EP1 1、2、3
俺の名前は田中一海。一つの海と書いてヒトミ。初見で正しく読まれたことはない。親しい人はヒトミちゃんなんて呼ぶこともあるが、高校生にもなるともう慣れてしまった。
入学式が終わり、父さんと歩いていた。昼前の商店街は賑わっている。
コロッケ屋には行列ができ、カレー屋は相変わらずいい匂いだ。誘惑が多い。
「お前、お昼はどうするんだ?」
父さんが言った。
「あぁ。三葉のとこ行ってくるよ」
「そうか」
「あれ、父さんは行かないの?」
「私はやめておくよ」
「なんだ。こっちに来たから寄るのかと思った」
「お前が行くだろうと思っただけだ」
それならそう言えばいいのに。
「二湖も喜ぶよ?」
「いいんだ。じゃあ私は先に帰る」
「はーい」
父さんと別れ、俺は商店街を抜けた先にある三葉の家の喫茶店へと向かった。
角を曲がると、店の前に人が並んでいるのが見えた。やっぱり土曜日のランチは混んでるか。
店内を覗くと、制服の上からエプロンを付けた二湖の姿が見えた。
入学式が終わったばかりなのに、もう働いている。慌てて帰ってきたんだろう。勤勉なものだ。
そんな雪代二湖は俺の双子の弟で、中学二年の頃から、ここで働いている。
「一海くん」
「どうも」
常連のおじさんに見つかって、両肩を掴まれた。
「ほら、君の家みたいなもんだろ」
「い、いや皆さんがお待ちなのに……」
立ち去ろうとするが、おじさんに引っ張られて徐々に店に近づいていく。空いた頃に来るから離してくれよ。
「いいからいいから」
「ちょっと」
そのとき、目の前のドアが開いて、出てきた二湖と目が合った。
「何してるんだよ二人とも」
「よ、よぉ」
「早く入りなよ。兄さんの席は空けてあるよ」
「あぁ」
常連さん達に頭を下げながら店内に入った。
「いらっしゃい、一海くん」
「こんにちは。おじさん」
「一海?」
「なんだ三葉もいたのか」
小日向三葉は俺と二湖の幼馴染で、保育園から今日、入学した高校までずっと一緒だ。
この喫茶店『ひまわり』の娘で、ここに入り浸っている俺たちとは兄弟のように育った。
「いたら悪いの? ここは私の家よ」
「そうだったな」
「あなたも手伝いなさいよ」
「なんで俺が」
「ほんと双子でも大違いね」
「不真面目ですまんな。はよコーラ持ってこい」
「自分で注ぎなさい!」
俺はカウンターを横目に店の一番奥の四人席に腰掛けた。
荷物を置いて、上着を脱いでからコーラを取りに行こうとした。
が、俺が席を立つより先に、二湖がコーラを持ってきてくれた。
「兄さん、食べ物はどうする?」
「あ、ありがと。食うのは二人を待ってようかな」
「二時前ぐらいになるんじゃないかな」
「いいよ。待ってる」
「わかった」
二湖も三葉も忙しそうに働いている。注文を取ったり、料理を運んだり。
俺も皿洗いぐらいするかな。暇だし。
「おじさん、おばさん。洗い物するよ」
俺はシャツの袖をまくりながらカウンター内に入った。
「助かるわ。一海ちゃん」
「もう高校生なんだから、ちゃんはやめてよ」
「一海ちゃんは一海ちゃん」
「はいはい」
厨房の一番端で食器を洗いながら二湖を見ていた。嫌な顔せず働いて、えらいもんだ。
「ねぇおじさん、俺の分のお駄賃は二湖につけといて」
「いいのかい?」
「あぁ」
「あら」
「ん?」
「珍しい」
三葉だ。
「お前が手伝えって言ったんだろ」
「明日は雨かしら」
「たまにやってるだろ」
「そうだったかなぁ。じゃあこれお願いね」
三葉はトレイいっぱいの洗い物をカウンターに置いていった。
この二人、中学の頃からこんなの毎日やってるんだよな。
俺も少し見習ったほうがいいか。
忙しい時間はあっという間に過ぎて、一時半過ぎにはお客さんが減り始めた。
「一海ちゃん。何食べたい?」
「なんでもいいよ。好き嫌いないし」
「二湖くんは?」
「僕も兄さんと同じのでいいですよ」
「三葉は?」
「オムライス。私が作るからお母さんたちは休んでて」
「ありがとう三葉」
テーブルに戻ると、コーラの氷はすっかり溶けてしまっていた。それを飲み干して、おかわりしようと立ち上がった。
「二湖、お前も飲むか?」
「いいよ。僕は水で」
「たまには飲めよ。三葉のおごりで」
「誰のおごりって?」
「なんだ、いたのか」
「はい、サラダ」
三葉はテーブルにサラダを三つ置いた。
「サラダとかいいのに」
「野菜もちゃんと食べなさい」
「はーい」
俺はコーラを二つ注いでテーブルに戻った。
「兄さん」
「いいからいいから」
「でも」
「疲れてるだろ?」
「う、うん」
二湖は喉を鳴らしてコーラを飲んだ。俺は内ポケットから封筒を取り出すとテーブルに置いた。
「これ、父さんから」
「そんな」
「いいからもらっとけよ」
「う、うん」
「なぁ、お前もうちに来たらどうだ?」
「母さんを一人にできないよ」
「はぁ。父さんもどうしてあんな女と……。まぁ結婚してくれないと俺たちは生まれてないけどな」
「母さんの悪口はやめてよ」
「なんだよ。苗字だけが良い女だよ、あんなの」
「僕らを産んでくれたんだよ?」
「俺を捨てた女だ」
俺は頭を掻いて目を閉じた。
「もうそんなこと言わないでよ」
「お待たせー、二湖。取りに来て」
厨房の方から三葉が呼んでいる。
「今、行くよ」
二湖は大きな声で返事をすると慌てて立ち上がった。ほどなくして、オムライスが三つ運ばれてきた。
「サラダ、食べてないじゃない」
「お前を待ってたんだろ」
「そう?」
「違うよ三葉。お箸もフォークもないから兄さんは食べてないだけ」
「はぁ? 自分で取りなさいよ」
「ははっ。嫌だね」
結局、二湖がカトラリーを取りに行って、俺たちは三葉のお手製オムライスを食べ始めた。
「美味しいよ、三葉」
「うんうん。うまいうまい」
「ありがと」
「いいお嫁さんになるな」
「何言ってんのよ」
三葉の、いやひまわりのオムライスはケチャップに魔法がかけてあるそうだ。
あっという間に食べ終わった。
「もうすぐ三時だ」
「人が増えてきたね」
「んー」
俺はテーブルに突っ伏していた。
「僕たちそろそろ仕事に戻るよ」
「んー、俺は夢の中に戻るよ」
「一海も手伝いなさいよ」
「んー」
「ほんと気まぐれなんだから」
二人が行ってしまった。
コーヒーの匂いがする。店内のざわめきに混じって、二湖や三葉の声も遠くに聞こえている。
俺はこの場所が好きだ。




