第37話 正面から戦わない者たち
翌朝、ガルドは起きた時から機嫌が悪かった。
市場裏の小屋の前に立つと、いつものように荷車を蹴って具合を確かめる。だが、確認したいのは車輪ではなく、自分の苛立ちをどこへ向ければいいのかの方だった。
「で、今日は何を削られる」
ぶっきらぼうに言う。
エルンは帳面を開いたまま、すぐには答えなかった。
「まだ分かりません。ですが昨日と同じなら、物か、人か、受け渡し先か。そのどれかです」
「分かるなら先に殴らせろ」
「だから誰をです」
エルンが顔を上げる。
「相手は前に出てきません。誰か一人を殴れば終わるようなやり方をしていないんです」
ガルドは舌打ちした。
分かってはいるのだ。目の前の一人を殴ったところで、止まっている釘が届くわけではない。他へ流れた仕事が戻るわけでもない。むしろ騒げば、向こうの思う壺になる。
分かっていても、腹は立つ。
「ガルドが殴りたくなるのも分かるよ」
ミラが荷札を指先で弾きながら言う。
「でも今やると、『ガルドのところは荒っぽい』って評判が付いて、向こうの思う壺さ」
「評判なんざ知るか」
「知った方がいい。今はそれで削られてるんだから」
その会話の間にも、ドグは釘の代わりに曲げた鉄片を木箱の角へ打ち込んでいた。昨日のうちに悪くなった縄は、リノが短く分け直して束ねてある。足りないなら、今あるもので何とかするしかない。小屋の前には、そういう空気が静かに広がっていた。
昼前、ミラが戻ってきた時には、顔つきが少し変わっていた。
「見えたよ」
声を落として言う。
「西通りのまとめ役、直接は動いてない。荷を止める先も、人足を絞る先も、それぞれ別。で、全部が少しずつこっちに被るように調整してるみたいだね」
「つまり?」
ガルドが聞く。
「元を殴っても、その場では止まらないってこと」
ミラは肩をすくめた。
「一人倒したら終わり、みたいな形じゃない」
エルンがすぐに引き取る。
「流れで削っている、ということです。ならこちらも、流れで返すしかない」
「回りくどいな」
「正面からぶつかっても勝てない、と言っているんです」
ガルドは黙った。
否定はしない。したくてもできないのだろう。
カイルは、その沈黙が少しだけ重くなる前に口を開いた。
「……止められてる場所を、一つずつ外していくしかないかもしれません」
五人の視線が、短く集まる。
リノだけは縄を束ねたまま、顔を上げなかった。
「釘が来ないなら、釘を前提にしない仕事を先に回す」
カイルは続ける。
「人足が来ないなら、少ない人数でも終えられる仕事を優先して受ける。受け渡し先が怪しいなら、そこで詰まっても困らない順番に変える」
「守りに入るってこと?」
ミラが訊く。
「守る、というより……」
カイルは少し言葉を探した。
「向こうが嫌がらせできるところを、先に減らす」
エルンの目が細くなる。
「なるほど。相手が狙っている状況を、こちらから外していくわけですか」
「嫌な言い方すればそうです」
「嫌ではありません。合理的です」
ガルドが腕を組む。
「つまり、殴らずに勝てってことだな」
「今は、それしかない」
ミラが言う。
「で、やるならこっちも役を分けた方が早い」
そこからは早かった。
エルンが帳面を開き直し、今日受ける仕事を三つに分ける。少人数で済むもの、補修が要るもの、相手先が怪しいもの。ドグは補修の必要な荷だけを先に選り分け、今ある材料でできる形にする。ミラはその間に、止められにくい小口の仕事を拾ってまわる。ガルドは文句を言いながらも、口を挟まれない速度で荷を片づける。
そしてリノは、誰にも言われないまま、人が通りそうな場所の縄と箱を寄せ直していた。
来た人足が一人でも迷わず手を出せるように、荷の脇に補修済みと未補修を分けて置く。やっていることは地味だ。だが、無駄が減る。
「お前、それ」
ガルドが言う。
「分かれてた方が、取り違えないから」
リノは小さく答えた。
エルンがちらりと見て、何も言わなかった。
認めたわけではない。ただ、止める理由もなかった。
午後、南の通りへ出す荷で、また受け渡し先がぐずついた。だが今日は最初から後回しにできる荷を先に運んである。止められても痛手は薄い。逆に、向こうが急いでいた荷は、すでに別口から静かに入れていた。
待ち構えていたらしい男が、肩透かしを食った顔で荷札を見ている。
ガルドはそれを見て、鼻を鳴らした。
「上手くいっても、腹は立つな」
「今日は立たせる側です」
エルンが言う。
夕方、小屋へ戻る頃にも、削られた分は確かに残っていた。釘は結局届かない。人足も十分ではない。
それでも、昨日ほど仕事は止まらなかった。向こうは細かい不足や遅れでこちらを詰まらせようとしていたが、今日はそこにうまく嵌まらずに済んでいた。
ミラが木箱に腰を下ろしながら笑う。
「見えてきたね。向こうは、露骨に見えないやり方で細く削る。だったらこっちは、細いまま繋げばいい」
「言うのは簡単です」
エルンはそう返したが、声は少し軽かった。
「ですが、方向は間違っていません」
ドグが短く言う。
「仕事の形は持つ」
リノは小屋の脇で、切り分けた縄を束ね終えていた。
それを見たガルドが、少しだけ肩を回す。
「気に入らねぇが……」
そこで一度切って、低く続けた。
「殴るより先に、崩し方があるのは分かった」
その言葉に、カイルは小さく目を伏せた。
正面から戦わない。
それは逃げではない。
相手が力を出しきれない場所へ、戦い方そのものをずらすことだ。
市場裏の空気はまだ濁っていた。
だがその中で、六人の仕事だけは、昨日より少しだけましな形で前へ進んでいた。
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