第54話 獣王の矜持
前回までのあら筋!
ババアが覇道を爆走中だ!
アズメリア大陸ガラフィリア地方は亜人たちの領域だ。
魔族領域であるライゲンディール地方や、人類領域であるエルザラーム地方ほどの広さは持たない。
けれども王都ストラシオンとの商用経路を結ぶ港町ディリや、大陸外とも国交のある最東端の港湾都市ウッグルなどが存在し、農作に適した土地の質も相まって、莫大とも言える利益を産み落としている。
無論、過去それらに目を付けた魔族たちによるガラフィリア地方への襲撃も少なくはなかった。
だがその悉くを払いのけ、未だ独立国家としての体を保っていられるのは、ガラフィリア地方最南端に自由都市ガラディナを構える獅子王ジルフレアの存在があればこそだった。
もっとも、偉大なる亜人の王ジルフレアもまた、先日時代の流れに押されて失脚せざるを得なくなってしまったのだけれど。
バカな。バカな。バカな。
この儂が地を舐めるなどと。上位魔族どもはおろか、ディアボロスをも撃退してきたこの獅子王ジルフレアが。
「……ッ」
砂と、鉄の味。
鋭い牙で噛みしめる異物感。頬が冷たい地面についている。両腕で上体を起こそうとしても、震えるばかりで力はもはや入らない。
それどころか、鋭い痛みに気絶すらままならない。
血だまりの中で倒れ伏すジルフレアを見下ろしながら、その怪物は口を開けた。
「我が覇道の礎となって散れ。ジルフレアよ」
ジルフレアは歯を食いしばり、最後の力でうつ伏せから仰向けへと姿勢を変化させる。
赤く滲んだ視界の中に、完成された美しき筋肉を持った怪物の姿が映り込む。
まるでデタラメだった。
たった一名だ。たった一晩だ。
突如として自由都市ガラディナに現れた耳長によって、上位魔族にも劣らぬ屈強さを誇る数千もの亜人で構成された軍は中央から破られ、強固なる鉄扉は城壁ごと粉砕され、己の牙も爪も、矜持ですらもへし折られた。
一体何なのか、こいつは。
魔神イブルニグスがアズメリア大陸全土に脅威を与えていることは知っていた。それを討つべくして追う女が、ディアボロスの力をも凌ぐ怪物であることも知っていた。
だがそれがどうした。己は魔の力と人の知恵の両方を併せ持つ、地上の王だ。
魔神も女も、恐るるに足らず――!
この夜が訪れるまでは、そう思っていた……。
怪物は突然現れた。
壊れぬ大鉄扉を城壁ごと破壊してだ。
手勢のうち、先陣を切る数百が無様に宙を舞ったとき、勇猛にて屈強だったはずの残る数千の兵は、自ら怪物に道を空けた。
だが、彼らの瞳の炎が消えたわけではなかった。
獅子王ならば。ジルフレアならば、きっとこの怪物を倒してくれる。そう考えていた。
己はそれに応えるつもりだった。自信もあった。
ディアボロス? 魔神? 女? すべてが小賢しい。
そいつは言った。
「ストラシオンの愚王は戦わずして我が手中に堕ちた。まったく、どこまでもくだらぬ愚物よ。さて、うぬはどうか」
己はその妄言を笑い飛ばしてやった。
あの強欲の人王が、抗いもせずにこのような得体の知れん輩の軍門になど降ろうはずもないからだ。
そいつはただ黙ってこちらを見ていた。
やがて己の嘲笑がやんだ頃、怪物は生意気にも己を手招いた。この獅子王ジルフレアの力を知らずして、愚弄したのだ。
「その胆力やよし。だが、筋力はどうか。かかってくるがいい、獣の王よ」
無知蒙昧にて傍若無人な愚か者め。この爪と牙で引き裂いてくれるわ。
そう思った。
己はいつものように勇猛果敢に咆哮を上げ、爪を振り上げて牙を剥き、走った。配下の亜人らは興奮のるつぼの中、歓声を上げて己の名を叫んでいた。
ああ、高揚する。戦いだけが、己の存在意義だ。
鎧袖一触とはこのことだ。
爪が怪物の胸鎖乳突筋を引き裂こうとした瞬間、己の頬には拳が突き刺さっていた。
わけがわからなかった。寸前まで怪物はぴくりとも動いていなかった。なのに、なぜ己の爪より拳が先に突き刺さっているのか。
バギリ、と音がして、己の肉体があらぬ方向へと吹っ飛んでいた。
牙が折れて、歯茎の肉片ごと視界を舞っていた。否、それだけではなかった。頭蓋が裂けたのだ。
眼球が飛び出すような激痛が走った。頸椎があり得ないことに一回転しかけた。
力を失って膝が曲がり、己は崩れ落ちるように地面に倒れ伏した。
嘘のように兵たちの歓声が消えた……。
敗北を悟った。
生まれて初めて恐怖を知った。
本能が悲鳴を上げた。
絶望した。
たったの一撃だった。
「噂の獅子王とやらはどれほどのものか。どれ、少し看てやろう」
首根っこをつかみあげられ、腹を殴られた。
唾液と胃液と血液がごぼりと口からあふれ出す。
「腹直筋はまあまあだが、内外ともに腹斜筋の鍛え方が甘い」
首をつかんだ手首を返され、今度は背中に掌打を喰らった。
肺から空気が血霧とともに抜けて、ひどく咳き込んだ。
「広背筋は及第点といったところか。さぁて、次は――」
それは、ひどく楽しげな顔をしていた。
左右剃り上がった頭部に、どういうわけか鶏のような鶏冠。瞳は三白眼を飛び越した四白眼で、口角は耳に届きそうなほどに禍々しく引き上げられていた。
殺られる。そう思った。
この怪物は己の命になど、砂粒ほどの価値も見出してはいないのだと、そう思った。
思った瞬間にはもう、自然と言葉が出ていた。
……あ、すんません……勘弁してもらえんでしょうか……。
「んん? 聞こえんなあ?」
長い耳の縁に手を当て、わざとらしく怪物がこちらに顔を近づける。
そのあまりに禍々しき相貌に息が詰まりそうになって、己は思わず喉の奥でつぶやいてしまった。
……ひっ……怪物……っ。
「怪物……? 今のは聞こえたぞ?」
さっきより小さな声で言ったのに……!?
「うぬは我を怪物と呼んだのか? かつては美の化身と呼ばれしこのリガルティアを、怪物と……。これほどまでに美しき筋肉をつけた我を、うぬは怪物と呼んだのだな?」
怪物が、くしゃりと顔を歪めた。
ああ、気づいた。
己は今、竜の尾を踏んだのだ。
怪物は少女がする仕草のごとく、巨大な掌で己の口を覆った。
その瞳から涙がにじむ。
「非道い……。……我もまだ、筋肉が足りていないということか……ッ」
何言い出したっ!? それ以上その肉体のどこに何をつけるつもりだっ!?
メギリ。
怪物の眉根が音を立てて寄せられた。
直後、雷轟のように怪物の大声がガラディナ中に響いた。
「だが、怪物とはなんたる非道い言い草かッ!! 我は未だ乙女也ッ!! その乙女に向かいて怪物などと蔑称を与うるは、殿方にあるまじき鬼畜の所業ッ!! ゆるさぬッ!! 決してゆるさぬぞぉぉーーーーッ!!」
そこから先の記憶は曖昧だ。
年若き少女のごとく涙する怪物に、顔面に拳をめり込まれ、耳を片方だけ囓り盗られ、所々の獣毛を強引に毟り取られ、尻の割れ目を横に増やされ、関節を曲げてはならない方向に曲げられた。
そうして今日、己の第二の人生が幕を開けた――……!
己は力強く大地を駆ける。
自由なる獣のように、主なき魔物のように。
かつてのごとく、我が屈強なる誇り高き数千もの亜人軍を背後に率いて。
亜人領域ガラフィリア地方の草原を、猛烈な勢いで土煙を巻き上げながら北上する。
「どうした小僧! もっと進軍速度を上げぬかァッ!!」
「は、はい」
「返事が小さい!」
「はいっ!!」
激しく揺れるむき出しの客車には、我が主が立っている。
大腿筋から腓腹筋を膨らませた右足のみを御者席にのせ、お乳だか大胸筋だかわからなくなるほど巨大な胸部で両腕を組み。
己は走る。全身で風を受ける自称筋肉族の耳長女に従って、さらに馬車を引く速度を上げる。
「その程度か? ……ならばうぬは、我にとってもはや無用の長物であるな」
ゾクゥ……と背筋が凍った。
視線が怖くて振り向けない。
「ととととんでもございません! まだいけます!」
うおおおおおおっ!
限界まで足をぶん回す。足りなければ両腕を前足にして、矜持を捨てて獣に戻ってでも。
「くくっ! はーっ、はははははっ! 今助太刀に参るぞ、セイリーン! 取るに足らぬ魔神ごとき、この覇王リガルティアの途を阻む存在ではないわっ!!」
ガラフィリア地方のみならず、エルザラーム地方、そしてライゲンディール地方ですらも危機に陥れた元凶たる魔神を討つために。
いいぞ、もっとやれ!
(´゜ω^)⌒☆
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
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