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プロローグ

「明日だ。明日で、ようやく本当の『第二の人生』が本当の意味で始まる」


 六畳一間の自室。俺は学習机の上に広げた「ダンジョン探索者講習・案内状」を前に、一人静かに、しかし激しく拳を握りしめていた。


 カレンダーを見れば、高校を卒業してから数ヶ月。同級生たちが大学だの就職だのと新しい環境に馴染み始めた頃、俺は一人、この日のために雌伏の時を過ごしてきた。

 親からは「フリーターなんてしてないで、まともに働きなさい」と小言を言われ、妹からは「お兄ちゃん、今日もダンジョン動画見てニヤニヤしてる……キモい」と冷ややかな視線を浴びせられたが、そんなものは瑣末なことだ。


 俺には確信がある。

 この「ダンジョン」という異常事態こそが、前世の記憶を持ちながら、何一つ特技を持たずに転生してしまった俺という人間に与えられた、唯一にして最大のステージだと。


「……さて、最終チェックだ」


 俺はクローゼットから、バイト代を注ぎ込んで用意した「頑丈さだけが取り柄のアウトドア用バックパック」を取り出した。明日の講習が終われば、正式に探索者の端くれとして認められる。配信用のドローンや、高価な武器やポーションなんかは、講習をクリアした後の「自分へのご褒美」だ。今はまだ、支給される予定の備品リストを穴が空くほど眺めることしかできない。


 俺はベッドに寝転がり、部屋の四方を見渡した。

 壁には、この世界で流行っているロボットアニメのポスター。本棚には、前世の記憶にある名作とは絶妙にタイトルや展開が違う少年漫画の単行本。

 前世の俺は、あっちの世界で五十代まで生きた、どこにでもいる「サブカル好きのおっさん」だった。


 ロボットの合体シーンに血を滾らせ、少年漫画の修行回に胸を熱くし、カセットテープが擦り切れるまでお気に入りの洋楽を聴いた日々。

 転生したこの世界でも、俺は同じように漫画を読み、アニメを観て、音楽を聴いた。

 でも、ずっと何かが足りなかった。


「あっちにあって、こっちにないもの……」


 歴史の分岐点がどこだったのかは知らないが、俺の魂を震わせたあの名作たちが、この地球には存在しない。

 いや、正確には「似て非なるもの」に置き換わっている。


 かつて熱狂したあのヒーローも、涙したあの最終回も、世界を塗り替えたあのキング・オブ・ポップの輝きも。

 それを知っているのは、世界で俺一人だけ。


「……なら、俺がやるしかないだろ。たとえ漫画家としての才能も、歌い手としての才能もなくてもな」


 俺は立ち上がり、鏡の前で不審者さながらに指を鳴らした。

 十九歳の体は、前世の俺とは比較にならないほど軽いが、中身の50代が「おいおい、膝を大事にしろよ。関節の予備はないんだぞ」とブレーキをかけてくるのがもどかしい。


「奏ー! いつまで起きてるの! 明日寝坊したら承知しないわよ!」


 階下から母さんの怒鳴り声が聞こえてくる。

 明日、俺が地下の管理施設で「伝説」の端緒を掴むことになるとも知らずに、のん気なものだ。


 俺は電気を消し、ベッドに潜り込んだ。

 暗闇の中で、まぶたの裏にはあのベースラインが流れている。

 それだけじゃない。巨大ロボットの起動音も、少年漫画の主人公が覚醒する瞬間のセリフも、すべてが混ざり合って俺を急き立てる。


 明日、俺は指を鳴らす。

 誰にも見向きもされなかった、ただの「趣味人」だった俺の人生が、ついに「イントロ」を迎えるんだ。


 ……まさかその数時間後、自分が「1秒ごとに消し飛ぶMP」と「想像を絶する燃費の悪さ」を前に、泡を吹いて倒れそうになるとは、この時の俺は微塵も疑っていなかった。

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