第61話 いつもの人足
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市場裏で借りた古い小屋は、もともと荷を一時的に避けるための物置だった。
壁板は反り、戸はきちんと閉まらず、床も片側だけわずかに沈んでいる。金を払って借りる場所としては、決して上等ではない。だが、それでも屋根がある。雨を避けられ、帳面を濡らさず、荷を一か所に置ける。
それだけで、人の流れは変わった。
朝、まだ市場が本格的に騒ぎ出す前から、小屋の前には人がいた。
ガルドは戸口の前に立っていた。大柄で、傷のある顔に威圧感がある。誰が見ても、この場でいちばん目立つ男だった。
エルンは小屋の中で帳面を開いている。細身で神経質そうな若者で、誰が来たか、誰に何を任せたか、いくら払うかを細かく記録していた。
ミラは通りの方から戻ってきた。仕事と人と噂を拾ってくる仲介屋で、朝からもう何かを掴んできた顔をしている。
ドグは裏手で、借りた小屋の床板を確かめていた。壊れた物を直し、足りない物を作る職人だ。小屋の沈んだ床に板を渡したのも、戸の隙間を雑に塞いだのも彼だった。
リノは壁際に立っていた。やせた体を小さくし、目を伏せている。普段は鈍く見えるが、人の足元や荷の崩れかけた場所だけは、不意に鋭く見る女だった。
そしてカイルは、戸口の脇にいた。
黒髪で、目立つところのない少年。そこにいても、誰の印象にも残りにくい。ガルドの声、エルンの帳面、ミラの軽口、ドグの手、リノの視線。そのどれにも混じらず、ただ全体の流れだけを見ていた。
主要な六人は、もう小屋の中と外に自然に散っている。
その周りに、いつもの人足たちがいた。
トルは戸口の横で袋の数を見ている。反応は鈍いが、荷の数だけは間違えない男だ。ニグは小屋の壁に背を預けていた。ぶっきらぼうで遅いが、仕事の最後まで帰らない。セナは縄を抱えて、少しおっかなびっくりしながら立っている。重い荷は無理だが、軽い物を落とさず運ぶ慎重さがある。
ハムは欠伸をしていた。口は悪いが、重い荷でも途中で投げ出さない人足だ。ガンツは荷車の車輪をしゃがんで見ている。荷車の扱いに慣れた人足で、荷をどこに置けば倒れにくいか、感覚で分かる男だった。
さらに、小屋の陰にはフィノまでいた。まだ人足にもなりきらない雑用の少年で、軽い物を持ち、呼ばれれば走る。追い払っても、気づけばまた戻ってくる。
「またいるのか、お前」
ガルドが眉をひそめた。
「いるよ」
フィノは悪びれずに言った。
「屋根あるし」
「住みつくな。邪魔だ」
「邪魔ならどく。呼ばれたら働く」
そう言って、フィノは半歩だけ下がった。完全には離れない。その距離の取り方を、もう覚えている。
「今日の時点で来ているのは、トル、ニグ、セナ、ハム、ガンツ、フィノ」
エルンが帳面を見ながら言う。
「ペトはまだ来ていません。来るなら遅れて来るでしょう」
「来ねぇなら来ねぇで回す」
ガルドが短く答えた。
「そうやって切ると、来た時に面倒だよ」
ミラが言う。
「ペトは続かないけど、いる日は使えるんだから」
ペトは、仕事は人並みにするが長く同じ場所に留まらない人足だった。来れば働く。だが、明日も来るとは限らない。エルンが最も嫌う種類の人間でもある。
「不安定な人員を前提に組むのは非効率です」
エルンが早口で言う。
「でも下層の人足なんて、だいたい不安定でしょ」
ミラは軽く肩をすくめた。
「安定してたら、ここに来ないって」
その言葉に、ガルドは舌打ちしたが、否定はしなかった。
ドグが裏手から戻り、短く言う。
「荷車、左が沈む」
ガンツが顔を上げた。
「板、要るな」
「ある」
ドグは壁際から古い板を一枚引き抜いた。
言葉はそれだけだったが、二人の間では足りている。ドグが直し、ガンツが使う。人が増えた今、こういう噛み合わせは以前よりも大事になっていた。
リノがふと顔を上げた。
「……そこ、狭い」
小さな声だった。
だが、カイルには聞こえた。
リノの視線の先では、袋の山と荷車の間に細い通り道ができていた。人が一人通るには足りる。だが、セナが縄を抱えたまま通れば、袋に引っかけるかもしれない。
「セナ」
カイルは強くない声で言った。
「そちらより、外側を通った方が……たぶん」
「え、あ、はい」
セナはびくりとしてから、遠回りの方へ移った。
誰も大きく気にしない。
カイルの言葉は、ただ小さな注意のように流れていく。
それでよかった。
「で、仕事は?」
ガルドがミラを見る。
「朝一で薪の束が二つ。昼前にリザの小麦袋が十。あと、布包みが三つと、夕方までに酒樽が三つ」
ミラは指を折りながら言った。
「リザは小麦屋の女主人。口はきついけど、払うものは払う人。大きい仕事じゃないけど、ばらばらなんだよね。運ぶ先も時間も違う。雑にやると、どれか遅れる」
「多いな」
ガルドが顔をしかめる。
「多いっていうより、細かい」
ミラは笑った。
「でも、こういうのを拾えるから、こっちに話が来るんだよ」
「樽は人がいるな」
ガルドが外を見る。
ハムが顔をしかめる。
ニグが壁から背を離す。
ガンツが荷車の位置を見る。
トルは縄の束へ視線を動かす。
セナは自分には関係ないと思いながらも、抱えた縄を落とさないように握り直す。
誰も命じられていない。
だが、少しずつ動き始める。
「縄は?」
ガルドが聞く。
トルはすぐには答えない。束ねた分、壁際の分、荷車の脇にかけた分まで目で追ってから、短く言った。
「……六です」
「足りるか」
エルンが問う。
「樽が三つなら、足ります」
そう答えたのは、トルではなくカイルだった。
ガルドが一度だけこちらを見る。
だが、すぐ前へ向き直る。
「じゃあ回すぞ。セナは軽い方。フィノは呼ばれたら走れ。ハム、文句は運んでから言え。ニグ、お前は一緒に来い」
「……ああ」
ニグが低く答えた。
「言われなくても運ぶよ」
ハムが吐き捨てる。
ミラが笑い、エルンが小さくため息をつき、ドグはもう板を運び始めていた。リノは壁際から、足元だけを見ている。ガルドは前に立ち、声を出す。カイルは、その一歩後ろで流れを見ていた。
市場裏の朝が、屋根の下で動き始める。
カイルは理解している。
人が増えたのではない。
それぞれの戻ってくる場所ができたのだ。
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