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010 霊圏【参】

 廃工場の中は薄暗かったが、照明が必要なほどでも無かった。赤い光が、割れた窓ガラスから差し込んで足元を照らす。埃が地層となって積もっている。廃業してから二十年、いや三十年か。その間、誰も片付けに入らなかったんだろうか。沙門の背より高い機械が整然と並んでいる。繊維工場だという話だったから、たぶん糸を織る機械なのだろう。ピアノのように平行に並んだ弦が、床に影を落とす。


 右の工場を沙門とミカゲが、左の工場を六道が調べることになった。別れてから三十分ほどが経過したが、行方不明の三人や想霊棘は見つかっていない。その代わりといってはなんだが、怨霊とも出会っていない。無気味な静けさだった。


 そんな中をミカゲが張り切って先行していく。ふんふんーと鼻歌を歌いながら、左右を見回しながら野原を散策する様なステップで進む。沙門は到底そんな気分にはなれなかった。緊張している。六道から「武器」は渡されたが、ちゃんと使いこなせるかどうか……。


「なんだよ沙門ー。なんか暗くない?」


 不意に、ミカゲが振り返って不満げな表情を浮かべる。沙門は逆に言いたい。なんでそんなに陽気なのか。自信がある人間は、皆そうなんだろうか。幽霊だけど。


「別に、自信の有る無し関係なくない? 人間出来ることやるだけよー」

「そっかー」


 出来ることをやる。でもそれすら出来ない人間はどうしたらいいんだろう。やばい、沙門の心が深く落ち込んでいく。それを見ていたミカゲは足を止めた。気がつかない内に俯いていた沙門の視界に入る様にしゃがみこむ。


「……沙門はさー、なんで自殺しようとしていたの?」

「ッ!」


 肩が一瞬震える。沙門の脳裏には光景より、まず音が蘇った。自分へと向けられた罵声、怒声。それが叩き詰められる度に心臓が跳ね上がる。きゅっと目を瞑り……そして深く息を吐く。口元には自虐的な笑みが浮かんでいた。それをミカゲはじっと見つめている。


「……まあ、ウチの会社。典型的なブラック企業でさ。失敗するとすぐ怒鳴られるんだよね……」

「うん」

「色々言いたいことはあるけど、仕事出来ないのは自分の責任だし。だから色々頑張ってきたんだけど」

「うん」

「あの日、ぷっつり糸が切れちゃったんだよね……ああ、ここまでかーって。そう思ったら、気がついたら駅にいた。ただ、それだけだよ……」

「そっかー」


 ミカゲは静かに相槌を打ち、そしてゆっくりと手を伸ばした。掴んだのは沙門の右手だった。手のひらを上にして、その指先を優しく揉んでいく。


「まあ、あたしは感謝しているけどね」

「……感謝?」


 思いかげない単語に沙門は目を見開く。そんなことを言われたのは、果たしていつ以来だろうか。


「そ、感謝。そのお陰であたしは沙門と出会って、こうやって実体化出来た訳だし」

 にぎにぎと、指先から手のひらの方へと揉む位置が上がっていく。


「その会社には沙門を必要とする人がいなかっただけで、外の世界には必要としてくれる人が大勢いると思うんだよね。今はあたし一人かもしれないけどさ」


 そう言って、ミカゲはぎゅっと沙門と握手をした。ミカゲの体温は沙門より少し低い。でも何故か暖かく感じた。


「沙門、霊術師の才能あるんだもん。きっと大勢の人から感謝される様になるよ」

「そう、なのかな……?」

「きっとそうだよ。保証する」


 少し流れ出た涙を、沙門は慌てて拭った。




  —— ※ —— ※ ——




 ——廃工場内に入って一時間が経過した。



「……見つからないな」

「見つからないねー」


 ミカゲが機械の上に座って足をぷらぷらさせている。歩き疲れたというので小休憩中だ。実体は不便だ、歩き疲れると不平不満を述べている。沙門は静かに感覚を研ぎ澄ます。追善駅の時のように、怨念の行き先を辿ろうとするが上手く行かない。怨念は漂ってはいるが、凪の海の様だった。


 廃工場内は一通り回った、はずだ。しかし見つからない。沙門は必死に思考を巡らせる。行方不明の人にしろ想霊棘にしろ、あれだけの大きさのものを見落としているとは考えにくい。だとすれば、まだ探していない場所があるはずだ。屋上か? いや屋上の形はへの字だ。想霊棘は兎も角、人間がいるとは思えない。それともこっちの廃工場には何もないのだろうか? しかし無いという確証もない。難しい。


「あ」


 ミカゲが短く呟く。沙門はミカゲの視線の先を追う。積まれた木箱の影からネズミが顔を出していた。鼻をひくつかせ、そのまま通路を横断して機械の影に消える。


「ネズミってココで何食べて生きているんだろうね?」

「さあ?」


 ミカゲの素朴な疑問に苦笑する。そりゃ残飯とか動物の死骸とかを食べているんじゃないかな、たぶん。そう考えた途中で、沙門は腰を浮かせてネズミの消えた機械の先へと小走りで向かった。


 霊圏に普通の生き物がいる? おかしくないか? 機械の角を曲がったが、もうネズミの姿は無い。しかし、沙門の足先にはマンホールがあった。マンホール! 地下があるのか!


「どしたの?」

「ここ、地下がある」


 沙門は周囲を見回し、鉄棒を見つけるとそれをマンホールの穴に突っ込んだ。テコの原理でマンホールの鉄蓋を開ける。むわっと臭気が溢れかえり、ミカゲは思わず鼻を摘まんだ。


「なにこの匂いー? くっさーい」


 沙門は自分の直感が正しかったことを喜んだ。臭気と共に、赤い怨念の空気も流れ出てきたのだ。この感覚は間違い無い。中に想霊棘か怨霊か、怨念の元にあるものがある証拠だ。躊躇わずにマンホールの中に足を突っ込む。鉄製の梯子がある。かつかつと降りていく沙門を見て、ミカゲは溜息をつきながらしぶしぶ続く。


 地下は、元は貯水槽だと思われた。下まで降りると足の踝まで水に浸る。広さは上の建物と同じぐらい。随分と広い。もうここに何かがあるのは確定だと思った。照明が無いにも関わらず、視界が通るのだ。取り巻く赤い空気がまるで発光しているかの様だ。


「沙門、あれ!」


 発見したのはミカゲだった。臭気に辟易していた彼女だったが、顔色が変わる。視線の向こう、貯水槽の壁面に人影が見えたのだ。水音を立てながら駆け寄る二人。


「……うっ!」


 沙門は思わず口元を押さえた。臭気に当てられたのではない。壁面に浮かび上がった人影。それは磔刑された聖人の様に、壁に縫い付けられた人間だった。両手両脚が太い釘で貫かれていて、血が流れている。しかもその流れる血は腐っていて、黄土色をしている。


「うッ……たすけ……くれ……」


 呻き声が響く。それだけでは無い。全身にあのネズミが群がっていて、皮膚や肉を囓っているのだ。ごしゃごしゃという咀嚼音が聞こえてくる。


「待ってろ、今助ける!」


 沙門は磔刑された人間——男性だった——に取り憑き、必死にネズミを払い落とす。もしかしてあの人魂みたいな怨霊の一種か思って身構えるが、ネズミたちは払い落とされると短い鳴き声を残して四散していった。


 更に釘に手を掛けるが、抜けない。そうだ、と沙門はようやく思い出す。六道から護身用にと受け取った武器があった。後ろのポケットに手を伸ばす。


「ねえ! ちょっと待って」


 ミカゲが叫んだ。彼女は一歩二歩と、退いている。何か不安げな表情を浮かべて視線が左右に動く。


「行方不明になったのって、三人だよね……?」


 確認する様にミカゲが呟く。そこで沙門ははっと気がついた。沙門も視線を左右に振る。壁に貼り付けられた人間の数が……四人いる。男性、女性、男性、男性。沙門が取り付いたのは左から三人目の男性だった。一人、多い……?


「助けて……くれよおおおおっ!』


 突然、沙門の目の前の男性が咆哮を上げた。ぶちぶちと肉が千切れる音。男が大きく開いた口は頭蓋から上半身までをも引き裂き、巨大な口を広げた。鉄条網の様な歯が露出し、そしてぞぶりと沙門の右肩に噛みついた。それは、怨霊だった。


「ぐああっ!」

「沙門ッ!」


 鮮血が飛び散る。怨霊だった漢は壁に縫い付けられた四肢を引き千切って、沙門の上に覆い被さった。浅い水面に押し倒される沙門。怨霊に赤い怨念が流れ込み、その体躯が鎧を着た様な古代魚の姿へと変貌する。


 沙門は痛みに耐えながら、左手を後ろのポケットに伸ばした。ナイフの柄の様な物体を握り締め、引き出す。同じポケットに入っていたスマホがその柄に引っかけられて、水没する。





 『……なんですかこれ?』

棘具(きょくぐ)。ほれ、駅でオレが使っていた鎌、見ただろ? まあお坊さんが妖怪退治に使う法具みたいなものだと思ってくれれば良い』





 沙門は六道に教わった通り、柄に握り締めて念を込めた。怨念を感じるのとは逆のイメージ。自分の中の「力」を柄に集中する……。


 ちりん。


「で……出た!?」


 頭の中で鈴の音が鳴ったかと思うと、柄の先端から鋭い刃先が出現した。赤く透明な刃先。長さは十センチ程度か。大型ナイフの様だ。


 沙門はその赤いナイフを古代魚の怨霊に突き立てた。一度目は弾かれ、しかし二度目は鎧の隙間に嵌まってずぶりと差し込むことが出来た。手応えがある!


『みんな、寄ってたかってオレを食い物にしやがって……!』


 しかし、古代魚の怨霊は沙門の肩に食い付いた口を緩めなかった。逆に歯が入っていく。あ、やばい。腱が切れて右腕が全く動かない。血が水面を染めていく。非常事態だったが、沙門は妙に冷静な自分に驚いた。怖くない。会社でもこれぐらい冷静だったらな……。


「あっ!」


 しかし、古代魚のヒレが沙門の左手から赤いナイフを弾き飛ばした。どぼんと水音を立てて沈むナイフ。沙門は手を伸ばすが、遠くて届かない。


 そのナイフを、白い指先が拾い上げた。ミカゲだった。彼女は駆け寄りつつナイフを拾い上げ、そして腰に構えて古代魚の怨霊の土手っ腹に体当たりを敢行した。


「うおおりゃああ!」


 ずぶり。


『ふっぎゃあああ』


 怨霊の悲鳴が聞こえた。開いた口が沙門の肩から外れる。赤いナイフは根本まで突き刺さっていた。横転した古代魚がのた打ち回っている。勢い余って転倒したミカゲだったが、直ぐに起き上がって沙門に手を貸す。


「だいじょうぶ?!」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫」


 沙門は右肩を押さえながらニッコリと笑った。肩から指先までまったく感覚がない。どれだけ抉られたのか、ちょっと傷口は見たくない。


 ミカゲはちょっと不思議そうな表情を浮かべた。


「結構冷静じゃん」

「そうだね、自分でもビックリしている」

「いいじゃん。そういうの悪くないよ」


 ミカゲはニヤリと笑い返した。


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