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第5話 サビのない人生は、もう終わりだ

「……っ、ハハ、まじかよ。本当に……本当に届いたんだな」


 新宿ダンジョンの薄暗いセーフティエリア。俺は、震える手で自分のステータス画面を何度も、何度もスワイプしていた。

 そこには、これまで俺を絶望の淵に突き落としてきた「180」という低すぎる天井を突き破り、堂々たる数字が刻まれていた。


【MP:600】


「六百……。六百だぞ……!」


 五十代の魂が、十九歳の体の中で絶叫した。

 今までの俺は、例えるなら「バケツ一杯のガソリンで大陸横断を目指す無謀なドライバー」だった。イントロの数秒でガス欠を恐れ、サビの爆発に怯え、常に「強制終了」の四文字に追いかけ回されていた。


 だが、今は違う。

 消費は毎秒1MP。『Billie Jean』の約5分間を、ポーションの助けを借りずとも、最初の一音から最後の余韻まで、完璧な「フルサイズ」でこの身に宿し続けることができるのだ。


「待たせたな、MJ。……いや、待っていたのは俺の方か」


 俺はバッグから、この一ヶ月間、放課後の買い食いや友達の誘いをすべて断って溜め込んできたMPポーションを一本取り出した。

 コンビニのホットスナックの誘惑に打ち勝ち、カラオケやゲーセンに消えるはずだった小遣いを死守し、新作ゲームも漫画も一切を我慢し続けてきた。すべては今日、この瞬間のためだ。


「……ポーション貯金はパンパンだ。アンコールだって余裕で受けてやる」


 十九歳のガキが遊ぶ時間を削り、五十代の執念で積み上げた「魔力のストック」。

 俺はゆっくりと立ち上がり、装備の最終確認をした。槍はもう、ただの杖代わりだ。本日のメインは、この一週間、指紋が消えるほど磨き抜いた「指先」にある。


「ドローン、起動。録画準備、オールグリーン」


 中古のドローンが、ぶおん、と頼りない音を立てて浮上する。

 だが、今日の俺にはそのチープな駆動音すら、スタジアムの開演を告げるブザーのように聞こえた。


「よし。……行こうか。世界に、『本物』をわからせてやる」


 俺はセーフティエリアを抜け、通路の中央に陣取った。

 前方からは、俺の血の匂いを嗅ぎつけたゴブリンの群れが、下卑た笑い声を上げながら迫ってきている。一ヶ月前の俺なら「1匹ずつ慎重に」と計算していただろうが、今の俺にそんな姑息な計算は不要だ。


 俺は、右手の親指と中指を重ねた。

 前世で擦り切れるほど見たあの映像。カセットテープの溝に刻まれたあの魂。そのすべてを、今、この指先に凝縮させる。


「――ッ、チャ!」


 静寂を切り裂く、乾いた指パッチンの音。

 その瞬間、ダンジョンの湿った空気が一変した。

 淀んでいた魔力が一箇所に収束し、世界が――モノクロから極彩色のステージへと塗り替えられていく。


 ドゥンドゥ・デーン・ドゥ・デーン・ドゥ……


 脳内ではない。ダンジョンの壁を、地面を、空気を震わせて、伝説のベースラインが鳴り響き始めた。


「……来た。ついに、サビまでいけるぞ」


 光の中に、俺の意識が溶けていく。

 猫背だった脊椎がバネのように引き締まり、視界が一段高くなる。漆黒のジャケットが、浮き出た血管のように俺の肉体に馴染み、銀のスパンコールが魔力を帯びて発光した。


 それはもう、家族がバカにしたような「映像の不具合」なんかじゃない。

 どこからともなく降り注ぐ幻影のスポットライト。その光を鋭く跳ね返し、漆黒のジャケットを揺らす――完璧なまでの、世界の王の姿だ。


(結菜、お前が言った通り、サビのない曲は退屈だ)


 脳裏に、リビングで鼻で笑った妹の顔が浮かぶ。

 あの日から、俺はこの瞬間のためだけに泥を啜り魔力を貯めてきた。


(だから今、俺はこのダンジョンのど真ん中で、世界で一番贅沢なサビをぶちかましてやる。明日の朝、リビングでお前の腰を抜かさせてやるからな)


 俺《MJ》はニヤリと不敵に笑った。

 十九歳の肉体に、五十代のオタクが積み重ねてきた偏愛と執念を込めて。

 いつもなら「騒音です」と検閲を入れてくる中古ドローンのAIが、MJの放つ圧倒的なカリスマ放射にバグを起こし、警告音の代わりに歓喜のようなノイズを上げ始めた。


「さあ、ショータイムだ。瞬きすんなよ、世界」


 俺の「変身」がついに時代を動かす。

 この閉ざされた地下迷宮に、かつて全人類を熱狂させた【キング・オブ・ポップ】が、完全な形で再臨した。


 本当の伝説――その「一音目」が、今、放たれる。



▲△▲▲△▲



 新宿ダンジョン下層・第04エリア。

 そこは本来、数人のパーティーで慎重に攻略すべき「ゴブリンの密集地帯」だ。


 だが、今の俺に「慎重」という二文字は必要ない。

 一ヶ月間、槍一本で泥水を啜るような節約生活を続けてきた俺のMPは、今や満タンの特大ドラム缶だ。蛇口を全開にしても、そう簡単には底を突かない。


「ギギッ! ギィーッ!」


 前方から10匹を超えるゴブリンの群れが、小汚い短刀を振りかざして迫ってくる。

 俺は逃げない。一歩も退かない。

 ドローンの高度を固定し、広角モードに切り替える。


「……行くぞ。ポーションの在庫は十分。MPの天井も叩き割った」


 俺は、右手の親指と中指を重ね、天高く突き上げた。

 前世で、擦り切れるほど見たあのライブ・イン・ブカレスト。

 スタジアムが揺れ、失神者が続出したあの伝説の始まりを、俺の全魔力ソウルでこの肉体に降臨させる。


「――ッ、チャ!」


 静寂を切り裂く、乾いた指パッチンの音。

 その瞬間、世界から色が消え、漆黒の夜と強烈なスポットライトだけがダンジョンを支配した。


【固有スキル:変身レジェンド・アーカイブ発動】

【楽曲:Billie Jean ―― 演奏開始】


 ドゥンドゥ・デーン・ドゥ・デーン・ドゥ……


 重厚なベースラインが、ダンジョンの壁を物理的に震わせる。

 迫りくるゴブリンたちが、一斉に足を止めた。いや、「止めさせられた」のだ。

 このスキルの本質は、圧倒的な「カリスマ」による強制的なヘイト収集とスタン効果。

 

 光の中に立つ俺の姿は、もはやモヤシ男の俺ではない。

 右手に輝く銀のスパンコール・グローブ。

 ハットの縁に添えられた指先。

 

「……アッ!」


 短いシャウト一つ。

 それは衝撃波ソニックブームとなって空気を震わせ、最前列のゴブリン3匹を紙屑のように吹き飛ばした。


「見ろよ鉄平、父さん、母さん、結菜……。これが、俺が信じた『本物』だ!」


 以前の俺なら、一歩動くたびにMPの枯渇に怯えていた。

だが今の俺は、リズムを刻むほどに熱を帯びる。全盛期のMJの肉体が迷宮の静寂を蹂躙していく。


 俺は地を蹴った。

 全盛期のMJの肉体が、リズムに合わせて踊るように加速する。


 右へスライドすれば、残像が敵の視界を攪乱する。

 鮮やかなスピンを決めれば、生じる魔力の旋風が敵を切り裂く。

 

「ハハッ! 軽い! どこまでも体が軽いぞ!」


 1分経過。MPはまだ540。

 以前なら、この時点で「あと半分……あと数秒……」と青ざめていたはずだ。

 だが今は、2番のAメロに入っても、まだ指先まで魔力が漲っている。


「蹂躙だ……。これこそが、俺が夢に見た『無双』なんだよ!」


 ムーンウォークで後退する。

 それに合わせてゴブリンたちが、まるで磁石に吸い寄せられるように、俺の正面一箇所に固まっていく。

 完璧なまでのコントロール。

 敵はもはや、俺を「敵」として認識していない。

 抗えない芸術《暴力》を前にした、ただの観客だ。


「さあ、ラストサビだ……! 行くぞッ!!」


 音楽が最高潮に達する。

 俺は空中で足を交差させ、重力を断絶してつま先で直立する――必殺奥義『グラビティ・デファイイング・フリーズ』。

 

「ポゥ!!!」


 世界が静止し、次の瞬間、凄まじい重力衝撃波が円形に広がった。

 生き残っていたゴブリンたちが、悲鳴を上げる暇もなく光の粒子へと還っていく。

 

 暗転。

 

 最後の余韻が消えるまで、俺は変身を解除しなかった。

 かつての「数秒のバグ映像」じゃない。

 最初の一音から、最後の沈黙まで。

 俺はやり遂げた。この肉体で、一曲丸ごと、伝説をこの世界に刻みつけたんだ。


「……はぁ、はぁ……っ」


 変身を解くと、元のモヤシ男の体に凄まじい熱量と倦怠感が戻ってくる。

 だが、ドローンの録画ランプは点灯したままだ。録画時間は完璧な5分間。

 

 MPポーションの残量は、まだ半分以上残っている。

 俺は、かつての王が立っていた場所を見つめ、自分自身の魂に向けて深く頭を下げた。


「……ありがとうございました。最高のステージでした、ボス」


 顔を上げると、そこには大量の魔石と、一ヶ月の苦労を帳消しにするほどの「達成感」が転がっていた。

 五十代のおっさんの執念が、低燃費という呪いを打ち破った瞬間。

 

 明日、この動画をアップロードした時、世界がどんな反応を示すのか。

 俺はニヤリと笑い、空になったポーションの瓶を放り投げた。

 

 伝説の逆襲は、まだ「一曲目」が終わったばかりだ。

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