第13話 メイドは心遣いのお仕事です
「セイラ、今日の夕食は早めに軽く食べて、お客様の給仕と女性のお風呂の補助をお願い。終わったら夜食で良いから。」
3時頃、マイラさんが声をかけて来た。
はい、と返事をして、お客様の夕食の時間を確認する。今日はあと2組のお客様がお見えになるはずだから、ご案内してお茶とお菓子をお出ししたら夕食かな。
公用スペースを淑やかに歩き、バックヤードに入ってからはパタパタと走る。茶葉とティセットとお菓子をワゴン2つにセットして、お湯を用意すれば良いだけにしておく。
チリリン、と魔法道具が鳴って3番目のお部屋でお客様がお呼びになっているのを確認して、バックヤードをまたパタパタと走って、公用スペースで歩く間に息を整えて、お客様の部屋をノックしてご用事を伺う。
そうこうしているうちに、マイラさんから、セイラ、あとは引き継ぐから食事に行って、と指示があった。
バックヤードを再度パタパタと走ってお腹が鳴らない程度に食べると戻ってきて、お客様のお食事のワゴンが届くのを待つ。
今日のお客様はお城の偉い誰かに何ごとかを相談にいらしたようで、部屋ではお城の人と向かい合ってテーブルに着いていた…のだが、ちょっと挙動がおかしい。よく観察すると、運んできたワゴンを緊張した顔で見ている。
うーん、ひょっとしてテーブルマナーかな、と思って観察していると、お客様はワゴンが到着してからお城の人の一挙手一投足を固唾を呑んで見詰めている。
これはテーブルマナーで間違いないな。なので、こっそりと教えて差し上げることにした。
水の入ったボウルを出す際に、それを不安そうに見詰めるお客様の視界にしか入らない程度に、空いた方の手をボウルに添える振りをして、指先をこちょこちょと動かして手を洗う仕草をしてみせる。
お客様は気が付いたようで、驚いてこちらを見上げる視線に軽く微笑んで応える。
食事のお皿を運ぶ際には、使うフォークやスプーンを微かに指さしてお教えすると、お客様は目に見えてリラックスし始めた。お城の人との会話が弾んでいく。
給仕が終わると別の部屋にいる女性のお客様のお風呂のお世話をするユルアを補助する。こちらはいつもお世話してもらっているライラを補助するサファのイメージで、お客様の反応を見ながら手伝っていく。
◇◆◇◆
一日の仕事が終わり、夜食を摂ってお風呂に入って部屋へと戻ると、みんな部屋に戻って寝間着に着替えていて、お疲れー、と声を掛けられた。俺もみんなに、お疲れ様です、と声を掛けてベッド脇に座ると脇から道具を出して、みんなが髪を解いたり肌の手入れをしているのに並んで俺も同じように手入れを始める。
ここに来るとき、ライラが持たせてくれた荷物の中には着替え数枚と一緒に櫛や髪を縛る紐と化粧水、生理用品などが入っていた。本当にライラには感謝だ。
一通りの身支度が終わると、フロアの一角にバスタオルを敷いて、最早日課になっているいつもの柔軟体操を始める。
「うわ……柔らか。ホント、関節、どうなってんだろ。」
「骨をどっかに落としてきた娘がまた何かやってる。」
まだ見慣れないのだろう、口々に何か言っていたが、ノーメが面白がって近づくと、両脚を広げて足をべったりと床に付けて前屈した俺の背中に乗っかろうとする。
体操中に手出しされるとちょっと俺が危ないときもあるので、警告の意味も込めて、広げた両脚をくるりと後ろへ回して腰を伸ばした反動で背中側に足を反り、ノーメの頭を後ろから両脚で挟んで引っ張ると、ギブ、ギブ、とノーメから声が掛かり、誰かが、うわ、体が裏返った、と言っていた。
裏返ったら恐いわ。体が裏返る訳ないだろ。
体が充分に解れたので柔軟体操は止めて、縛った髪を解きながらみんなの話に加わる。
みんなの話はたわいもない噂話なんかが多いけれど、俺が知らない女の子の常識がいっぱいに詰まっている。
うんうん、それで?、と相槌を打ちながら、今日もいろんなことを教わった。
それに、マイラさんや部屋のみんなや他の人と絶えず交流をすることで、俺の他人への対応のスタンスがだんだんと固まってきて、人のイメージを借りることなくセイラという個性で振る舞うことが出来るようになってきている。
うん、当面、女の子として生きるにはこの方向でいい。あとのことは、帰ってから魔王と相談になるんだろう。
◇◆◇◆
みんなとの雑談も一区切り付いて、解散してそれぞれのベッドへと潜り込んで寝ることにする。
うとうととしかけた頃、のしりと左脇に重さが加わった。
見ないでも分かる、この重さの感じはミッシュだ。
へえ、こんなところまで追いかけてきたんだ、と手を伸ばして頭を撫でていると、ふいに頭の中に声が響いた。
『おい、セイラ、そろそろ聞こえてるか。』
びっくりして半身を起こすと、黒猫が俺の指先を舐める。
『ようやく聞こえたな。まったく、レベル1からやり直しとは、アスリーの体も難儀なこった。』
間違いなくミッシュが話していると確認して、こちらの話をどう伝えようかと考えていると、頭の中で考えただけで良いぜ、と返事があった。
『ミッシュ、魔王妃の儀式の時は助けてくれてありがとう。それで、今さらな話で悪いけど、ミッシュはアスリーの使い魔でしょ。なんで私にくっついてるの。』
『俺とアスリーとの契約は、俺が力を貸す代わりにMPの1割をもらう条件だ。アスリーがどこに掠われたか、探したけれど分からなかったからな、アスリーの体を使っているセイラが契約をしてくれるまで待つことにしたのさ。』
要は餌欲しさってところなのかなと考えたら、アスリーの魔力は良質だからな、と返事があった。
『私、魔法適性がないんだけど、契約したら何かメリットがある訳? 』
『俺が代理で魔法を使えることもあるが、お前さんにとっては”強さ”を上げることができるのが大きいだろう。』
俺はがばりと起き上がるとベッドの上であぐらを掻き、ミッシュを抱き上げて両脚の間に入れると胴体を持って顔をこちらへと向ける。暗闇の中でミッシュの黒の混じった黄色い眼が光って見える。
『どういうこと? 』
『なに、アスリーが自分の”強さ”を上げるために使った方法だよ。
レベルアップの時に、セイラの希望によって俺が魔力とMPへ振り分けられるはずのポイントを”強さ”とHPへ振り分け直す。
アスリーは最初は100パーセントをHPに、ある程度満足してからは60パーセント40パーセントでMPとHPへ振ってた。簡単だろ。
ああ、ただセイラは魔法適性がないからな、放っておくと”強さ”に全部入れちゃうだろ。最低でも30パーセントは魔力へ入れてくれ。
でないと俺がやってらんねえ。』
俺は、うんうんと答えてから、あれ、と思った。なぜ今までミッシュと話せなかったのに、いきなり話せるようになったのだろう。
『俺と契約する相手が魔力3,000、MP5,000の条件をクリアしないと意思の疎通ができないことになってるんだ。今日のレベルアップで条件をクリアした反応があったぞ。
それと、お前さんがいつもやってる前屈と反転の体操、あれは俺にMPを送るためにアスリーが開発した簡易魔方陣だからな。』
そうだったのか。体が覚えるほどアスリーさんがあの体操をやってたのは、そういうことだったんだな。
『なら、契約をしても良いけど、契約の条件は魔力の1割だけで良いの?
それと、私と契約しちゃったらアスリーさんが帰ってきたときに困らない? 』
『1割で良い。アスリーの体はMPの伸びが異常だし、セイラもレベル上げは続けるんだろ。それに、契約はセイラがアスリーの体を使う間の限定契約にすれば問題はない。
だが、契約をするならここじゃない方がいい。周りに影響が出るからな。』
『分かった。でも、言っておくけど、私、1ヶ月はここでメイドをやってるから、その間はレベルアップは少しずつだからね。』
ミッシュの了解の返事をもらって、俺は周りの様子を窺うとミッシュを抱いたままそっとベッドから出る。部屋を出ながらどこか夜間の監視がなくて人が来ないところを思い出そうとする。
倉庫は夜間には警備が付いている。ならば、人がいないところはどこだろう。
思いついたのは、倉庫へ行く受渡所手前の小部屋だった。あそこは受け取った資材を仮置きするのによく使うが、人気は無く中には何もなかったはずだ。
小部屋へ向かい、少しドアを開けて中を窺うと、暗いはずの部屋に小さな明かりが1つ点いていて、その側に男女の人影がある。
耳に付く興奮した笑い声が聞こえて……ああ、これはダメだ。
そっとドアを閉めようとしているうちに、会話が耳に入る。
「ねえ、アスリー様が公式の場にお出にならないの。私、悪いことをさせられてないよね。」
俺はドアを閉めるのを止めて、そっと聞き耳を立てた。
「ん? ただ入浴後に塗るオイルをちょっと交換しただけだろ。
その後、魔王妃の儀式もちゃんと終わったし、問題なんかねえよ。」
「そう? でも、あのときだけ特別製ってなんか気になる……」
これ、何の話か確認しなきゃだめだ。でも、どうやって2人から話を聞こうかと考えていたら、ミッシュが話を持ちかけてきた。
『構うことはないから、この中で契約するぞ。それであいつらは動けなくなる。』
ミッシュと打ち合わせをして、いきなりドアを開ける。
部屋の中で抱き合っていた2人が慌ててこちらへ振り向くのも構わずに、俺はミッシュに教えられたとおりに指で宙に五芒星を描いて宣言する。
「我、セイラ ガルテムは我がこの体を使う間、ミッシュルグオに我の魔力の1割を供給する限定魔力契約をここに締結することを宣言する。来たれ重奏五芒星! 」
宣言の言葉が終わると描いた五芒星が浮き上がり、各先端に何重もの同心円に複雑な模様が書き込まれた魔方陣が光りながら立ち上がったかと思うと、それぞれがだんだんと重なってぴたりと一つになり、同心円の真ん中に五芒星が収まると光と共に周囲に衝撃波が襲った。
小屋の中がミシリと軋み、空いていたドアが吹き飛んで、部屋の外へと光が漏れる。
部屋の中の2人は壁に叩き付けられて気を失っていた。
やがて衛兵が駆け付け、何があったのかを調べに来て、俺は家令のホーガーデンに来てもらうように伝言を頼んだ。




