「姫様…」
「…足跡を辿ればきっと見つかるはずだわ」
心配が募って辛そうにするリオーネを励ますようにアレッサは足跡があることは何も悪いことではないと前向きなことを話すも、彼女も行方不明になったエイン達がどうなったか心配で気が気でなかった。
「姫様ー!姫様ー!」
今度は巨大な足跡を辿ってキオナ達を探すことにするが、足跡は見つかれど肝心のキオナ達の姿は一向に見えずリオーネの探す声が虚しく響き渡るだけだった。
「水の音がするな…近くに川があるようだな。少し休んだ方が良い」
「しかし姫様は…」
ほぼ夜通しで探していたが、水の流れる音が聞こえてきて水分補給も兼ねて一休みを提案するシスカだがリオーネは尚も探そうとしていた。
「ひょっとすると姫様達も同じように水辺で休んでいるかもしれません」
「…そう、だな。そうだな、行こう」
リオーネが夜通しでありながらキオナを捜索出来たのは忠誠心だけで心を支えていたからだが、さすがに限界だったらしくメリアスの無茶な解釈でも休めることにホッとしたのかシスカの提案に了承するのだった。
「見えたぞ、随分と大きな川だな」
「やれやれ、喉が渇いたぞ」
木を掻き分けて進むとナイル川のような広い川が目に入り、リュカとマーキーは喉の渇きを癒そうと走り出す。
「おわっ!?」
ところが走り出したリュカは川に辿り着く前に何かに躓いて転んでしまう。
「なん…おおっ!?」
「どうした、リュカ……なっ、こいつは…!?」
何に躓いたのか確認しようとするが、その正体にリュカとマーキーは凍りつく。
「し…死んでる」
「誰なんだこいつは…」
なんと足元には刃物か何かで身体をズタズタにされた男性の死体が転がっていたのだ。
「お前ら…まさか人を殺めたのか?」
「違う!最初から死んでたんだ!」
追いついたリオーネ達も酷い裂傷を受け顔が青白くなった人間を見てすぐに死体だと判断出来たが、リュカとマーキーが殺ったのかと疑いの視線を向けてしまう。
「死亡推定時刻は数日前…死因は何か大きな爪で背中を引っ掻かれたことによる失血死のようですね」
「と言うことはこいつはモンスターに襲われたのか」
ラスコが検死したお陰で疑いの目はなくなると同時に、傷の具合からしてやはりモンスターに襲われたことが判明する。
「きゃああああ!?」
「テテーナ!どうした!?」
全員の注目が死体に集まっているとテテーナの悲鳴が聞こえ、まさか犯人であるモンスターに遭遇したのではと全員が急ぎ足で駆けつける。
「あわわわ…!?」
「無事か…むっ!?」
駆けつけるとテテーナはその場にへたり込んで震えており、メリアスはケガがないか訊ねようとするも彼女が何を見たのか気が付いて凍りつく。
「これは…酷いな」
「皆…死んでやがる…!?」
目の前には木造家屋が点在する小さな漁村が広がっていたが、その広場には老若男女問わず村人らしき人間が大勢死んでいたのだ。
「全部ではありませんが先程の死体と同じ外傷があり、死んでからの経過時間も同じです。犯人は同一人物と見て良いでしょう」
再びラスコが調べてみると先程の死体と同じ外傷があり、村人の何人かはリュカとマーキーが見つけた人物と同じ末路を辿ったようだ。
「村一つを滅ぼすなんて…相手はよほどの大飯食らいだな」
「それにしては死体が綺麗に残り過ぎているがな」
これがモンスターの仕業だとするのならおかしな点が存在する。と言うのも元の世界でもこの異世界でもモンスターの多くは捕食するために人間を襲うのだが、見つけた遺体はそのほとんどが綺麗な状態で残されていたことだ。
「食うことが目的じゃないらしい。それに何もモンスターだけの仕業と考えるのは浅はからしいな」
そう言うとシスカは一人の女性の遺体の手首に手枷が嵌められ、更には身体に暴行されて焼き印まで押されているのを見せてきた。先程ラスコが村人の死因は全て同じではないと告げていた証拠だ。
手枷を好きで嵌める人間はそうはいない。しかもその女性は何者かに暴行された上に一生残る傷まで付けられていたことからあることが予測出来た。
「まさかその者は奴隷か?こんな村でか?」
暴行の痕に手枷はもちろんだが、何よりも奴隷の証である焼き印には見覚えがあるためリオーネはその女性が奴隷であったとすぐに理解出来たが、こんな小さな漁村に奴隷がいるなんてあまりピンと来ない話だ。
「他の遺体には矢傷や刀傷など人間の武器による外傷もありました。大方この村は別の国の侵略者に襲われたのでしょう」
「あっという間に何処ぞの兵士に制圧されて奴隷にされかけたと言うところだろうな。こいつだけでなく、他の遺体にも殴られた痣や奴隷の焼き印があるぞ」
ある程度の検死を終えたラスコからの発言でこの村を滅ぼした原因はモンスターだけでなく人間も関与していることが裏付けられ、更に証拠として遺体の中には漁村の装備とは思えない立派な鎧や身なりをした人間の兵士も混じっていた。
「奴隷にされかけた?まるでそうなる前に殺されたような口振りだな。まあ、既にそうはなっているが」
例え身分階級が底辺で人間として扱わない奴隷だとしても、生かしておかなければ価値どころか死体が邪魔になってデメリットが残ってしまうだけだ。例外として主人の気まぐれか過失で殺すか、或いは奴隷本人が自害して命を落とすかだ。
シスカの発言はまるで奴隷にされそうになったところで殺された…つまり奴隷にしようとしたのに何かしらの都合でそれを取り止めて殺したことになり、強盗が人質を取ろうとするも何かあって人質を取るのを止めて殺すと言う異例の事態にも思えた。
「これを見ろ、今までのより随分とデカいドラゴンの足跡だ」
シスカの見ている地面には三本指の巨大な足跡、しかもティラノサウルスよりも少し大きな足跡がめり込んで残されていたのだ。
「こいつらはこの村を制圧して奴隷はせしめたは良いものの、この足跡のドラゴンに襲われて慌てて引き払ったのだろう」
そこからは何があったかはすぐに分かった。野営の跡地もあることから征服者達はいとも容易く漁村を支配したようだが、ドラゴンの襲撃に対処出来ずにそのまま襲われて逃げ去ったと推測出来た。
「きゃあ!?」
「動くな!誰だてめぇらは!?」
再びテテーナの悲鳴が聞こえたと思ったら遺体の中に混じっている兵士と同じ装備をした男三人が彼女を人質に取って威嚇してくる。
「生き残りがいたのか」
「お前ら…何処の国の者だ!言わなきゃこのガキを殺すぞ!?」
何を見たかは分からないがよほど恐ろしい目にあったのか男達は興奮しながらナイフをテテーナやシスカ達に交互に向け、人質を取っているのにも関わらず恐怖に染まった目で見ていた。
「ワシらは人を探しておってここまで来ただけじゃ。お主らには危害は加えん」
「嘘だ!」
三人の中でモジャモジャのヒゲを生やした男がソルラスの言葉に耳を貸さずに威嚇を続けてくる。
「こいつら…姫様が行方不明だと言うのに余計な手間を」
単に一休みしようとしただけなのに暴漢騒ぎが起きたことにリオーネは苛立っていた。
「姫様?お前、ブルドナ姫様の側近か?」
「はあ?誰のことだ」
三人の中で一番華奢な男がリオーネの言葉に反応して側近かと質問するも、忠誠を誓っている相手の名前が違うためリオーネも質問を質問で聞き返す。
「私はキプロニアス王国の軍候補生のロナ・ハウリットです。あなた達のしていることは違法行為ですが、良ければ事情をお聞かせください。そうすれば酌量の余地があるかもしれませんよ?」
しかしそのお陰である程度の受け答えが出来ると判断したロナは自身が法を遵守する国の出身で、なおかつ彼らが不利にならないような言い回しで話し掛ける。
「キプロニアス王国…?おい、まさか計画がバレたのか?」
「どう言うことですか」
小太りな男がキプロニアス王国と聞いて何か聞き捨てならない台詞を放っており、ロナは詳しく聞こうとするが話し合いは続かなかった。
『グオアアアアアアアァァァ!!』
「ひっ…!?何今の…!?」
「まさかタイラントドラゴンか…!?」
森全体に響き渡る大きな咆哮にテテーナでなくとも全員が怯え、リオーネはグランドレイク王国を地獄に変えたティラノサウルスが来たのかと警告する。
「いや…タイラントドラゴンにしては大き過ぎます」
しかしメリアスにはその鳴き声はティラノサウルスの物とは異なるように聞こえた。
「テテーナを離しなさい!」
「あ、おい!この獣女が!?」
一瞬の隙をついてアレッサはテテーナを解放しようと彼女を掴んでいる華奢な男に飛びかかる。
「バカ!そんな奴は放って置け!奴が来るぞ!」
「奴…何か知っているのか」
やはり口振りからこの村の人々と彼らの仲間の兵士を壊滅させたモンスターのことを知っているらしく問いただそうとする。
「ブラッディダイルの化け物だ!そいつが俺達の仲間を…うわああああ!?」
小太りな男が詳細を述べるがその必要はすぐになくなった。何故ならばその途端に仲間の後を追うように森から飛び出したワニのような長い口の餌食になったからだ。
「何よ!何なのよこいつは!?」
「何だこのデカさは!?」
その長い口に見合ったモンスターの巨体を間近で見たアレッサはもちろん、離れていたリオーネ達もその巨大さに圧倒されてしまう。
『グアアアア!!』
「逃げろ!」
男達に言われるまでもなくドラゴンの唸り声に一目散に全員が逃げ出すのだった。
「お…追いつかれる…!?」
「ひいっ…ひいっ…!?」
「早くして!食べられるわよ!」
散り散りに逃げるが元魔法使いであるキャロラインと子供であるテテーナは体力的に乏しく遅れがちになり、このままだとテテーナの手を引いているアレッサも合わせてずれドラゴンの餌食になってしまうだろう。
「キャロライン!お前ら!こっちだ!」
「この井戸に飛び込め!」
ドランとマルスが村の井戸の側にいて、こっちへ来るようにジェスチャーをした後に三人が来ることを確認してから井戸の中へと飛び込み着水した。
「待って!俺も!?」
「きゃあっ!?ちょっと!?」
最後にキャロラインが井戸に飛び込んだのだが、合わせて華奢な男も飛び込んで着水すると同時に浮力を得る頼りに彼女に抱き着いたのだ。
「何にしてもここまで来れば…」
『グアアアアァァァ!』
「って、嘘だろ!?入って来やがった!?」
一安心かと思いきワニのような長い口先が井戸の中に突っ込まれ、ガチガチと口を開閉しながら侵入してきたのだ。
「ぐぎゃあああ!?いてええぇぇ!?」
ガチガチと開閉する長い口先は最後に入って来た華奢な男の足に喰らいついて離さなかった。
『グルルル…!』
「あああああぁぁぁぁ!?」
「ひゃあ!?痛い痛い!?」
鳥が木の中の虫をほじり出すようにドラゴンもまた井戸の中から咥えた男を引きずり出そうと顎を持ち上げるために男は苦痛に耐えながらも助かろうと近くにいたキャロラインの腕に掴まる。
「ちょっと何してんのよ!?」
「頼む!?助けてくれぇ!?」
このままだと芋づる式にキャロラインが引きずり出されてしまうために、アレッサ達は慌ててキャロラインの足を掴む。
「くそ!?なんて力だ!?俺達まで引きずり出されそうだ!?」
三人掛かりで引っ張っているのに全員引きずり出されそうになってしまう。
「痛い痛い!?」
「ぐぐっ…!?」
それよりも引っ張られている男とキャロラインが限界で、このままだと比喩ではなく本当に身体がちぎれそうになっていた。そしてやはりそれは長く続かなかった。
『グオオオオ…!』
「うわあああ!?助け」
苦痛に耐え切れなくなった男はキャロラインを離してしまい、そのまま井戸の外へと引きずり出されてしまう。
『グルルル…!』
「「「…!」」」
そしてドラゴンの長く発達した三本指の前脚で身体を抑えられて、そのまま長い口の中にある鋭い牙によってバリバリと全身の骨と肉が噛み砕かれて血の雨を降らせ井戸にいるキャロライン達を戦慄させた。
『グウオアアアアアアアアァァァァァァ!!』
このドラゴンは肉食恐竜の中でも最大の体格、それもティラノサウルスを上回る巨体を誇り、特徴的であるワニのような長い口先から放たれる凄まじい咆哮に漁村全体がビリビリと震える。
確かに以前に出会ったブラッディダイルもどき…バリオニクスにも似たような外見をしているが、身体は遥かに大きく背中には半円状の帆のような物が見受けられたため明らかに別種であった。
このドラゴンは確かにバリオニクスと同じワニ顔恐竜ではあるが、その中でも最大種であると同時に代表格である恐竜『スピノサウルス』だった。
「俺の仲間をまた食いやがったな…!?」
「前にもブラッディダイルもどきと出会ったが、あんなに大きくなかった上に背びれなんてなかったぞ。何か知っているなら教えて貰うぞ」
やはり何か知っているだろうとシスカは廃屋に隠れていた生き残りのモジャヒゲの男から話を聞こうとする。
「…よくは知らんが、あれはこの村の中州の小島を根城にしていて、奴らがそこに住まうことで他のモンスターが近寄らないらしく、そのために村の連中から守り神のように崇められてんだとよ」
言われてみると漁村の中州には小さな小島が見え、岸辺にはスピノサウルスの足跡らしき物が見受けられ、そのお陰でこの小さな漁村は他のモンスターの脅威から守られていたのだと言う。
「けど、最近は荒ぶっていたらしく俺達がこの村を制圧した途端に奴らが襲って来やがったんだ」
「ちょっと待て。今奴らと言ったのか?」
聞き違いであって欲しかったが二人称が複数形だったことにシスカは悪い予感がして仕方なかった。そうこうしてる間に小島の方から村に向かって半円状の帆が水面を切るように泳いできて、水飛沫と共に三本指の前脚を岸辺に食い込ませて巨体を上陸させてくる。
『グオオオオアアアァァァ!!』
『グオオオオアアア!!』
「ちっ、奴らも一頭ではなかったか…!?」
なんと川からもう一頭のスピノサウルスが上陸し、互いに吠え合う姿にシスカは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるのだった。




