表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/34

009 霊圏【弐】

 ——事件の発端は三ヶ月前に遡る。



 キンザン不動産の社員、時田誠(ときたまこと)三十三歳が、帰社予定時刻になっても戻ってこなかった。時田は不動産物件の買い上げ担当で、その日は商談に上がっていた郊外の物件の視察に出掛けていた。携帯電話への連絡も不通。三日後、彼の乗っていた営業車がコンビニの駐車場にあるのが発見された。会社と家族は警察に届出たが、足取りは掴めず行方不明。


 そして二ヶ月前。また別の社員が行方不明となる。町田響子(まちだきょうこ)四十三歳。本社ビル一階の店舗での顧客応対担当だった。その日の業務終了後、退社して追善駅に行き、電車に乗ったところまでは監視カメラの映像で確認が取れている。だが下車した形跡が無く、そのまま行方不明となる。


 最後は一週間前。神内一郎(こうのうちいちろう)二十六歳。営業部のエース。主に大型案件を担当していた。その日は郊外の敷地売却の為の商談で、買い取り希望の顧客と一緒に当該敷地を訪れていた。顧客の話によれば「彼と話し、私は一瞬前を向き、そして振り返った時にはもういなかった」と証言している。こちらもそれ以降ずっと行方知れずとなっている。





「そういうのって、普通警察の仕事なんじゃないですか?」

「言ったろ? 警察は調べているが、まだ見つかってないって」


 沙門の質問に、六道は片手でハンドルを動かしながら答える。新市街地から郊外へと続く二車線の道路を、赤い車が走っていく。今時珍しいマニュアル車だった。車の流れに合わせて、六道は器用にギアを変えていく。


 沙門は助手席。ミカゲは後部座席で横たわっている。時々「うー」という呻き声が聞こえる。乗り物酔いしているらしかった。


「社長もオレもああは言ったが、日本の警察は優秀だ。連中が探して見つからないのなら、もうココにはいないか——それか怨霊関連かってことだ」


 ウインカーを出し、赤い車が左折していく。二車線の舗装された道から、車一台分の幅しか無い未舗装の狭い道へ。がくがくと車体が揺れ、後部座席から「やめて……でちゃう……」との情けない声が響いてくる。


「何か、当てでもあるんですか?」

「もちろん。というか、だからオレに話が回ってきたんだよ。今回の仕事は捜索じゃない。ゴリゴリの怨霊退治さ」


 ニヤリと六道が笑い、赤い車は静かに停車した。沙門も緊張しながら車外へと出る。わかっていた。随分前から感じている。怨念の赤い空気の密度が増していくのを。


 そこには、随分とくたびれた廃工場が建っていた。周囲に人家は無い。ぽつんと二棟ほどの建物並んでいる。何年前、いや何十年前なのか。建物の壁や天井には大量の蔦が貼り付いている。窓ガラスは殆どが割れていた。


 そして、その廃工場から巻き上がる猛烈な赤い空気の渦に、沙門は思わず一歩退いた。この圧力、追善駅での一件よりも強い怨念を感じる。以前よりは慣れたのか、吐き気はかろうじて堪えた。


「うわっ、すっごい怨念。こりゃ霊圏出てるねー」


 遅れて車外に出てきたミカゲが、観光名所を眺める様に右手を額に当てる。


「吐き気、大丈夫なの?」

「あ、うん。吐いたらすっきりした」


 にっこりとミカゲが微笑む。いや乗り物酔いの方じゃ無くって、その怨念に当てられて気持ち悪くはならないのかっていう意味だったんだけど……沙門は深く追求しなかった。


「ここの地主は、副都心計画の開発にかこつけてココの用地を売却しようとしたが、残念ながら上手く行かなかった。まあ駅前からも離れているしな。欲かいた挙げ句に、最終的に相当な借金を抱えて死んだそうだ」

「え? それって自業自得じゃないんですか?」

「まあな。キンザン不動産はその後処理を引き受けたが、それもお気に召さなかった様だ。行方不明の三人の共通点は、ココの物件の各担当だったこと」

「丸っきり逆恨みじゃん」


 ミカゲが呆れた顔をする。六道は口元に複雑な表情を浮かべる。


「それでも生まれるのが怨念ってヤツでね。正しいか正しくないかなんてのは、関係ないのさ」


 六道はからんと高下駄を鳴らし、懐から丸い球体を取り出した。野球ボールほどの大きさで、表面は鈍く白めいている。巨大な真珠にも見えた。


「それは?」

擬宝珠(ぎぼし)。まあ見てな」


 六道は擬宝珠と呼んだ球体を手のひらに載せたまま、ゆっくりと廃工場に近づいていく。ぴりっと、空間がひりついた。それに沙門はどこか既視感を感じた。そうだ、自分が幽霊を実体化させる時の、あの感触だ。


 もう一歩、六道が廃工場に近づくと何かが割れる様な感触がした。赤い空気の渦が穏やかになっていく。だが密度は急激に増す。沙門は気がついた。風に靡いていた蔦の葉が動きを止めている。世界のあらゆるものが静止し、温度が無くなった感触。追善駅で六道と出会った時に発生した、あの異様な空間が現出していた。


「憶えておけ。これが霊圏(れいけん)だ」

「れいけん……?」

「現世から切り離された怨霊の住処。まあ限定的な霊界っちゅう感じだな。昔から神隠しっていえば、怨霊に引き摺られて霊圏に迷い込むことで発生するもんだ」

「じゃあ行方不明の三人は、ここにいるってこと?」

「たぶんな」


 ぎぎぎと。錆び付いた鉄製の門を開けて、六道は廃工場の敷地内へと入っていく。恐る恐る沙門とミカゲが続く。廃工場の主な建物は三つ。左右に工場棟が二つ並び、その間をずっと行ったところに給水塔が建っている。

 周囲にはどんよりと怨念が漂っている。空を見上げれば昼間だというのに、まるで真っ赤に染まる夕焼けの様だ。ただ夕焼けほど爽やかではない。ねっとりとした血の色に近い。


「何度入っても、イヤな空気だわ」


 ミカゲが寒そうに腕を組んで二の腕をさすっている。冬場とは思えない薄着のくせに、寒そうにしているのを見るのは沙門は初めてだった。気持ちは分かる。怨念は情緒的に冷たいのだ。


「霊圏、ってやつに何度か入ったことあるんだ?」

「そうねー。これでも幽霊歴長いから」


 聞かれたミカゲがちょっと嬉しそうな顔をする。何が嬉しいんだろ? 沙門にはよく分からない。それよりも六道の方に感心が移る。六道が二人の方に振り返る。


「さて。ここからは二組に分かれて捜し物だ」

「行方不明の人を探すんですね?」

「そうだな。それが第一優先。次に想霊棘だな」


 沙門は追善駅での一件を思い出す。想霊棘は、あの線路上に突き刺さっていた棘のことか。あれを抜いたら霊圏は解消された。


「想霊棘はその霊圏の中核、怨念の集積点だ。抜けるんなら、とっとと抜いちゃった方が話が早い」

「その言い方だと、抜けない場合もあるんですか?」

「普通はな、抜けない。怨霊を祓って周辺の怨念を浄化して、そうやってから何とか抜ける代物だ」


 そういえば、あの時も一人では抜けなかった。ミカゲが来てくれて、棘の上で交じり合った二人の血が光を放って、そうしたら抜けたのだ。


「でもお前ら二人なら、なぜか最初っから抜ける可能性がある」

「……なんででしょうね?」


 沙門は自分の手のひらをじっと見つめた。そういえば、あの時ついた傷は残っていない。リアルな傷では無かったのだろうか? よく分からない。


「なるほどー。あたしに出来る仕事って、そういうわけね」


 ミカゲが得心した様に頷く。なるほど。確かにこれなら、ただの幽霊であるミカゲにも霊術師の仕事をする余地がある。


「ま、そういうことだ。もし先に想霊棘が抜けたら、報酬の取り分は増やしてやるよ」

「マジで! 忘れるなよ、その言葉」

「忘れない忘れない」


 ニヤニヤと笑う六道に、はしゃぐミカゲ。沙門は、何となく上手く乗せられている気もするが黙っていた。手をぎゅっと握り締める。想霊棘を抜き、そして怨霊を斬った感触を思い出す。もしアレが自分の能力だと確信できるなら……沙門は高揚と不安が入り交じった気持ちで、そばにそびえる廃工場を見上げた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ