第55話 その女、危険につき
前回までのあら筋!
やりおった……。
振るわれた赤色の豪腕を首を傾けることで暴風とともにやり過ごし、全身をねじりながら神影の頭部を後ろ回し蹴りで貫く。
レッドドラゴンの鱗で製造されたブーツ越しに、強い衝撃が伝わった。
「はあッ!」
神影の顎が上がった直後、フィリアメイラは流れるような動作で振り上げたもう片方の足の踵を、その頸部へと落とした。
「アッ!!」
硬質の皮膚がガラスのように砕かれ、骨格ごと粉砕される爆発音が鳴り響く。地面に崩れ落ちた神影の頭部をすかさず踏み砕き、深緑色の長い髪を振って次の獲物を探す。
その彼女の背へと飛びかからんとしていた神影の頭部が、巨大な掌にわしづかみにされた。掌は神影を容赦なく持ち上げると、大地に叩きつけることで粉砕する。
「背後にも気をつけろ。攻撃は悪くないが、防御が少々疎かになる癖がある」
「あ、ありがとうございます、レーヴさん」
「ああ」
巨大な生態ゴーレムは側方から飛び込んできた神影の顔面を、肘で撃ち抜く。まるで岩石が砕かれたかのような轟音が響いて、赤い頭部は木っ端微塵と化した。
その背に別の神影の爪が突き刺さる。
「――ッ」
だが、貫けない。生態ゴーレムに刺さった赤く長い爪は、わずかだけ。
レッドドラゴンの鱗で守られた硬質の皮膚は、神影の硬度をも遙かに凌いでいる。
「邪魔だ」
すぐさま距離を取った神影へと向けて、レーヴが掌をかざした。
掌からあふれ出した大量の炎が巨大な大蛇の姿となって、神影へと襲いかかる。
炎の大蛇は神影へと喰らいつき、噛み砕き、溶かしつけ、大地へと叩きつけ、その高熱で液状化させて消滅した。
巨大なクレーターが発生し、熱波が四方八方に広がる。
「すご……」
フィリアメイラが熱風で揺れる緑髪を押さえながらつぶやいた。
ダークエルフの無詠唱魔法だ。
「おまえもエルフならば、魔法を忘れるべきではなかったのではないか?」
「う……、だってぇ……」
筋肉つけたら、勝手に魔法が使えなくなっちゃったんだもん……。
「まあ、何にせよ、今のであらかた片付いたな」
「そうですね」
神域の森と自由都市ガラディナを繋ぐ大地に、街道はない。ただただ、だだっ広い草原が広がっているだけだ。
普段であるならば、様々な動物や魔物が暮らしている。だが今は。
神影の残骸が無数に転がるのみ――……。
もっとも堆く積まれた神影の残骸の頂点に立って、漢は大胸筋で両腕を組み、風の音を聞いていた。
「セイ。神影との遭遇率が上がっている」
「ああ。増えているな。少し進むたびに、神影の集団と出くわすようになった。加えて動物や魔物の姿が不自然なほどにない。空をいく鳥ですらもだ。……近いぞ。レーヴ、メイラ。筋繊維を引き締めろ。だが引き締めながらも筋肉は柔軟に保つのだぞ。サイド・チェスト」
「イブル……ニグス……」
少女の背筋を凍らせる名前。
魔神イブルニグス。アズメリア大陸の動くものすべてを吸収せんとする怪物。
南下するのが怖い。
ふいに足下の地面がぼこりと盛り上がり、青白い死者の手がフィリアメイラのブーツをガシリとつかんだ。
「ひぇっ!?」
フィリアメイラがつかんだ手を振り払って飛び退く。
続いて手の持ち主は、地面から長い黒髪の頭部だけをはみ出させ、あたりを伺うようにきょろきょろと赤い瞳の視線を回した。
「お姉様、戦闘はもう終わりまして?」
「あ、レヴァ子さんね。怖っ。神影ならもう近くにはいないわよ」
「怖って……」
前世で観たゾンビ映画のように、ドレス姿のレヴァナントが地面から這い出す。
「よいしょっと」
複数いる神影との戦いに決定力をもたない者は、こうして隠れるしかない。
いや、もう少しマシな隠れ方というものがあるであろうけれども。まあ地面に埋まるのは、上位魔族とはいえアンデッドの生態であるからして仕方がない。
案外、神影との決戦に敗れた場合、最後まで生き残るのは死んでも死なないアンデッド種なのかもしれない。まるでGのように。
ぞわ……。
埒外のことを考えて、フィリアメイラは深緑色の髪を勢いよく振る。
レヴァ子はドレスに付着した泥汚れを両手で叩いて視線を上げた。
「お疲れ様ですわ、皆様。朗報がございますの」
神影の死骸の山から、誠一郎が一足で飛び降りる。
「なんだ?」
「キュバ子さんからの伝言ですわ。リガルティア様が亜人軍およそ三〇〇〇を率いて、ガラフィリア平原を高速で北上中とのことです」
フィリアメイラが白目を剥いた。
同時に誠一郎は天を仰いで額に手を当てる。
胸中は複雑である。
「……一大勢力化してますね……」
「やはり自由都市ガラディナを襲撃したのはばーさんで間違いなかったか」
レーヴが付け足した。
「ライゲンディールの魔族勢力が壊滅状態となった今、おそらくそのリガルティアとかいうエルフがアズメリア大陸で最も巨大な勢力の主だろう。それが味方になるというならばありがたい話ではないか」
「そうだな。イブルニグスを倒した後に、他の種族と悶着が起きねばいいが」
「抵抗できる勢力はリゼルの手勢一〇〇〇くらいのものだろう。戦いを終えれば、私もそこへ身を寄せてみるか。そのリガルティアとかいう覇者と戦ってみるのもおもしろそうだ。おまえたちともな」
二人のエルフが同時に眉間に皺を寄せた。
「や、たぶん無理ですよ」
「ああ。両者をこの目で見てきたからこそわかる。リゼルはばーさんには勝てん。なぜなら――」
二人が同時に同じことを言った。
「リゼルには筋肉が足りない」
「リゼルさんには筋肉が足りてません」
誠一郎が言葉を継ぐ。
「確かにおれたちが旅立つ前のばーさんであったならば、おそらくまだリゼルの方が強かっただろう。だが、ばーさんの筋肉にはおれにはないものがある」
「繊維密度ですね」
「ああ。ばーさんは何も自らゴリラになろうとしたわけじゃない」
レヴァ子が首を傾げた。
「ゴリ……ラ……?」
「ああ、この大陸で言えばサイクロプスのような肉体をした人型生物のことだ。明らかな規格外と言えばわかるか」
雑な説明だな~と思いながらも、フィリアメイラは口を挟まない。
レヴァ子は少し考える素振りを見せながらも、躊躇いがちにうなずいた。
「ばーさんの筋繊維の密度は、おそらくおれの三倍といったところか。無論、筋トレによって繊維を増やすことは誰にでも可能だが、元々あった初期値が違い過ぎるのだ。一度の筋トレで同じ負荷をかけても、初期値が多いほどに長く動かすことができる」
一日の間で、筋トレを長く続けられるということだ。
「リガルティアとかいう女は、最初からスタート地点が違ったということか?」
「そうだ、レーヴ。残念ながら、おれに筋才能はなかった。だが、ばーさんは違う。おれとメイラが去った後も鍛え続けていたとするならば、今現在、彼女は一日の大半を筋トレに費やせていることだろう。彼女の筋肉は、それに耐えうるものだった。ゆえに、成長は加速度的に上昇し続けている」
誠一郎が歯がみし、悔しそうな表情で吐き捨てる。
「一歩ずつしか進めない、おれの筋肉とは違って……な」
「おそらくですが、セイさんがおばー様と同じ時間をかけて同じトレーニングを毎日行えば、切れた筋繊維を繋ぐ暇がなくなっちゃうんです。つまり、おばー様には休筋日というものすら不要ということです。わたしたちとは、元々持っていた器が違うんです」
レーヴが呆然とつぶやいた。
「その……休筋日というのは宗教用語か?」
フィリアメイラが驚愕に目を見開く。
「えっ!? 知らないんですか!? 筋肉神様の教えですよ!? レ、レーヴさんほどの知識人が知らないなんて信じられません! 筋肉だってかなり備えているのに!」
「いや、私の筋肉は他者の筋肉を繋いだだけだからな。奪ったのであって、鍛えたわけじゃない」
レーヴが一度言葉を切った。
生態ゴーレムは、心なしか不安そうな顔をしている。
「そのようなことより、なんか怖いぞ、おまえたち。あたりまえのように語るな。この世界にそんな常識はない」
「とにかく、おばー様の筋肉は繊維の密度が高すぎて、鍛えるほどにどうしても膨れ上がってしまうんです。だから怪ぶ――あ、ん、んんぅ! ゴリラみたいな体格になっちゃったんです」
誠一郎はフィリアメイラに視線で語る。
ゴリラ呼ばわりも大概だぞ、と。
「ま、まあいい。とどのつまり、リガルティアという女はおまえたちより強いのか?」
「それはわかりません。可能性はありますが、セイさんはおばー様より二〇〇年も前から鍛え始めていましたから。ただ、わたしに関してはもう、確実に抜かされていると思います」
誠一郎が顔をしかめてうなった。
「まあ、現時点ではまだわからんが、十年もすればおれはもう、ばーさんには敵わなくなっているだろうな。子供の頃のように」
「ふふ。今も昔も、未来でさえも、わたしたちは頭が上がりませんね」
「フゥーハハハハハ! メイラはまた脱走時のように折檻されるな!」
「あはははははははっ、セイさんも一度叱られてみるといいですよ! 三日三晩ヘコみますから!」
レーヴとレヴァ子は内心で思った。
十年後には、魔神以上に危険な存在になってしまっているのでは、と。
しつこい
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