閑話:仕えるべき方
アスリー様がダイカル様と結婚なさって王家に入られて、今日はこれからアスリー様の床入りがある。
数日前に私がアスリー様のお世話をすることが決まって、サファを補助に指名して、アスリー様と初めて顔合わせをしてご挨拶をした。
アスリー様はケイアナ様と同じく厳しい訓練に打ち込む人生を過ごしてこられた方だが、勇者という肩書きを持ち、自分を律しながら魔王であるダイカル様を討つために、アトルガイア王国からガルテム王国までを1人修行しながら進んでおいでになって、厳しいながらも豊富な人生経験をなさった方だ。
また、アトルガイア王国から与えられた情報を鵜呑みにすることなくご自分で考え分析して、ガルテム王国に対してアトルガイア王国が持つ確執を探り当てられた鋭い観察眼を持つと同時に、自分の存在理由たる勇者の無意味さを知るや勇者の立場をお捨てになって、ダイカル様と愛を育まれた希有なお方だ。
その身の回りのお世話をすることになった私の緊張は、かつてないほどのものになっていた。
その方がこれから勇者の称号を捨てて魔王妃の称号を得られる大事な儀式に向かわれる。私の頭はその準備のことでいっぱいだった。
震える指でアスリー様のための香油を用意する私に、ティムニアさんが微笑みかけてくれて、私も手伝うから指を温めてらっしゃい、緊張は指先を冷たくしてアスリー様が不快にお感じになるわ、と注意をしてくれた。
恥ずかしがるアスリー様を和ませる会話をティムニアさんが先導してくれながら、アスリー様に香油を塗り込み、閨へとご案内した。
ありがとう、そう仰って笑みを浮かべて閨へ向かわれたアスリー様。
それがアスリー様を拝見する最後になるとは思いもしなかった。
◇◆◇◆
アスリー様を閨にご案内してしばらくして、寝室から轟音が響き、ダイカル様の叫び声が聞こえた。
ホーガーデンさんとティムニアさんと私は王の寝室へ走り、ホーガーデンさんの判断で、入ります、と叫びながら寝室へと駆け込んで、私達が目にしたのは、全裸で体の前面が血まみれのまま愕然としているダイカル様と、飛び散った両手、両脚を残して体が爆散したアスリー様の肉片と飛び散った内蔵と砕けきった骨だった。
あまりの惨状に何が起こったのか皆が呆然としていると、部屋の隅に落ちていたアスリー様の腕で指輪が光り、部屋全体を包むと肉片や内臓や骨が消えてベッドに移動し、飛び散り染みた血の跡が消えるとアスリー様の体が現れた。
「ああ、指輪だ……。再生の指輪があった。」
ダイカル様が少し焦点の合わない目で、安堵の混じった魂の抜けたような声を上げられたのが妙に印象に残った。
アスリー様が再生した様子を見て、ホーガーデンさんが回復魔法を使える者達を集めるように指示をして、ダイカル様はいつもの様子に戻られて夜着に袖を通されるとアスリー様に衣服をお着せになろうとして手をお止めになり、私に着させるようにお命じになると、目を開けないアスリー様に呼びかけを始められた。
やがて回復術士達が到着して、ダイカル様はアスリー様がお目覚めになって全身の痛みを訴えておられるのを聞いて、回復術士達にアスリー様の回復をお命じになり、アスリー様の表情が落ち着くと皆に休むように仰ってアスリー様とともにお休みになった、はずだった。
◇◆◇◆
翌朝、アスリー様がお目覚めになって分かったことは、アスリー様の体をお使いになっているのはアスリー様ではなく、セイラ様という異世界から召喚された別人に変わっていたということだった。
アスリー様は誰かにどこかに掠われ、偶然にセイラ様が空いた体に引き寄せられた。
私はそのことを、ご本人の許可を得たティムニアさんから教えられた。
私が仕えるはずの人は、いきなり他の誰かに代わってしまった。
凄い方にお使えするはずだったのにという失意の後で、アスリー様の代わりに、今はこの方が魔王妃を得られたのだということを思い出した。
そして、セイラ様はレベルが1なのに、魔王妃の儀式にこれから向かわれるという。
え、レベル1って、HPは……え? 4!?
私は全身から血の気が引くのを感じた。
冗談じゃないわ!!
そんな新生児よりも脆い方にお仕えするなんて、脱力している場合じゃない!
魔王の加護があるから魔王妃の儀式は大丈夫かも知れない。
でも、王家の方に対しては魔王の加護は働かないのに、人類最弱のセイラ様は人類最強のダイカル様と同じ部屋でお過ごしになり、人類の中でもかなり上位であられるダイカル様のご家族と常に一緒に暮らしていかれるのだ。
そんな。躓いて転んだだけでお亡くなりになるかも知れないような方、中身を抜いた卵の殻と同じだわ。
できることなら、”取扱注意”の札を貼って、ガラスケースの中にいていただきたい。
私は、とにかくセイラ様の側に付いていることにした。
ケイアナ様が修行を付けていただけるそうだから、短期間で確実にレベルは上がっていかれるだろうけれど、取りあえずはどんな衝撃も厳禁。
絶対安全に努めなければと考えた私は、ホーガーデンさんに相談してダイカル様とセイラ様のベッドを分けてもらい、ティムニアさんにお願いして初日のお風呂を一緒にお世話してくれるようにお願いした。
万が一があって、手が当たっただけで体勢をお崩しになってダメかもしれないもの。
翌日には、セイラ様は新生児並みのレベルになられたようで、私も多少は心得のある回復魔法をいつでも使えるように意識して、お怪我をなさらないように細心の注意を払ってサファを手伝いに命じて、2人でお世話を始めた。
そうしてだんだんとセイラ様がレベルを上げていかれて、今ならもうひとまず大丈夫、と安心した頃だった。
セイラ様がお部屋に引き籠もられた。
原因は、ご懐妊だった。
異世界からやってこられたほぼその瞬間に、セイラ様は不運にもダイカル様と契りを結ばれて魔王妃になられた。
魔王妃になられたということは、当然その可能性はある訳なのに、セイラ様は気丈にその心配を抑えて耐えておられたのだろう。
でも、懐妊なさったとしか考えられない時間が経過して、セイラ様にはもはや耐えられなかったのだろう、泣いて、悪夢に飛び起きて、荒れてを3日間繰り返された。
それに直面して、私は初めて、セイラ様が何をお考えになって何を望んでおられたかを全く考えていなかったことに気が付いた。
──ただ、壊れ物に触るように距離を置いて見守っていただけ。
自分のふがいなさに気が付いて後悔をしながら、セイラ様に遅れて月の印が現れたと聞いて、セイラ様に付こうと居室に入ったときに、それは聞こえた。
「……、男が生理生理って大声で騒ぐな! 」
ダイカル様の声に、私の思考は停止した。
──セイラ様は、殿方?
なんてこと。
私は本当に、何も見ていなかったのだ。
その日はそっと居室を出て、翌朝、私はセイラ様の性別に関わることには触れずに、サファに自分が至らなかった反省点を列挙して、これからは改めて誠心をもってセイラ様にお仕えするための相談をした。
セイラ様が城付きメイドとして働きに赴かれるまでの短い間だったが、私とサファはできるだけの誠意でお仕えした、と思う。
◇◆◇◆
セイラ様が城付きメイドとして居室を出て行かれてから少しして、ダイカル様の様子がときおりおかしいことが執事とメイドの間で噂になった。
アスリー様のお体が爆散した直後の、少し焦点の合わない目つきをなさって、ぼうっと表情が抜けた顔をなさるときがある。
振る舞いに変化は一切出ておられなかったものの違和感があり、ダイカル様には内緒で内々に回復術士や医師に様子を看てもらったが、原因は掴めなかった。
やがて、セイラ様がアスリー様の幽体が掠われた事件の手掛かりとなるかもしれない情報をお持ち込みになると、ダイカル様はその調査をお始めになって、少しずつだが解明が進んでいたようだった。
だがその調査は、アトルガイア王国を探っていた密偵からもたらされた情報によって、突然に打ち切られた。
ダイカル様が目に見えて落ち着きをなくされ、アスリー様が身罷られたとして、アトルガイア王国への戦争を決意なさった。
その取り憑かれたような様子に、ケイアナ様はご自身の身に危険をお感じになるとともに、ダイカル様の様子の相談をなさるために、魔法に優れたエルフの国へ相談に赴くとお決めになり、ホーガーデンさんとティムニアさんに指示をなさって、ジャガル様とともにエルフの国サーフディアへ脱出する計画をお立てになった。
だが、結局のところ、ケイアナ様はセイラ様を助けに駆け付けられ、空間魔法で指示をなさって、ホーガーデンさんとティムニアさんがジャガル様を護衛してサーフディアへと向かわれてエルフ国との相談もお二人に一任され、ケイアナ様はセイラ様と獣人の国アスモダへと向かわれることになった。
セイラ様とはこれでしばらくお別れになる。
私とサファは短いメモを書いて、セイラ様のご無事を願うことをお伝えすると、セイラ様からも心のこもったお返事があった。
”ありがとう。必ずお礼に戻ります。”
その文面をサファと2人で見詰めて、それから顔を見合わせて、微笑んで頷きあう。
すると、サファの体が、ぼうと淡く輝くのが見え、驚いて確認すると自分の体も輝いていた。
この効果が何かは知っている。ホーガーデンさんやティムニアさんから何度も聞いた、”魔王の眷属”の称号が与えられるときの効果だ。
(ホーガーデンさんとティムニアさんがケイアナ様から”魔王の眷属”を賜ったように、私達もセイラ様から賜った……。)
「サファ。王家のために何ができるか調べて、私達なりに尽くすわよ。」
私とサファは遠縁だ。祖先からの系譜を考えると、たぶん2人とも知略系の能力を授かっている。
私達の能力を早く確認して、王家のためにできることを探そう。
そう考えながら、私達はステータスを立ち上げ、お互いに与えられた”魔王の眷属”の称号を確認し合った。




