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第2話 怒りを持て余す男

 最初に気づいたのは、音だった。


 鈍く、重い衝突音。


 次いで、短く吐き出される荒い息。


 市場の喧騒の中でも、それは浮いていた。


 カイルは視線を向けない。


 ただ、耳と気配だけで位置を把握する。


 ――関わらない方がいい。


 即座に結論を出す。


 それでも、意識はそちらへ向く。


 やめられない。


 危険なものほど、観察してしまう。


「てめぇ、今なんつった」


 低い声。


 怒りを押し殺しているわけではない。


 むしろ、抑える気がない声だった。


「い、いや……違う、俺は――」


 言い訳は途中で途切れる。


 再び、鈍い音。


 誰かが倒れる。


 周囲の空気が引いた。


 関われば、巻き込まれる。


 関わらなくても、目をつけられれば終わる。


 そういう種類の男だった。


 カイルは荷を持ち上げる。


 進路を変える。


 視線を落とす。


 ――見られない位置へ。


 それだけでいい。


 それが、最適解。


 だが。


 ほんの一瞬。


 視界の端に、その男が入る。


 大柄だった。


 筋肉質で、無駄な脂肪がない。


 短髪。古い傷がいくつもある。


 動きが荒い。


 だが、無駄ではない。


 力を持て余している。


 そんな印象だった。


「……気に入らねぇな」


 男はそう吐き捨て、周囲を睨む。


 誰も視線を合わせない。


 関わりたくないからだ。


 当然の反応だった。


 カイルは、そこで一つだけ理解する。


 ――この男は、壊れているわけではない。


 ただ、使い方を知らない。


 力の使い方を。


 怒りの扱い方を。


 それだけだ。


 だから、衝突する。


 だから、排除される。


 だから、居場所がない。


 カイルは目を逸らす。


 関係ない。


 関わる理由がない。


 関われば、危険が増える。


 それだけだ。


 荷を運び終え、次の指示を待つ。


 だが、声はかからない。


 周囲はまだ、先ほどの騒ぎの余韻に引きずられている。


 視線は、あの男に集まっていた。


 だがそれは、尊敬ではない。


 警戒と、排除の準備。


 ――長くは持たない。


 カイルはそう判断する。


 あの男は、いずれ弾かれる。


 仕事を失い、居場所を失い、さらに荒れる。


 よくある流れだった。


 何度も見てきた。


 だから、関わらない。


 それが正しい。


 そのはずだった。


「おい」


 不意に、声が落ちる。


 近い。


 カイルは反応しない。


 呼ばれている確証がない。


 だから、動かない。


「……お前だ」


 低く、はっきりとした声。


 今度は、間違いなく自分に向けられている。


 カイルはゆっくりと顔を上げる。


 視線は合わせない。


 顎のあたりを見る。


「……何か、用でしょうか」


 弱く、曖昧に返す。


 刺激しない。


 それが最優先。


 目の前にいたのは、先ほどの男だった。


 近くで見ると、さらに圧が強い。


 だが――


 怒りは、少しだけ抜けている。


 代わりにあるのは、苛立ちと、行き場のなさ。


「さっきから、見てただろ」


 断定だった。


 カイルは一瞬だけ思考を止める。


 否定するか。


 誤魔化すか。


 沈黙するか。


 最適解を選ぶ。


「……いえ、自分は――」


「嘘つくな」


 被せられる。


 速い。


 そして強い。


 否定は通らない。


 なら。


 カイルは、わずかに言葉を変える。


「……見ていた、というより……」


 そこで一度、間を置く。


 相手の反応を読む。


 視線の動き。


 呼吸。


 肩の力。


 怒りは、まだ完全には戻っていない。


 なら、押さない。


「……音が、大きかったので」


 事実だけを置く。


 評価も、否定も、しない。


 ただの情報。


 それだけ。


 男は、数秒黙る。


 カイルは、その沈黙を観察する。


 怒りが再燃するか。


 それとも。


「……そうか」


 短く、吐き出される。


 矛先は、向かなかった。


 ほんのわずか。


 意識が逸れた。


 カイルは、何もしていない。


 ただ、言葉を選んだだけ。


 それだけだ。


「名前は」


 男が問う。


 カイルは一瞬だけ迷う。


 答えるべきか。


 関係を持つべきか。


 だが、ここで拒否すれば、逆に目立つ。


「……カイル、といいます」


「ガルドだ」


 短い名乗り。


 それだけで、十分だった。


 周囲の空気が、わずかに変わる。


 この男が、どういう存在か。


 それが、伝わっている。


 カイルは理解する。


 ――関わるべきではない。


 だが同時に。


 視線の奥で、別の思考が動く。


 ――使い方次第だ。


 すぐに、その思考を切り捨てる。


 危険だ。


 深く関われば、制御できない。


 逃げ道がなくなる。


 それは、避けるべきだ。


「……仕事、探してんだが」


 ガルドが言う。


 ぶっきらぼうに。


 だがその裏には、苛立ちと焦りが混ざっている。


 カイルは答えない。


 答える必要がない。


 それでも。


 ほんの一瞬。


 選択肢が浮かぶ。


 関わらない。


 関わる。


 どちらが生存確率を上げるか。


 即答はできない。


 だから、保留する。


「……詳しくないので」


 いつもの言葉を置く。


 曖昧に。


 逃げ道を残したまま。


 ガルドは舌打ちする。


「使えねぇな」


 吐き捨てるように言い、背を向ける。


 そのまま去っていく。


 カイルは動かない。


 追わない。


 関係を持たない。


 それでいい。


 それが正しい。


 だが。


 視線だけは、追っていた。


 人混みの中で、ガルドは目立つ。


 強いからではない。


 馴染まないからだ。


 流れに乗れない。


 だから、弾かれる。


 その背中を見ながら、カイルは思う。


 ――あれは、放っておけば壊れる。


 そして。


 ――少しズラせば、使える。


 すぐに、その考えを否定する。


 関わる理由がない。


 危険が増えるだけだ。


 それでも。


 頭の片隅に、残る。


 消えない。


 カイルは目を閉じる。


 ほんの一瞬だけ。


 そして、再び開く。


 視線は落とす。


 存在を薄くする。


 いつも通りに戻る。


 だが。


 世界は、ほんのわずかだけ変わっていた。


 まだ、何も始まっていない。


 だが確実に。


 歯車は、一つだけ、噛み合い始めていた。

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