89:へっぶしっ!
「へっぶしっ!」
「おや、風邪かい? すまないね。【治癒】でも――」
「いや、湯気にムズムズしただけですよ。お気遣いなく」
『清浄』や『温暖』などの色々な便利機能が付いている快適なテント内空間。
置かれた魔導コンロの上には、くつくつと鳴る鍋とジュジューと子気味いい音を上げるフライパン。
「ふぅ……そんなに警戒しなくてもいいよ、と言っても信じてはもらえないのだろうね」
涼やかな目元に少しの苦悩と微笑を乗せて、繊細さと凛々しさを併せ持つ唇から吐息が漏れる。
嘆息するのは、イデアルと名乗ったイケメンだ。
それすら絵になるんだからたまったもんじゃない。
なんだその尖った襟は? かっこいいじゃねぇかふざけんな。
あっいやいや。このイケメンと装備に罪はない。
謝罪が出る以上、割とまともな青年と言えるだろう。
「これは性分ですから。さ、そろそろ良さそうですよ。どうぞ」
『――あっお腹すい……ごめ……さーい』
「ありがとう……おぉっ柔らかくて美味しいじゃあないか。これは魚の魔獣肉かい? 野外でこんな物を食べられるとは思ってなかったよ。最近のレーションも悪くはないけど、それだけでは味気なくてね。君は料理アビリティでも持っているのかい?」
『――わたくし……して……ことにぃ』
「いやいや、これは炙ったカブーの骨からいい味が出てるんですよ。それと圧力を掛けてもらったその魔法のお陰ですね」
『――はぁはぁ……んっ……』
「へぇ。中々の物だよ。こっちパラパラの肉飯も絶品の味付けだ。――ちょっとごめんよ。失礼するね」
テントの入口が捲られ、気にしないようにしていた外の惨状が露わになる。
――そこには遠火の焚火に映し出される3つの生首
に見えるような高さまで地面に埋まった姿。
いやむしろ沼にズポーンって突き刺さったように見える。
こっわ! ナニアレ? 拷問?
「なぜわたくしまでお仕置きされるのぉ?」
「シトゥ。ぼくはね。『説得して連れてきて』って言ったんだよ。それがどうして『不意打ちで腹ぶち抜いて拉致してこい』になるんだい?」
「ふふふっ彼は歴代最高暗殺者なのよぉ! 策士は言葉の裏まで読むのが――」
「まず表を読んでくれよっ【重球】」
「イダダダダ! 埋まっちゃう埋まっちゃうわー!」
「わたくしはお仕置きされる言われはないわよぉ あっ苦しい感じがそっくり! ねねっあたしは悪いことしてないよー」
「ペイリ。どうして『レンタルした車』があそこに『鉄くず』になっているんだい?」
「『ハート』に聞いたんだぜぇ! 森も踏破できるってなぁ!」
「レンタル会社に聞いてくれよっ【重球】」
「うぎゅー」
「はぁはぁ……そんな酷い……んっ……ヤルならヤレよっ」
「……」
「……えっ? 何もしねぇのかよっ! あっでもそれも……はぁはぁ」
……三者三様の大岡裁きだ。
『重力魔法』とかいうとんでも魔法でお仕置きが行われていた。
重力操るとかなんでもありの魔法世界。
即席圧力鍋も思いのまま。
こんな状態じゃ無ければ色々と聞いてみたい所だ。
後1つ分かった……この人は苦労している上司だ。
あの3人マジで話聞かねぇもの。
鍋を囲うのはもう少し埋まって貰ってからでもいいかなって思うもの。
さっきより虫の声が響くように感じられる中、ズズっと魚介鍋を啜る。
小さいながら激しく燃える焚火がパチッと音を立てて崩れた。
◇
「『指名クエスト』を出してもギルドに弾かれてしまってね。直接依頼するしかなかったんだ」
『それがこんなことになってすまないね』と何度目か分からない謝罪の言葉が広いテントに響く。
呆れたような視線の先には、急いで鍋を突き、肉炒め飯を頬張るお仕置き済の3人。
「『拘束腕輪』がまだ付けられているということは、『やらせる』こともできるのでは?』」
「それには何の釈明もできないよ。もう説得力は無いだろうけど、極力使うつもりはなかったんだ。でも君は『マナ感知』でも全く捕捉できない。シトゥの妄言じゃないけど埒外だと言わざるを得ないよ。それに既にこうなってしまった以上は、協力してもらうしかないからね」
ふむ。こいつは分かってる。
仕事を始めてしまった以上、一定の成果が必要になる。
『不測の事態が起きました』で終わるのは3流だ。
『不測の事態をどう展開させ活かすか』で仕事の良し悪しが変わってくる。
『拘束腕輪』はその選択肢の1つ。
このイケメンは必要とあれば容赦なく選択するだろう。
実力は折り紙付きの第1級冒険者『重力貴兵』のイデアル。
やはり注意すべきはこの男だ。
「静かになったことだし、明日からの依頼について話してもいいかい?」
「お断りさせてください」
「ふぅ……そういうと思ったよ。じゃあまずはお互いを知ることから始めてみようか。とは言っても、知っての通りある程度は君を調べさせて貰っているんだ」
「……」
「君には妹がいるそうじゃないか。君にとってどういった存在なんだい?」
「どういった? まぁそうですね……ポンコ、いや、どこかほっとけない女神のようなものですかね」
「同士よっ!!!」
「え゛っ」
軽いジョークのつもりだったのにガシっと握手が強制された。
ナニコレ? 若干の怖さが……
「ぼくにもいるのさっ! 女神が! 見てくれ! これがマイスウィートエンジェル、ルシアナだ!」
『女神なのか天使なのか』とか考えていたら、目の前にはズラリと絵が並んだ。
額に入れられた写真のように精密な絵画。多分これが【転写】による絵なんだろう。
見渡して見るに赤子がハイハイから立ち上がるまで。
時系列に並んだそれはまさに成長記録だ。
「あぁ可愛いらしいですね。……お子さんですか?」
「違う違う、妹さ! 至高のね! ふふっまぁでも嬉しいね。確かに目に入れても痛くなかったからね! 次はこれだ!」
『至高? 痛く……なかった?』と考えている内にさらにズラズラリと絵が並ぶ。
先ほどの立ち上がった所から今度は冬服に身を包んだ感じまでの。
なんか……成長記録の間隔が短くなってないか?
細かく刻んでるしA4サイズだから膨大な量になってるんだが。
「この『初めて車を見た時』はどうだ? 驚いた麗しい瞳に溢れ出る可愛さが迸っているだろう?! 躍動する髪の毛一本一本が神々しいだろう?! こんな絵では表現しきれないが魂を揺さぶる至高の存在がそこにはいるだろう?!」
「え、えぇ……そう、ですね」
「そうだろうとも同士よ! ぼくもこの場面を初めて見た時は震えたよ。いや、崩れ落ちたね。それに余りの神々しさに直視できなかったから実際は2度目になるんだけどね」
あっやべぇ奴だこいつ。
「この時の流れを置き去りにするような艶やかな髪。宇宙の星々より煌めく潤んだ瞳。天使の羽衣よりきめ細やかな肌に女神の微笑すら霞む麗しい唇。世界の頂点を頂くが如き鼻。全てが極めて繊細で美しい黄金比に見えるだろう? ぼくはこれをルシアナ比と名付けたよ」
あっ重度のやべぇ奴だこいつ。
「美しさの根源なのさぁ! いや、原初であり至高と言ってもいい! 唯一無二! 天下無類! ルシアナは茫漠とした世界に天が授けたもうた神の雫なのさぁ!」
恍惚の表情を浮かべ、まさに我が意を得たりと天を仰いだ。
1級冒険者『重力貴兵』のイデアル!
やっぱり注意すべきはこの男だぁ!
◇
「ぼくは親に感謝していることが2つあるんだ。ルシアナを生んでくれたことと、ぼくを先に生んでくれたことさ」
「ははあ」
「もしぼくが弟だったと思ったら心底ゾッとするよ。ルシアナの時間を逃してしまっていたかも知れないからね。そうだっ見てくれっ! 『25回目に転んだ膝小僧』から――」
「ちょ、ちょっと、後どのぐらいあるんですか?」
「13歳3ヶ月と6日までだから……この3倍ぐらいだよ」
『この』という言葉に、見ないようにしていた周囲に視線を巡らせる。
そこには妹を称える美辞麗句と共に飛び出す絵と飾り棚が所狭しと並んでいる。
魔導袋ではなく、『ルシアナバッグ3』と名付けられたそれから飛び出す物は、既にテントの役目を変え、入口は塞がれ出ることも出来ない。
こっわ! これもうホラーだよ!
圧がやべぇもの! 正気度がガリガリ減ってそうだよ!
『ルシアナに近づく害虫は片っ端から埋めた件』とか。
『妹を邪険にしている兄をも片っ端から埋めてる件』とか。
『ルシアナの抜け毛を集めて保管している件』とか。
ほんとお腹いっぱい。
もうガチもんのガチだよ。
ゾワゾワする感じがやべぇもの。
イケメンでも許されないレベルだもの。
ふざけんな! 帝国にまともな奴はいねぇのかよぉ!
「……君達は手を繋いで広場を散歩していたらしいね。……正直羨ましいよ。ぼくには叶わぬ夢だからね」
「ははあ。……え、えっ?」
「……ルシアナは……自由に外を出歩くことさえ難しいんだ。……魔素蓄積症でね。ほとんどがベッドの上さ。だから本当はこうしている今も一刻も早く会いたい。会って手を繋ぐことは出来ないけれど、1秒でも多く目に焼き付けたいんだ。もし……治療を続けられなければ……」
や、やめてよぉ……なんだよその急な展開……
おかしくなっちゃうよ! 感情のブレ幅エグすぎて心おかしくなっちゃうよぉ!
「……だから、ぼくは失敗することは出来ないんだ」
――君には分かってもらえるだろう?
投げかけられた言葉。
涼やかな瞳の奥には、揺ぎ無い確固たる決意と抜き身の刃のような冷たさが宿っていた。




