19.いくら探しても見つからないので
ペロペロ。なんだかほっぺがくすぐったい。
まだ寝ぼけた頭で目を開けると、視界いっぱいに黒いモジャモジャが広がった。
『おはようございます!』
「お、おはよう。ふふ、きらるたん、くすぐったいよ」
赤い舌で私の顔をペロペロ舐めて起こしてくれたのは、きらるたんだった。
おかげで幸せな気持ちで目が覚めたのだが。
「おい、いつまで寝ている? さっさと出発するぞ」
きらるたんと戯れている私を見て、不機嫌な篠崎くん。
いやいやこれは不可抗力でしょう?
と思いつつも、一番遅く起きたのは事実なのでそそくさと準備を始める。
近くの川で顔を洗い、口をゆすぎ、サッパリした心地で拠点に戻った。
「よちよち、こっちはどうでちゅか〜?」
『アウーン』
篠崎くんがきらるたんを仰向けに膝に乗せて、マッサージをしているところだった。
その手練手管はやはり犬を恍惚とさせるらしく、きらるたんも言葉を失っていた。
出発前に筋肉をほぐしているのだろうが、逆効果では?と思わなくもない。
篠崎くんの方は絶対きらるたんに触りたい(モフモフしたい)だけだ。
このままでは結局出発が遅くなりそうだ。
「あのー、私の準備はできたけど、そろそろ出発する?」
声をかけると、ギロっと篠崎くんに睨まれた。ひどい。
きらるたんも起き上がって、ブルブルと体を震わせ、フワッフワの毛並みが広がる。
『ご主人様! おいらも大丈夫です!』
きらきらまんまるおめめでそう言われては、篠崎くんも諦めて頷くしかない。
「よし、今日は谷へと降りる道を探すぞ!」
そうして私たちは谷に沿って歩き始めた。
「はぁ、はぁ……こんなに歩いてもまだ見つからないの?」
朝から歩き続けて、空はもう夕暮れに染まっている。
猫の気配は途切れたままで、谷底へと降りれそうな道もなく、今のところは手がかりなしだ。
途中休憩を挟みながらではあったが、いっこうに変わり映えしない景色に私は絶望を感じていた。
そもそも本当に谷へと降りる必要があるのだろうか。
谷底は深くてよく見えないが、きらるたんが水音が聞こえると言っていたから、川なのだろう。
「たしか猫は水が嫌いじゃなかった? 川の近くに猫世界への入り口なんてあるのかな?」
「だが、きらるたんが猫の痕跡を辿ってここまできたんだ。絶対に何かあるはずだ!」
「うん、まぁそれはそうなんだけど……」
猫の手がかりが消えたのはたしかに谷の近く。
誰も寄りつかない危険な場所だから、犬に見つかることもない。
嗅覚が鋭い犬を欺くのはなかなかのものだ。
それもやはり水辺だからだろうか。
『すみません、おいらがちゃんと見つけられたら……』
クゥン、と切ない鳴き声とともにきらるたんのふわふわの尻尾が下がる。
「「きらるたんのせいじゃない!!」」
篠崎くんと私の声が重なった。
断じてきらるたんのせいではない。
めちゃくちゃ一生懸命頑張ってくれているのに、手がかりが見つからないからって責める人間はここにはいない。
「ごめん、きらるたん。きらるたんだけに任せていた俺たちが悪い」
「うん、そうだよ。もう一度、考えてみよう」
猫の匂いや気配を辿れるのはきらるたんだからって、すべてを任せるのは違っていた。
反省しなければならない。
何故なら、犬世界の救世主は篠崎くんなのだ。
彼がきっと鍵を握っている。
それに、私も猫をこの目で見ている。
猫たちが犬世界を自由に行き来できるのはどうしてだろう。
私たちはもう一度情報を整理するため、大きな木の根を椅子がわりに座った。
「じゃあ現状を整理するね。まず、この森で私は猫を目撃したから、猫たちがこっちの世界に来ていたことは間違いないし、きらるたんも痕跡を見つけてくれた。篠崎くんは谷が怪しいと言ってたけど、いくら歩いても下に下りる道は見つからない。川がある谷底に猫が飛び込むとは思えないから、今のところは他に道を探した方がいいと思う」
「そうだな……もしわんちゃんたちを連れて行くなら、猫だけが通れる道ではないはずだ」
すごい。篠崎くんがちゃんと真面目に考えて意見を出してくれている。
私は彼の成長に内心で感動していた。
だが今はそれどころではないので、2人で改めて地図を眺める。
「うーん、谷沿いはずっと森が続いているだけだね」
「わんちゃんをたくさん連れて猫世界へ帰るなら、最短距離で入り口へと向かうよな。ということは、俺たちのように日が暮れるまで歩いたりはしない」
『そういえば、猫世界との扉はひとつじゃありません』
「何!? きらるたん、本当か?」
『はい。どこに発生するかは分かりませんが、いくつか同時多発的に現れるんだそうです』
なんということだ。
それなら、この谷に限らず、他にも猫世界への扉が発生している可能性がある。
そういう情報はもっと早く言ってほしいと思ったが、篠崎くんに何を言われるか分からないので黙っておくことにする。
案の定、篠崎くんは重要情報を教えてくれたきらるたんを抱きしめて頬をすりすりしていた。
こんな状況で小言を言おうものならこっちが返り討ちにあってしまう。
「それなら、いつもと変わったところがないか、情報を集めた方が良さそうだな。猫世界との扉が現れる法則も調べたい」
ひとしきりきらるたんを撫で回した後、篠崎くんが言った。
「でも、情報を集めるってどうやって?」
「そりゃあもちろん、この辺りに住むわんちゃんたちに話を聞くんだ」
にっと笑って、篠崎くんはカバンからあるものを取り出した。
嗅覚鋭い犬であれば嗅ぎつけるであろう、鹿肉のジャーキー。
すると、どこからともなく激しい足音が近づいてきた。
(ジャーキー取り出しただけでこんなに集まるの!?)
今、私たちの目の前には様々な犬種が十匹ほど集まってきている。
その目線はまっすぐにジャーキーと篠崎くんへと注がれている。よだれを垂らして待っている犬もいる。
言葉が通じて服を着ていても、やっぱり人間からもらえるジャーキーは特別なのだろうか。
しかし犬に囲まれる篠崎くん、とても生き生きしている。
まるで犬使いのようだ。すごい。
「みんな、集まってくれてありがとう。俺たちは今、猫世界への扉を探している。最近、この辺りでいつもと違うものは見なかったか?」
あぁ、篠崎くんがちゃんと情報収集してくれている。
またもや彼の成長に涙が出そうだった。
犬を目の前にしたら愛でることしかしなかったあの篠崎くんが!
まぁ答えてくれた犬への過剰なスキンシップで数匹とろんとしてしまっているけれど。
とにかく、何か有益な情報が得られますように。
犬相手に私は何もできないので、ひたすら祈っていた。




