88:今夜の睡魔は……
「今夜の睡魔はどうやら遅刻しそうだ」
メルリンドは無理に作った笑顔でそう呟いた。
過る後悔を、不甲斐なさを、或いは今は待つしかない歯がゆさを、いつもより強い酒で流し込むようにグラスを傾けた。
彼の定位置だったカウンター席を見やる。
「まさか『拘束腕輪』とはな……大丈夫とは言っても、あんなに沈んだ声は聞いた事が無かった。もしかしたら今も酷い目に……うぅぅ」
テーブルに突っ伏し、あえなく流し込むのに失敗したそれらがすぐに漏れ出した。
「メル様……あれはっ……うっ、何でもありません……」
突っ伏したまま『プクー』と頬を膨らませ非難するような目を向けられると、有能な秘書も言いよどんでしまう。
それは先ほどまでの『ズルいズルい』と通話手段を黙していた事に対する抗議が、今も静かに尾を引いていることの表れだった。
シェフィリアとて仲間外れにしようとしたわけではない。
思い返せば不思議な【遠話】の魔導具を用いて連絡して来たのは、旅立ってすぐのこと。
驚くことに短期間に『貴族私兵』の情報だけでなく、その目的までも推測していた。
――もちろん、なぜ追い出されるようなことになったかも
自身の小賢しい演技の裏にあった想いを見抜かれた僅かな悔しさと、それでもその想いを汲んでくれた優しさに少しだけ胸が熱くなったのを覚えている。
そして『しばらく連絡が付かなくなる』と言っていたのが数日前。
それまで無事を確認していた定時連絡が途絶えた時は心配してしまった。
彼の話す他愛ない世間話は、まるで子供が初めて旅をしているように感情豊かで微笑ましかったから。
今思えば頑なに誤魔化すことも無かったかもと思える。
しかし『情報源は少ない方が良い』と伝えてしまった手前、『自ら広めてしまうのは……』だったり、『定時連絡を楽しみに感じていた……?』だったり、『メル様とも定時連絡? 断じて!』と色々と思うところがあったシェフィリアは言い出すことが出来なかった。
それらのやり取りが伝播した店内、いつもより少し静かな『白狼』。
まるで時間の流れが遅くなってしまったように、グラスの減りは遅かった。
そんな中、いつも通り空になったジョッキが景気よくテーブルを叩いた。
「がっはは。あいつなら大丈夫だろうよ。だから連絡してきたんじゃねぇか」
「分からないではないかっガノ坊! か弱き者には迷宮での夜など、不安でいっぱいであろう?」
「あいつはステータスこそ最弱だが、か弱くはねぇだろ。過保護すぎやしねぇか?」
「でもでも、ついこの間までミルパにもビクビクしてたのだぞっ 我の手にはあの震える手の感触が残っているのだぁ……うぅぅ」
「メル様……」
それは騒がしい酔っぱらい達も気を使うほどの湿っぽさ。
知らぬ者であれば『他所でやってくんねぇかなぁ』とでも思ってしまうだろう重い空気。
「おいおい。みんなの酒が不味くなっちまうぜ。はぁ……シェフィ、【防音】を頼む」
目に見えて消沈するシェフィリアは流麗で淀みのない詠唱を唱える。
訪れたのは静寂。ガヤガヤとしていた雑音も、響いて来ていた笛の音も今は届かない。
すぐに表れた魔法の効果。それはテーブルを中心とした即席防音室。
「うぅぅすまないガノ坊、シェフィ……気を使わせてしまった……」
「がっはは。気にすんな。それにちょっと話がある。まぁ分かっているとは思うが、今はまだギルド外秘だ。……例の『英雄の胎動』があいつの仕業だって言ったら信じるか?」
「なんだとっそれは確かかっ?」
「ロンメルギルドからの通達だ。間違いねぇ」
「どうやってドランゴルムを! しかも、ほんの僅かの間の討伐だと聞いたぞ。コイズミ殿のユニークスキルを以てしても、近づく前にやられてしまうではないか!」
「……あり得ません。協力者がいたのでしょうか?」
「詳細については黙秘。討伐パーティは3人。残りはマルテとレオだけだそうだ」
「むーん。3人の低級冒険者だけで、どうやって……ははっ信じられん! シェフィ、一体どんな戦い方をしたのだろうなっ?」
「ほとんどの討伐マニュアルでは前衛と魔導師を多数編成して、遠距離からの高火力魔法がセオリーとなっております。ですが、彼らの人数や能力ではそれは不可能でしょうし、何より時間がかかります。可能性があるのは……空間魔法で地面を掘り進み、腹下の魔石に特攻、というのはどうでしょう?」
「ふむう。確かにそれなら槍もスパイクも受けずに……いや、しかし動き回る敵の位置を正確に把握しなければならん。それに足に踏み抜かれでもしたら終わりだ。……確かレオ殿の【暴風】が強力だったな? 【暴風】で槍を押し返している間に近づく、というのはどうだ? 撃ち漏らしたのはマルテが受け流せば良いし」
「そうですね。あの【魔力】の高さでしたら可能かも知れません。ですが、複数回となると厳しいでしょう。それにアレを剣で受け流し出来るのはメル様ぐらいですよ」
「ふむーう。難しいな。もう2人に答えを聞きたいぐらいだ」
「がっはは。まだ休んでるから勘弁してやってくれ。それにな、この話には続きがある。ロンメルに設置された『壊れない街灯』、俺はあいつの仕業だと睨んでる」
「紅城塞の辣腕と呼ばれたアレか? 真新しい白い街灯は日中に見かけたぞ。あれで迷宮化を止めたのだったな。確か……ルージュベルと言ったか、若くして中々の才女だと聞いているが。それとどう関係するのだ?」
「あの街灯の情報は機密になってる。だから憶測になるが、俺は消えたウルム遺跡の石柱を加工したもんだと思ってる。要は【不壊】だ。本当に『壊れない街灯』なのさ」
「それは……それはっまさか! 【不壊】すらも凌駕すると言っているのか?! コイズミ殿の『空間魔法』は! 最早【加護】や【アビリティ】どころか【ユニークスキル】の域をも超えているぞ!」
「あり得ません。『古代魔法』を超えるのであれば、それは『神代魔法』にも等しい。ご存知の通り1万年以上も前に途絶えたとされています。それは些か飛躍のしすぎではないでしょうか。仮にそんな絶技を使える者がいたとして、公表すれば地位も名誉も……あぁ……そういうことですか」
「そういうことだ。俺らは知っているだろう? 金も地位も名誉も放り出しちまうような奴を。だからこそあいつの仕業なんだよ」
「もし本当にそんなモノが使えるなら、戦局も戦略もひっくり返る。ふふっなるほど、確かにか弱くはないな」
「えぇ。地形、戦場すらも変えられる。戦略の幅は想像もできません」
俯いていた瞳に輝きが戻っているのをガノンは見逃さなかった。
御伽噺にはしゃぎだす幼子のような変わり身に噛み殺した笑いが漏れる。
「くっく。まだ続きがあるぞ。そもそもの始まりは街灯が壊される事件からだったのは知ってるな?」
「ギルドの怠慢と言われてた事件だな。シェフィ?」
「えぇ。余りに捕まらないので犯罪クランとの癒着を疑われる記事までありましたね」
「おいおい、随分と元気になっちまってよぉ。痛い所を突いてくるじゃあねぇか。まぁいいから聞け。ついさっきロンメル市議のポリムンと『アルトバウ』の幹部が捕まったと連絡が来た。『壊れない街灯』のダミー情報を盗み出した犯人から足が付いたんだとよ」
「それはつまり、街灯を破壊していた組織の全容が判明したということでしょうか?」
「あぁ。ポリムンは副市長ルージュベルへのネガキャンと既得権益、『アルトバウ』は弱った『アイゼイレ』の鉄鋼産業を切り崩すのが目的。要は迷宮化で立ち退いた郊外の工場利用なんかを狙って共謀したんだとさ。そりゃあ市議が絡んでいたとなりゃ捕まんなかったのも納得だろう?」
「……捜査しているはずのギルド内にも協力者がいたと。まさに面目丸潰れだったというわけだ。……愚かな。それで被害を被るのは市民だというのが分からんのか」
「欲というのは、際限なく蓄積して、いつか溢れてしまうものなのでしょう」
「なんの弁解もできねぇ……同じギルド員として頭がいてぇな」
「ふふっ安心しろ。もしガノ坊がそんなことをしたら、何度でもケツを叩いて曲がった性根を直してやるからな」
「がっはは。それは勘弁してくれ。ケツが無くなっちまう」
「不衛生な話はそれまでにいたしましょう、その逮捕劇を指示したのがコイズミ様というわけですか?」
「不衛生って、そりゃ言い過ぎだろ! がっはは。あいつがそんなに目立ちたがると思うか? なんでも孤児院の子供の【超嗅覚】スキルで追えたそうだ。その【超嗅覚】をタレコミした奴が……言わなくても分かるだろう?」
「なんということだ……一体何が見えているのだろうな。市政とギルドの腐敗をも正していたとは」
「あくまでも裏方というわけですか……そういえば『愚物』事件の時もメル様の功績にしようとしていましたね」
「ふふっ我がアイゼイレまで引っ張って行ったのだったな。その後のアンギラ釣りの鈴の音の興奮は忘れられん」
「……アンギラ釣り? ……私は諸々の事後処理と聞いていましたが?」
「……ごくっ。ふー少し酔ってしまったなー えーと、何だったか?」
「もぅ」
「がっはは。だからよ。あいつの強さってのは――」
「強力な『空間魔法』ではなく、真に見るべきは『状況把握能力』、だろう?」
「『適切な時に適切な力を使う百術千慮。それこそが魔導師の神髄』これは師の言葉です。……ステータスこそ極めて低いですが、彼は間違いなく巧者に分類されるでしょう」
「ま、そういうこった。大丈夫って言ったんなら何とかするだろ。だがそれじゃ面白くねぇ、あいつがまた面白いことやる前に特等席を確保してやろうじゃあねえか」
「……ふふっまさかガノ坊に諭される日が来るとはな」
「くっく、良かったじゃねぇか。スヤスヤと眠れそうだろ?」
「いや、それは無理だな」
「なんだよ、まだなんかあんのか?」
「眠れなくなった。楽しみ、でな。というわけで、もう少し付き合ってもらおうか」
「おいっそれは絶対遅くなるやつだろ! 一杯だけだって言ったじゃねぇか!」
「ニーニャとクーゼリアには後で謝っておくから安心しろ」
「だから、その前が大変なんじゃねぇか! ったく、しょうがねぇ村長だなっ」
「ふふっどうした? 寝られそうにないか? 昔みたいに子守歌を聞かせてやっても良いぞ」
「あの呪歌は勘弁してくれっあれは眠りじゃなくて気絶だ!」
「ほぅ……言うようになったではないか。こほん。なんならここで一節――」
「ひぇっ! おやっさん黒エール1つ!」
「あっ今【防音】を解きました」
「はっ! いやダメだっ! 呪歌が漏れるっ!」
「……ほらよ」
「「「っ!」」」
「……歌うなら外の席だ」
戻ってきたいつものやり取り。
顔を見合わせ笑いが弾けた。
騒ぎながらも心配そうにチラ見していた無声映画の観客たちも、思い思いにグラスを傾ける。
【防音】を解いていなかったはずなのに出現した黒エールを流し込み、ガノンは目を細めた。
「やっぱりあいつは『迷宮技師』なんだな……」
「どうした? ガノ坊」
「いや、なんでもねぇよ。がっはは」
潤いを求める冒険者が美味い酒を酌み交わす『白狼』。
今宵も祈りのベルのように響くグラスが、幾度となく酌み交わされる。
見上げた窓外の月に、薄暗い足元を照らしてくれるように、不安を晴らしてくれるように、そしてよく眠れるようにと、友の無事を祈りながら。




