表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/67

第6話 もう一人の弱者

 数字は、嘘をつかない。


 だが――人は、平気で見落とす。


「おい、それ合ってるのか」


 帳簿を覗き込んだ男が、眉をひそめる。


「……はい、そのはず、です」


 細い声が返る。


 頼りない。


 だが、間違っていない。


 カイルは横を通り過ぎながら、そのやり取りを拾う。


 視線は向けない。


 だが、耳は逃さない。


「いや、こっちの数と合わねぇだろ」


「……いえ、その……昨日の分が」


「言い訳してんじゃねぇよ」


 男の声が荒くなる。


 空気が、硬くなる。


 カイルは歩みを止めない。


 関わらない。


 それが原則。


 だが。


 頭の中で、数字が組み上がる。


 昨日の荷数。


 今日の入荷。


 記録の癖。


 ほんの一瞬で、答えが出る。


 ――間違っていない。


 むしろ、正確すぎる。


 だからこそ、噛み合っていない。


 周囲が雑だから。


 記録と現実がズレている。


 だが、それを説明できない。


 説明しても、伝わらない。


 だから。


 否定される。


「……すみません」


 細い声。


 すぐに引く。


 反論しない。


 正しいのに。


 それでも、引く。


 カイルは理解する。


 ――弱い。


 力がないのではない。


 押し切る強さがない。


 だから、正しさが通らない。


「いいから直しとけ」


 男は吐き捨てる。


 それで終わり。


 正しさは、消える。


 帳簿は書き換えられる。


 間違った形で。


 それでも、誰も困らない。


 その場は回るからだ。


 カイルは通り過ぎる。


 関係ない。


 関わる必要はない。


 だが。


 思考が、止まらない。


 ――もったいない。


 正確な記録。


 無駄のない計算。


 それが活かされていない。


 理由は単純。


 本人が、使い方を知らない。


 いや。


 使う勇気がない。


 だから、埋もれる。


 ガルドとは逆だ。


 あちらは、力を持て余していた。


 こちらは、力を使えない。


 どちらも、同じ場所にいる。


 ――弱者。


 カイルは足を止める。


 ほんの一瞬。


 すぐに動く。


 違和感を残さないために。


 だが、意識は残る。


 さきほどの男へ。


 細い体。


 猫背。


 視線を落としたまま、帳簿を書き直している。


 間違っていないのに。


 間違った形で。


 それでも、抵抗しない。


 カイルは理解する。


 ――使える。


 その思考が浮かぶ。


 すぐに、否定する。


 危険だ。


 関われば、広がる。


 制御できなくなる。


 ガルドだけで十分だ。


 それ以上は――


 踏み込みすぎる。


 だが。


 視線は、また戻る。


 やめられない。


 観察してしまう。


「……それ、違います」


 小さな声が落ちる。


 さきほどの男だ。


 別の帳簿係に向けて。


 勇気を出したのかもしれない。


「は?」


 返された声は、強い。


「その計算だと、三つ多いです」


 早口になる。


 だが、内容は正確だ。


 カイルにもわかる。


 正しい。


 だが。


「細けぇんだよ」


 即座に切り捨てられる。


「合ってりゃいいだろ、だいたいで」


 周囲も頷く。


 空気が、決まる。


 正しさよりも、流れが優先される。


 男は、言葉を失う。


 口を閉じる。


 視線を落とす。


 それで終わる。


 また、埋もれる。


 カイルは息を吐く。


 小さく。


 誰にも気づかれないように。


 ――同じだ。


 ガルドと。


 方向は違う。


 だが、本質は同じ。


 周囲と噛み合っていない。


 だから、弾かれる。


 なら。


 ほんの少し、ズラせばいい。


 それだけで、噛み合う。


 結果は変わる。


 わかっている。


 すでに、一度やっている。


 ガルドで。


 成功している。


 だからこそ。


 ――できてしまう。


 その確信がある。


 カイルは目を閉じる。


 ほんの一瞬。


 そして開く。


 視線は落とす。


 存在を薄くする。


 いつも通りに戻る。


 だが。


 足は、自然とそちらへ向かう。


 不自然にならない距離で。


 関わらない範囲で。


 それでも、届く位置へ。


「……あの」


 小さく声を落とす。


 帳簿の男が、びくりと肩を震わせる。


 ゆっくりと顔を上げる。


 視線は合わない。


 カイルの顔を見ていない。


 だが、それでいい。


「……先ほどの、計算ですが」


 否定はしない。


 正しいとも言わない。


 ただ、言葉を置く。


「……合っている、と思います」


 断定しない。


 評価もしない。


 ただ、可能性を示す。


 男の目が、わずかに揺れる。


「……でも」


 すぐに引こうとする。


 いつもの癖。


 だから。


 カイルは、もう一つだけ置く。


「……そのままでも、問題はないかもしれませんが」


 逃げ道を用意する。


 正しさを押しつけない。


 選択肢を残す。


「……一度、確認してみても、いいかと」


 それだけ。


 指示ではない。


 提案でもない。


 ただの可能性。


 男は黙る。


 数秒。


 視線が、帳簿に落ちる。


 指が止まる。


 思考が、動く。


 引くか。


 試すか。


 揺れている。


 カイルは何もしない。


 押さない。


 ただ、待つ。


 ほんのわずかに。


 後者へ傾くように。


 それだけ。


「……もう一度、見ます」


 小さく、言う。


 自分の意思で。


 そう聞こえる形で。


 カイルは頷かない。


 返事もしない。


 それ以上は、何もしない。


 そのまま、離れる。


 関係を深くしないために。


 距離を保つために。


 だが。


 理解している。


 ――同じだ。


 ガルドと。


 ほんの少し、ズラした。


 それだけで、選択が変わった。


 まだ、小さい。


 結果も出ていない。


 だが。


 確実に、動いた。


 カイルは荷を持ち上げる。


 いつも通りに動く。


 誰にも見られず。


 誰にも疑われず。


 ただ一人。


 もう一つの歯車に、触れながら。


 それでも。


 何もしていない顔で。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


続きが気になる方は

ブックマークしていただけると嬉しいです。


評価ポイントも励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ