第1話 世界が一本の線になった
目を覚ました瞬間
僕は自分の目がおかしくなったのだと思った。
何も見えない。
いや
正確には違う。
見えている。
ただ
世界が一本の線になっていた。
前と後ろ。
それしかない。
右も左もない。
上も下もない。
僕は目を閉じた。
そして
もう一度開いた。
何も変わらない。
目の前には
どこまでも続く一本の線がある。
振り返る。
後ろにも
同じ線が続いている。
「……夢?」
声を出した。
自分の声は聞こえた。
けれど
声がどこへ広がっているのか分からない。
そもそも
「広がる」という感覚そのものが
この世界には存在しないようだった。
僕は手を伸ばそうとした。
その瞬間
背筋が冷たくなった。
手がない。
足もない。
胴体もない。
それなのに
僕は存在している。
自分の身体すべてが
一本の線の上に
押しつぶされているような感覚だった。
前へ進もうと思う。
すると
僕の身体は動いた。
歩いている感覚はない。
ただ
線の上を滑るように
前へ移動していく。
しばらく進むと
前方に何かが見えた。
黒い点。
近づくにつれて
それが動き始めた。
「誰かいるのか?」
僕が声をかけると
黒い点が止まった。
そして
声が返ってきた。
「誰?」
人間の声だった。
「僕も分からない。
気づいたらここにいた」
「ここ?」
相手は少し黙った。
「ここ以外に
どこかあるの?」
意味が分からなかった。
「元の世界だよ。
普通の世界」
「普通?」
「上とか下とか
右とか左とかあるだろ」
長い沈黙。
そして
相手は言った。
「何を言ってるの?」
僕は言葉を失った。
「右って何?」
冗談ではない。
声から本気だと分かった。
「じゃあ……
上は?」
「知らない」
「下は?」
「知らない」
僕はようやく気づいた。
この世界の住人にとって
前と後ろ以外は
存在しない。
知らないのではない。
概念そのものが
存在していないのだ。
僕は黒い点の横を
通り過ぎようとした。
しかし
できなかった。
前にはその点がいる。
横が存在しない以上
追い越すことができない。
「ちょっと通してくれないか」
「どこを?」
「横から」
「横って何?」
また同じだった。
仕方なく
相手に後ろへ下がってもらい
しばらく一緒に進んだ。
どれくらい時間が経ったのか
分からない。
太陽もない。
時計もない。
景色も変わらない。
ただ一本の線だけが
永遠に続いている。
そのときだった。
ポケットの中で
何かが震えた。
ポケットなんてない。
身体すら
まともに存在していない。
それでも僕には
はっきり分かった。
スマートフォンだ。
次の瞬間
目の前に文字が浮かんだ。
DAY 1
DIMENSION : 1
僕は息を止めた。
さらに文字が現れる。
【次元移動プログラムを開始します】
「……次元移動?」
僕が呟くと
隣にいた黒い点が言った。
「何の話?」
どうやら
この文字は僕にしか
見えていないらしい。
画面が切り替わった。
【QUESTION】
【この世界に存在しないものを
一つ答えてください】
存在しないもの?
僕は考えた。
この世界には
何もない。
空もない。
地面もない。
建物もない。
人間の身体すら
点のようにしか見えない。
だが
答えはそのどれでもない気がした。
僕は言った。
「高さ」
【ERROR】
違う。
「幅」
【ERROR】
「奥行き」
【ERROR】
何なんだ。
全部存在しないはずだ。
そのとき
さっきの住人との会話を思い出した。
右って何?
上って何?
この世界の住人は
知らないのではない。
存在しない方向を
想像することすらできない。
もし僕が
一本の線の外へ出られたら?
この世界を
上から見ることができたら?
一本の線全体を
一度に見ることができる。
だが
この世界の中にいる限り
そんな場所には
絶対にたどり着けない。
僕は答えた。
「外側」
数秒間
何も起きなかった。
そして
文字が変わった。
【CORRECT】
【1次元世界をクリアしました】
次の瞬間
世界が震えた。
一本だった線が
突然
二つに裂けた。
いや
違う。
線が増えたのではない。
世界に
新しい方向が生まれた。
僕の身体が
線の外へ引っ張られる。
初めて感じる感覚だった。
横。
僕は今
横へ動いている。
さっきまで
存在すら理解できなかった方向へ。
世界が急速に広がった。
線は面になり
黒い点だった住人は
平らな形へ変わっていく。
そして
目の前に新しい文字が現れた。
DAY 2
DIMENSION : 2
その下に
赤い文字が表示された。
【WARNING】
【二次元世界では
あなたの内側を
隠すことはできません】
「内側……?」
意味を理解する前に
目の前に
何かが現れた。
人間のような形。
しかし
紙に描かれた絵のように
完全に平らだった。
その存在は
僕を見るなり
動きを止めた。
そして
震える声で言った。
「君……」
「どうした?」
平面の人間は
僕の身体の中心を見つめていた。
「君の中にいる
もう一人の人間は誰?」




