猿夢の奇怪人、爆誕
斯くして――オレ達は人面犬の退治に成功したのだが、或る意味人面犬事件以上に衝撃的な事実に直面していた。オレに人面犬を倒せる能力があった事、つまり其れはオレ自身が奇怪人である事という証拠に他ならない。其れも、そこそこに強そうな人面犬の集合体でも一撃で殺せてしまう程の強力な能力の奇怪人。戦闘能力だけを見れば、現状最強の奇怪人である口裂け女に匹敵するんじゃないかというのがてねと光の見解だ。
「それで……てねと光はアキラ君がどの奇怪人なのかは解っているの?」
はゆまは珈琲を白いブラウスに零してしまったのか、水で濡らした布巾で汚した部分を叩き拭きしている。ポンポンポンと布巾で胸元を叩く度に豊満な乳房が揺れているし、濡れた部分から若干下着が透けて見えるしで凄まじい威力のサービスショットなのだが、寧ろ見せつけられているのかただの無防備なのかどっちなんだろうか。クソビッ……男好き尻軽女社長のやる事だから、前者のような気がしてならない。
「光が言うには恐らく猿夢じゃないかって。ウチもそう思う、あんなグロさに極振りした殺し方って他には中々思い浮かばないもん」
「猿夢! それはまただいぶ怖いのが来たわね……」
てねと光ははゆまがマグカップを落として割ってしまった後処理をしている。光は雑巾でカーペットにこびりついた珈琲汚れを拭き、てねは割れた破片をコピー紙の上に集めているところだ。オレに関する騒動のせいでこんな事になってしまったんだから、オレだけ何もしないのは些か申し訳ない気分になるんだが、右足に負傷しているんだからとりあえず其処に座っていてくれって言われた。歩けない程では無いがまだ痛みはあるので、仕方なく黙って机の傍らにあるソファーに腰かけている。
「猿夢……って何だ?ていうか、オレが知らない話なのにオレの能力になるとか有り得るのか?」
それこそ、記憶喪失の影響で忘れてしまっているだけかも知れないが。オレが光とてねに向かって問いかけると、光は「え? そこから説明しなきゃダメ?」とでも言いたげな顔で深々と溜息を吐いた。
「猿夢って言うのはね……」
拭き掃除を終えた光は汚れた雑巾をバケツの中に放り込んでから話を始めた。これは少し長くなりそうだし、自分に関する事だから真剣に聞かなくては。光と同じくらいの目線になるように姿勢を正して、彼の語りに意識を集中させる。
――これはとある女性の体験談。女性は夢の中で無人駅に1人で立っていた。無人駅に「まもなく電車が来ます。その電車に乗ると恐い目に遭いますよ」といったアナウンスが流れる。女性は、今自分は夢の中に居るという自覚があった。どうせただの夢だし、夢なら途中で覚めれば良いだろうと思って女性はその電車に乗る事にした。やって来た電車は普通の電車では無く、昔子供の頃に行った古い遊園地で乗ったことがある猿の頭の形をした電車だった。女性が乗る前から既に何人か乗客が居たが、何故かみんな顔色が悪い。異様な雰囲気を感じつつも女性は唯一空いていた後ろから三番目の席に座った。
電車が動き出して間もなくして「次は活け造り~次は活け造りです~」と男性がアナウンスをする。活け造りなんて変な名前の駅だなと思っていたら、一番後ろの車両から男性の悲鳴があがる。見ると、一番後ろの車両に4人の襤褸切れを纏った小人が刃物で男性の体を切り刻み、1つずつ内臓を取り出していた。それこそ、魚の活け造りを作るみたいに。活け造りにされた男性はそのまま息絶えた。
暫くして次のアナウンスが流れた。「次はえぐり出し~次はえぐり出しです~」アナウンスが終わると同時に、女性のすぐ後ろの車両から女の悲鳴があがる。2人の小人が大きなスプーンで女の眼球をえぐり出していた。眼球をえぐり出された女はその痛みに悶え苦しみながらやがて息絶えてしまった。
順番からして次は間違いなく自分だ!早く覚めろ!夢から覚めろ!と女性は両手と組んで強く念じる。しかし無慈悲にも次のアナウンスが流れ始める「次はひき肉~次はひき肉です~」と。そんなアナウンスを聴いたら嫌な予感しかしない。覚めろ、覚めろ、早く覚めてくれと念じ続ける。その間にも小人たちは女性をひき肉にする機械を出現させ、機械のスイッチを入れる。ウイーーーン……と女性の顔の間近で鳴る機械の音。機械の風圧が顔と体に当たる。もう駄目だ!と諦めかけた瞬間、女性の視界が真っ暗闇に閉ざされた。
女性が瞼を開けると、目の前には見慣れた部屋の天井があった。全身、汗でぐっしょりと濡れていたが其処は間違いなく自分の部屋のベッドの中だった。女性は恐怖から解放された安心感から思わず涙を流す。が、その瞬間あの男性アナウンスの声が頭の中に鳴り響いた。
「逃げるんですか?次来た時が最期ですよ」
女性はあれから一度も猿の電車の夢を見ていない。だが彼が言うように、次にあの場所に来た時が最期なんだろう。現実世界では心臓麻痺でも、夢の中ではひき肉だ――。
「……っていう話」
「うおお……予想以上にエグい話だなおい……」
猿夢って言うくらいだから猿に関する都市伝説かと思いきや、猿要素は1ミリくらいしか無かった。だが、あの巨大人面犬は活け造りみたいな屍になった理由は理解出来た。話の中に男性が活け造りにされるみたいに内臓を取り出されて死んだというエピソードに由来しているんだろう。
「猿夢は最近出来た都市伝説でも特に最恐って呼び声が高いんだよ! 何しろ夢の中で殺されるとか体験者からしたら回避しようが無いもん! そんな能力を手に入れたアキラさんはまさに『エルム街の悪夢』のフレディ……否! 『つつじの宮の悪夢』のフレディだね!」
「そういや昔そんなホラー映画があったな」
夢の中で殺されるのを防ぐためには眠らないという手段をとるしかない。だが睡眠をとらずにいられる人間なんて居ない。故に対抗手段は無いに等しい。しかも日常生活において最も重要な休息時間である睡眠時間が恐怖体験で塗り潰されるという理不尽さも『エルム街の悪夢』と猿夢が最恐と言われる所以なんだろう。
しかし話に聞く猿夢とオレに宿った能力には相違点が多いように感じる。オレに本当に猿夢の能力があるんだとしたら、眠っている対象の夢の中に入って殺して現実世界では心臓麻痺で死んでいるように見せられる筈だ。なのにあんな大っぴらに活け造りにしてしまっていては猿夢の本来の恐ろしさの半分も再現出来ていない。
「でもオレには未だにどうやったら能力が発動するのかわかんねぇぞ。さっきも意識が途絶えたと思ったら目の前に人面犬の活け造りが転がっていたっていう状態だったし。最初って皆そんなもんなのか?」
「うん、そんなもん」
「ボクも能力が発現した時は大変だったよ。何日も高熱が出て、それが怪人アンサーの能力によるものだって解ってたから熱が下がるまで寝てるしか出来なくて、でも常に頭の中に色んな情報が錯綜してるからなかなか眠れなくて……アレは中々の生き地獄だったね」
「ああ、知恵熱ってやつか……そりゃ大変だっただろうな……」
怪人アンサーが持つ知識量を無理矢理この小さな頭に詰め込もうとした結果体の方が耐え切れなかったという事か。普通そんな事をしようとしたら間違いなく死に至りそうなものだが、死ななかったのは彼が既に死人だからという理由しか無いんだろう。そんな生き地獄とも言える困難を乗り越えたその人間離れした根性、賞賛に値する。手が届く距離に居たら頭を撫でてやりたいところだったが、残念ながら手を伸ばしても光の頭は届きそうにないので断念した。
「ウチは光に比べたらぜーんぜん。最初の内は隙間に入るコツが掴めなくて何度も頭を壁に激突させたくらい。今は慣れたもんで普通に扉開けて部屋の中に入るくらいの感覚で隙間の中にするっと入れるよん」
「やっぱり能力を手に入れても最初はコツを掴むまで練習が必要なんだな。じゃあ……あの本棚の隙間とか入れるのか?」
オレはてきとうに目の前に置かれた本棚と壁の間にある僅かな隙間を指で示す。するとてねは元気よく頷いて得意げに返した。
「あんなん朝飯前! 本棚と壁の隙間どころか本と本の隙間だって入れちゃうし!あっどっこいしょっと」
「っうおわああああ?!」
猫すら入れ無さそうな細い隙間の中にてねの体は一瞬にして吸い込まれてしまった。それだけでも十分びっくり映像なのだが、薄暗い隙間の中にてねの双つの目が縦に並んでジィ……ッと此方を見詰めて来る絵面が、かなり精神的に来るタイプのホラー映像になっていた。
「あ、因みに隙間女の能力はね……部屋のありとあらゆる隙間に身を潜めてはジーッと部屋の主を見詰めて来るだけなんだけど、常に誰かに見られている恐怖に晒され続けていく内に部屋の主は気が狂わせて自ら命を絶ってしまう。そこから転じて、隙間女の視線には対象の人物の気を狂わせる力が込められているって事になったらしい」
「って事は、あんまりてねちゃんの目を見つめ続けていると……大変な事になっちゃうわよ~?」
「じゃあこの状況相当ヤバイじゃねぇか!! おい、てね!早く出て来い!」
「何よぉう、自分から入れって言ったくせに……よいしょっと」
地べたに座っているところから立ち上がるくらいの軽々しさでにゅるりと狭い隙間から頭、上半身、下半身の順番で這い出て来た。本当にどんな狭い隙間でも出入り出来る事は解ったが、一体隙間の中彼女の体はどういう仕組みで収納されているんだろうか。少し気になるところではある。
「そんなに心配しなくても、多分見詰めているだけで人を狂わせる事が出来るのって数日単位でかかる事なんだよね。だから数分、ましてや数秒間ウチの目を見ていたところで大した被害は出ない筈だよ」
「何だ、そうなのか……」
それを聞いてホッと胸を撫でおろす。見詰められただけで自分の意志関係無しに自害をさせるほど気を狂わせる目ってとんでもなくおっかねぇぞ。しかし、大丈夫だと解っていてもそんな話を聞いた後では少してねの目を見るのが恐くなってしまったのが本音だ。
「確かに原典の隙間女も数日かかってるしね。でも、その人を狂わせる目も隙間女のスキルの1つなんだから、隙間に入る能力同様に修練を重ねればスキルアップ出来ると思うんだけど」
「そうねぇ、一瞬目が合っただけで敵を狂わせる事が出来たらてねちゃんも最強の奇怪人の仲間入りじゃない?」
そんなスキルを身に着ける事が出来たらメデューサ並みのチートモンスターになるじゃないか……この組織の戦闘力は大いに増強出来そうだが、そうなると日常生活にもかなり支障をきたしそうだ。案の定、てねはいかにも乗り気じゃなさそうなテンションで答えてきた。
「あー、興味無いです。隙間に入るのは楽しいけど、人を狂わせるのってそんなに楽しく無さそうだし」
「あらそう?」
矢張りてねは奇怪人ではあるが、比較的常識的な感性を持ったごく普通の女性なんだな。と思う反面、オレが人面犬に食われかけていた時の不気味な程冷静な態度が気になってしまう。別にあの態度について腹を立てている訳では無い。ただ、こうして目の前でオレに対して気さくに接してくれている優しいてねと、奇怪人同士の命のやり取りにおいて妙にドライで冷静なてね、どちらが彼女の本性なんだろうか……今はそれが解らないから薄気味悪さみたいなものを覚えてしまうのだ。