閑話 氷の天才のパトロールと最悪のノイズ
氷室冴香にとって、その配信を視聴したのは単なる「業務」の一環に過ぎなかった。
深夜の高級マンション。彼女は翌日の攻略プランを練りながら、サブモニターで新宿ダンジョンの「低レベル帯ライブ配信」を流しっぱなしにしていた。
新人探索者の無謀な事故、あるいは魔石の横領や偽装スキルの使用。それらを監視し、ギルドへの報告義務を果たすのは上位探索者としての矜持だ。
「……また、ふざけたタイトルの新人がいるわね」
同時接続数、わずか『2』。
『【生存証明】新宿04エリア。バグか何か確認してください』という、投げやりなタイトルのライブを何気なくクリックした。
その瞬間、彼女の思考は完全に停止した。
「……なっ、何なの……これ……っ」
画面の中で舞うのは、漆黒のジャケットを纏った「未知」そのもの。
重厚なベースラインに合わせて重力が反転したかのように滑るステップ。指を鳴らすたびに空間が魔力で飽和し、ゴブリンの群れが紙屑のように吹き飛んでいく。
彼女はベースLV14、INT50というエリートだ。魔力を精密な計算のもとに操り、最短の「効率」で敵を屠る彼女にとって、その戦い方は、物理法則を嘲笑う「神の演武」に見えた。
「魔法の詠唱も……剣技の予備動作も一切ない。音の『隙間』に肉体を滑り込ませている。こんな戦い方、教本のどこにも……っ」
戦慄し、食い入るように画面を見つめた。
だが。その「神聖な光景」を、あまりにも醜悪なノイズが汚した。
安物ドローンのAIが、周囲の静寂を拾い上げ、演者本人のボソボソとした独り言を「重要な音声」として強調してしまったのだ。
『(アッ!……うおお、今の角度最高……! 自分でやってて引くわ、膝のしなりエロすぎるだろ……!)』
『(ダッ!……耐えろ俺、サビまで括約筋を信じるんだ……!)』
「………………は?」
冴香の思考が白熱した。
彼女はパトロールとして、真面目に「事故や不正」を監視していたのだ。それなのに、画面の向こうの男は――人類の常識を塗り替えるほどの技術を見せつけながら、あろうことか自身の肉体を「エロい」と評し、あまつさえ「括約筋」などという下俗な単語で己を鼓舞している。
「……不謹慎。いえ、冒涜だわ」
神のような技とゴミのような人間性。
その後、慌てて非公開にされたライブの代わりに、余計な音声を削った「編集版」がアップロードされ、世間はそれを『神降臨』と崇め始めた。
だが、冴香は知っている。あの完璧な『King of Pop』の正体が、自分の膝に陶酔し、腹具合を気にしながら戦っていた「変態」であることを。
「投稿者の名前は――成瀬奏」
D-Tubeのプロフィール画面。そこに映る、どこか締まりのない少年の顔を冴香は睨みつけた。
あんなふざけた独り言を吐きながら、ダンジョンという聖域で「踊っていた」男。
「いいわ……。あなたのその『音』が、本当に魂の叫びなのか、それとも単なる悪質な悪ふざけなのか……」
彼女は傍らに立てかけられた特殊合金の細剣を手に取った。
水流のように滑らかな彼女の魔力が、細身の刃を冷たく、青く発光させる。
「直接、その耳元で『激流』を鳴らして確かめてあげる。……私の監視を『括約筋』一言で汚した罪、重いわよ」
深夜の静寂の中、天才の瞳に執着の火が灯る。
それは、実家の布団でよだれを垂らして眠る「おっさん」が、日本のトップ探索者に「粛清対象」としてロックオンされた瞬間だった。




