10.兵器は夢を見る
『TYPE:C』――ハナを見てそう呟いた眼帯の老人は、それ以上何も語らなかった。
夕食の席ではハナが俺たちの馴れ初めを嬉々として話し、結局老人については何も分からないまま、借り部屋へ戻ることになったのだ。
「うぅ……まだ頭がグルグル」
極彩色の巨大鳥をすっかり手懐け、アクロバティック飛行を楽しんでいたハナは珍しく参っていた。さすがの彼女も、重力には弱いらしい。
「ベッドでゆっくり寝てろよ。ここを出るのはどうせ、明日の朝なんだからな」
「グライル、シャワー浴びてからこっち来て。モフモフの毛がすごい」
「……おう」
服についた毛は、外で落としてきたつもりだったが――洗面所の鏡の前に立つと、黒髪に白い毛がふわふわとまとわりついていた。
頭をとかすついでに、1週間ぶりに髭を剃る。そうして身なりを整えれば、冴えないオッサン(この世界では25歳だが)でも少しはマシに見えた。
「……なんで俺、見た目なんか気にしてんだ?」
ふと、また幻聴が頭の中に流れ込む。
『家ではいつもシャツにトランクスだったよね。なんか……もう完全に「家族」っていうか。女として見られてないのかなって』――元妻、衣里の声が、コビト族の村で聞いた時よりも鮮明に響いた。
ガサツでズボラな俺に対して、離婚届を差し出すついでに放った「最後の言葉その2」だ。
「まさか……」
もはや、この世界での俺の生命線になったアイツ――ハナに対して、この俺が「どう見られているか」を無意識に気にしているというのか。
元の世界だと、娘でもおかしくないほど年の離れていそうな見た目のアイツに、色気なんて感じるわけがない。もしそうだとしたら、俺のセンサーがぶっ壊れただけだ。
「いや、ねぇ。絶対ねぇよ……」
「グライル?」
「うぉっ!?」
とっさに振り返ると。壁の向こうから顔だけ出したハナが、不満げにこちらを見つめていた。
「おそい。寒いから、早くこい」
「はぁ?」
氷の町や砂漠の夜はまだしも、熱帯雨林で寝ていた時すらコイツは「寒い」と俺にすり寄っていた。この部屋も、暖炉に火が入っているはずなのだが――。
「お前、冷え性なのか?」
「ヒエしょう……?」
ため息混じりに「分かった」と呟き、ベッドで丸くなるハナを抱えた。
後ろめたい思いは拭えないが、コイツとくっついたまま寝ることにも少し慣れてきた。触り心地の良い長い銀髪を、こっそり指で梳いていると。ハナの赤い瞳が俺を見上げ、無邪気にアゴをなでてくる。
「おっ、ツルツル」
「やめろよ! 触んな」
「……ごめんなさい」
素直に手を引っ込めるハナに、胸の中心がぎゅっと締め付けられた。今のは大人げない対応だった――余裕をもつどころか、いつの間にかコイツの一挙一動に振り回されている。
「グライル……」
瞬きもせずにこちらを見つめるハナは、凍氷町の宿屋で聞いた言葉を繰り返した。
「『ハナはこれから、なにをする』……について、ずっと考えてた」
「答えが見つかったのか?」
「うん……」
ここで初めて、ハナは目を逸らした。少し緊張しているらしい。安心させようと、腕の中の熱をより強く抱きしめると。
「ハナ、子どもがほしい」
盛大にむせそうになったのを、何とか思い止まった。
子ども――今、そう言ったのだろうか。
すっかり温まった身体を引き離し、とりあえずベッドに座らせた。
「おまっ……じ、順序だてて分かるように話せ。いいな?」
つまり「自分と繋がりのある家族が欲しい」――ハナはそんな趣旨のことを、淡々と話した。
「……そうか」
コイツはずっと孤独だったはずだ。俺が知らない時間も、ずっとずっと――「家族が欲しい」という純粋な言葉に、胸が締め付けられる。
「……ゆっくり考えろよ。お前はこの先ずっと自由で、学校に通ってみたり、たくさん遊んだり、何でもできるんだからな」
「でも、ひとりじゃつまらない」
「グライルと一緒がいい」――真っ直ぐにこちらを見つめるハナから、ふと視線を逸らした。
前世で元妻に辛い思いをさせた自分が、コイツを幸せにできるのか。
ハナが自由になるのを見届けて、その後どこかへ消えるつもりでさえいた――が、俺の腕を強く掴んだまま離さないハナの、曇りない瞳に捉われたまま動けなくなる。
「俺は……」
答えのない、その先を紡ごうとした瞬間。優しいノックが響いた。
「よかったら、夜食を一緒にどうかね?」
ペンションと牧場を管理する老人、ハーメルの声だ。
「グライル……?」
「……行くか」
逃げたことへの罪悪感を覚えつつも、「助かった」とハーメルの誘いに乗った。
モフモフの山猫が暖炉の前で丸くなって温まる、薄暗いリビング。そこで俺たちは、バターとチーズたっぷりのフォンデュ鍋を囲んだ。
「チーズは牧場の動物たちがくれた恵み、野菜はワシが育てたものじゃ。たんと食べなさい」
この気の良い老人には、逃走中であることを隠したうえで、道中の出来事について話している。俺が軍服を着ている理由には触れていないが――。
「……なあ。アンタ、軍人だったのか?」
暖炉の前でコーヒーをすすりながら、思い切って尋ねると。彼は驚いた様子もなく微笑んだ。
「……ああ、昔のことだ。もう辞めたよ」
「何をしてたんだ?」
「戦争を終わらせるため、戦っていたつもりだった」
それだけ言うと、ハーメルは少し遠くを見た。おもむろにポケットから取り出したのは、一枚の古い写真。そこには、若かりし頃の彼と、彼に寄り添うひとりの女性が映っていた。
「……ワシは結局、何も守れなかった」
暖炉の炎に照らされた横顔には、深い後悔の色が滲んでいる。
静かに続きを待っていると、やがてハーメルは口を開いた。
「お主たち、転生者のスキルについて、どれくらい知っている?」
その言葉に、俺はハナと目を見合わせた。
「……スキルは、転生時にランダムに与えられるものじゃないんですか?」
「実際は違うんじゃ」
ハーメルは静かに首を振った。
「スキルはランダムではない。ある程度、国によって操作されておる」
「……操作?」
思わず息を呑む。
ハナも山猫から離れ、こちらに寄ってきた。
「有用なスキルを勝ち取る素質のある者は、王国が管理する『全能神システム』によって振り分けられる。そして、軍にとって有用でないスキル持ちは……」
雑用か盾役にされる――老人があえて止めた言葉の先を想像し、無意識に拳を握った。
まさに俺自身のことだ。
「だが、それだけじゃあない……『特定のスキルを持つ者』は、意図的に『兵器』として育てられる」
その瞬間、ハナの肩が小さく震えた。
ハーメルの片目は、ハナをじっと見つめている。
「お前さんも……そうやって、軍に作られたんじゃないのか?」
やはり。
この老人はハナの正体を知っていたのだ。おそらく、二等兵だった俺よりも深く。
「ハナは……兵器は、戦争の道具」
ハナは小さく呟いた。
まるで、教え込まれた言葉を思い出すように。
「違う」
ハーメルの言葉は鋭かった。
「兵器は道具じゃあない。お主は、お主自身だろう……そうでなければ、こんなふうにここへは来なかったはずじゃ」
ハナは何かを言いかけ、口を閉じた。
そうだ。コイツはもう『人間』だ。
「ワシは愚かだった。軍隊という『序列至上主義』の中において、人の心を忘れてしまったんじゃ……人が人に順番をつける資格などない。ましてや人の力に、優劣などないということを」
ハーメルは詳し過ぎる。国軍の最下層にいた俺には到底知ることのない、「転生者の選別」や「魔導兵器に関わる事項」を知るなんて、相当上の立場だったんじゃ――。
「つまりアンタは、その選別に関わってたってことか?」
ハーメルは黙ったまま、コーヒーを静かに飲み干した。
沈黙を肯定と受け取った、その時。
「……っなんだ!?」
ペンションが揺れるほどの、乱暴な音が響いた。食器棚が揺れ、暖炉の火が大きく揺らめくほどの衝撃だ。
「……招かれざる客が来たようじゃのう」
すぐさま席を立ち、カーテンの隙間から慎重に外を見た。暗闇の屋外から聞こえてくるのは、重厚な鎧の擦れる音――。
「まさか……」
「グライル、また……?」
不安げに揺れるハナの瞳から、深いため息をつく老人に視線を移した。
「どうやらお主たち、つけられていたようじゃな」
彼は最初から、俺たちが逃げてきたことに気づいていたのだろうか。いや、今はそれよりも――。
「なんでアイツら、ここが分かったんだよ……?」
もう偶然では片付けられない。
「おーい、兵器泥棒の二等兵センパーイ! いるんだろ?」
アイス野郎のムカつく呼び出しを聞き流しながら、俺は玄関へと駆け出した。