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第十二話 ひと騒動

 中と連絡を取っていたゴブリンがこちらにやって来た。

「中に饅頭を持ち込む許可が下りました。厨房には料理人がいますが、本当に魔宰相様が料理なさるのですか?」


 偉い人は料理をしないと思っている顔だったので、説明する。

「俺は料理が趣味だからな。調理は慣れたものだよ」


 変わった人もいるものだと思ってゴブリンは不思議そうな顔をするが、中に入れてくれた。かつて知ったるダンジョンなので案内は不要だった。饅頭が入った木箱も楽々持てるが、さすがに悪いと思ったのか、木箱の運搬と案内はゴブリンがしてくれた。


 ナルバル実験場には厨房は三か所ある。三か所の内もっとも広い職員用の厨房に通された。厨房のスタッフはトロルだけだった。イットを見たトロルたちは「おや?」とばかりに顔を見合わせる。


 見知った顔のトロルが何人かいるが、トロルはイットには話し掛けてこない。


 メルダインがイットをよく思っていないので気にはしない。働いている者にすれば昔の主より、今の主だ。


「俺にはかまわなくていい、饅頭を蒸す場所だけ貸してくれ」


 昼食用の仕込み中だったが、まだ忙しくなる前なので竃は空いていた。見習い用のエプロンを借りて、手を洗って饅頭を蒸す。饅頭は蒸すだけの状態なので、手間はかからない。


 焦げたり蒸し過ぎたりしないように火加減と時間にだけ気を付けておけばいい。厨房の様子を観察していてわかったが、厨房スタッフの連携がスムーズなのは前のままだ。


 メルダインが連れてきたと思われる料理人はいない。人事異動をして旧スタッフを一箇所に集めて、残りの二箇所にナーガ用の料理人を配置していると予想できる。


 職場の力関係に疎そうなトロルを探す。ひたすら、麺の生地を捏ねている若い職人がいたので近寄り尋ねる。


「新しくメルダイン様が連れてきた人たちって何が好きなんだ?」


 新人はイットをチラリと見た後に面倒くさそうに答える。

「ナーガ族は卵好きですね。良い卵はみんな第二厨房に運ばれます」


 口の利き方からいってイットがつい先日までナルバル実験場の主だった経緯を知らないと見えた。イットの事を知らないほうが都合はいい。身分を明かさず話の調子を合わせる。


「饅頭とか食べるかな?」


「わからないですね。プリンのような卵を使った甘い菓子は好きですがね。あとはカスタードをたっぷり使ったシュークリームが受けます」


「肉饅はどうなの? 魔王饅頭とか」


 若い職人は苦い顔で小さく首を横に振った。

「ダメダメ、そんなの出したら食べずに捨てられますよ。どうしても、食べてもらいたいなら、饅頭の中身をカスタードクリームにしないと」


 残念な情報だった。ナーガ族の文化圏が甘い物を尊ぶなら魔王饅頭の高評価は望めない。かといって、魔王饅頭の中身をカスタードにしたら、進んで敗北を認めるようなものだ。ダンジョンに売込むのはやはり無理だと確定した。


 饅頭が蒸し上がる頃に三人のトロルがやってくる。先頭には先日こっそり餞別をくれた老トロルがいた。


「いままで働いてくれた者に礼も言わずに去って悪かった。心ばかりの感謝の気持ちに魔王饅頭を蒸しているから、できた分から持っていってくれ」


「感謝いたします」と素っ気なく老トロルは頭を下げる。以前にイットを敬えない理由を聞いていたので、気にはしない。むしろ、少し冷たいくらいでいい。老トロルに迷惑をかけるわけにはいかない。


 老トロルの態度は素っ気ないが、他の二人のトロルは魔王饅頭を見て顔を綻ばせる。

「これ塩気が効いたやつですよね?」


「昔ながらの魔王饅頭だ」


 二人のトロルはニヤッと笑って顔を見合わせる。

「やはり甘い饅頭より塩と香辛料の効いた饅頭だよな」


「違いない、違いない」


 老トロルがギロリと二人を見ると、二人は首を竦める。事情がわからんが、ダンジョンで出す料理の味付けの方向が全体的に変わったと推測できる。


 メルダインが連れてきた総料理長の味付けだと、地元で働くトロルの味覚に合わないか。無理もない話だ。


 昔は山の中では塩は潤沢に手に入らない。なので、塩や香辛料が効いた料理は高級との考えが山のトロルにはある。


 厨房に一人の小柄なナーガの男がやってくる。男はチョビ髭を生やしいる。男が卑屈な笑みを浮かべて話し掛けてきた。


「私はメルダイン様の元で侍従長をしているアジャと申します。魔宰相様におかれましては、ご健勝のことまことに喜ばしい限りでございます」


 言い方は丁寧だが、心がまるでこもっていない。何かを企んでいる態度がありありと出ている。かといって、突っかかるほどイットは小者でもない。


「いやいや、当方はふらりと寄っただけ。お気遣いは無用です。むしろ、こちらの我儘を聞いていただき、寛容なメルダイン様には感謝しております」


 当たり障りのない挨拶だが、アジャは気をよくした風で頼んできた。


「当家の主をそのように過分に評価していただき、誠にありがたい限り。また、そのように評価していただけると私としては頼みやすい」


 これはなにか問題をふっかけてくる前振りだと予感した。だが、腰が引けた態度を取るようでは本物イットの体面に傷がつく。イットはあえてどっしりと構えた。


「何かお困りごとですか、良ければ相談に乗りましょう」


「魔宰相様といえば音に聞こえし戦いの達人、実力を見込んでお願いがあります。当家の若者に稽古をつけてもらえませんか」


 普通は魔宰相を相手に鍛錬を頼みはしない。これは痛い目を見たくなければもう来るなとのメルダインからの警告だ。だが、メルダインのやり方はよろしくない。イットの実力を甘く見過ぎている。


「いいでしょう。私で良ければ実力を見てあげましょう」

「ではこちらへ」とアジャは意地悪く笑う。


 イットはアジャに従いて歩く。別にメルダインの鼻を明かしてやりたいわけではない。メルダイン側の武力を知りたいとの思惑があった。


 腕づくでダンジョンを取り戻すつもりはない。ただ、メルダインの部下がどの程度できるかは覚えておいたほうがいい。町の冒険者ギルドは機能していないが、老人たちはしっかりとした実力を持っている。


 町の入口の門衛を見て人間は弱いと勘違いしてもらっては困る。まかり間違って攻め込めば痛い目に遭う。悪くすればメルダインは部下を失いかねない。


 町には侮れない女剣士がいる。女剣士を刺激して攻め込まれてメルダインが討たれても困る。籠城して戦えるくらい強い武人がいないと町でおちおち饅頭も作れない。

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