第42話 最後のディアボロス
前回までのあら筋!
フィリアメイラのぶってえ足!
今にして思えば、あの女の忠告を聞くべきだったのだ。
彼女は妖しく、そして得体の知れない女だった。ただ、とてつもなく強かった。
魔族領域ライゲンディール第二の都市ガルザミルに潜みし上位魔族すべてを相手取りながらも、その王である俺の前に立ってしまう程度には。
――ガルザミルを離れ、東の神域へ逃れなさい。
俺は一笑に付した。恐れるものなど何もなかったからだ。
哀れな首となってくたばったディアボロス・テュポーンも、尻尾を巻いて己が領域より逃げ出した面汚しのディアボロス・リゼルも、数千の我が手勢をたった一人で突破してきた目の前に立つ女も、女が抜かした世界の脅威――魔神イブルニグスとやらも。
俺は恐れなかった。何者も。
なぜなら俺は魔王となるために生を受けた、ディアボロスだからだ。巨躯のテュポーンも、矮躯のリゼルも、いずれは殺して喰らって己の力にしてやるつもりだった。
やつらが魔神に喰われるのであれば、その魔神すら喰らってやるつもりだった。
だから女の言葉を一笑に付した。
そして俺は不吉な予言だけを残して立ち去ろうとした女を、自らの手で捕らえた。理由はいくつもある。
俺への不敬。
俺の軍勢への不敬。
俺の領域への無断侵入。
俺の都市を不埒な予言で陥れようとしたこと。
ああ、他にもある。それも数え切れないほどに。なければ作ればいい。
俺に拘束されても、女はただ悲しげな表情をしているだけだった。
俺の力を知っているから、抵抗しなかったのだ。そんな行為は無駄だと悟ったのだろう。
俺は女をガルザミルの民の前に晒し上げた。
見ろ、我が民よ。俺は強い。抵抗する気すら失せるほどにだ。
たとえ数千の上位魔族の軍勢を、たった一体すら倒さずに突破してきた不吉の魔女であろうとも、この俺の前では無力だ。
魔神など言うに及ばず。
俺に心酔するガルザミルの民は、俺の言葉に引きずられるように女を不吉の魔女と罵った。
刑場では、気味の悪い予言を残した魔女に向けて、子らに石を投げさせた。老いたやつらは杖で女を叩いた。
……女はただ、されるがままだった……。
屈強な数千もの軍勢を中央突破してきたはずの女は、民には決して手を上げたりはしなかったのだ。逃走や抵抗の意志すら示さなかった。
やがて、白雪の積もるガルザミルの処刑場は、不吉の魔女と罵られ、民の私刑を昼夜問わず受け続けてついに倒れ伏した、あの女の血で赤く染まった。
……その後、女がどうなったかは知らない。
興味がなかった。俺は女の顛末を知らぬままに立ち去った。
自然に鳥葬されたとか、魔物の餌になったとか、遺体から発生する疫病を恐れた一部の魔族が雪原に遺棄したとか、ほんのわずかな女の信者が丁重に葬ったとか。
様々な噂を聞いたが、なんとも思わなかった。
俺は女を、そして女の予言を蔑ろにした。
「ああ、名前すら知らなかったな……」
一人、弱々しくごちる。
結果として、今の俺がある。
圧倒的な暴力によって肉体をズタズタになるまで引き裂かれ、血まみれの王座に座ることすらままならず、無惨に、みっともなく、王座の前にうつ伏せで転がされている、この俺が。
魔王となるはずだった、このディアボロス・グルドがだ。
「う……ぐ……」
俺は最後の力を振り絞って上体のみを起こし、王座の脚に背中を預けた。
「……くっく……はは……」
惨めなもんだと、自嘲が漏れる。
眼前には無数に立つ真っ赤な神影どもと、その中心には炎髪の魔神がいる。
やつらの足下には、ガルザミルを長年守ってきた屈強なる我が軍勢が、血と肉と化して転がっていた。形を残している者は誰もいない。
むせかえるような臓物臭だ。
女は誰一人殺すことなく我が軍を突破してきたが、魔神どもはご丁寧に、戦闘員は愚か、わざわざ非戦闘員まで皆殺しにしながらここまでやってきた。
これが……魔神か。
「ふ、ふふ……格が違うな……」
ああ、違う。違うとも。貴様らは格が違った。
無数に生み出される神影どもは、上位魔族の力をも軽く凌ぐ。神影を殺せる者はディアボロスだけだ。そのディアボロスであっても、魔神には到底叶わないと思い知らされた。
「まったく……」
格が違う。ゆえに、俺は震える唇を開く。
「……予言を遺してやる、魔神イブルニグス。今はこのアズメリア大陸に、貴様を討てる者は存在しないだろう。だが、近い将来、貴様の喉笛を食い千切るやつが――……」
その言葉が終わるより早く、俺の首は胴体から引きちぎられていた。
最後に視界に入ったものは、ガパリと大口を開けて俺の首を丸呑みしようとしている魔神の黒い舌と口内だ。
そうとも……。貴様などとは格が違った……。
あの女は――底が見えなかった……。
俺は誰も恐れたりはしない。俺を殺した魔神も。言うまでもなく、あの女もだ。
だが。
女を捕らえたとき、底の見えない深淵が奥底に潜んでいるのを感じた。誰も恐れない俺が、女の奥底で蠢く“力”の深淵を恐れた。それは魔神イブルニグスからは感じ取れない、“力”だ。
だから、深淵の入り口となりかねないあの女の処刑を急いだのだ。
あってはならない。恐れなど。
なぜなら俺は、ライゲンディールの地を統べる、偉大なる魔王となるべくして生を受けたディアボロス・グルドなのだから。
あの女がどうなったのかは知らない。
だが、あの女の中に存在している深淵を持つ者が、この世界のどこかに一人でも他にいるとするならば、それは必ず、件の魔神を討つための最大の刃となるだろう。
ああ、しかし、今となっては、もう、見届けることすら――。
※
銀のスプーンで皿の中のスープを口に運ぶ。
弱り切っていた筋細胞の一つ一つに染みこませるよう、イメージを膨らませながら。
スプーンを動かすたびに、漢の腕の筋肉が独立した生物であるかのように膨張と収縮を繰り返しているのが若干気持ち悪い。
「……そうか。リゼルとの約束の日は今日であったか……。……おれは三日も眠っていたのだな……」
「それは、だって仕方がないですよ! たったお一人で神影を四十体近くも倒されたんですから! ……わたしが足を引っ張ってしまいましたから……」
フィリアメイラが深緑色の髪を揺らしてうつむく。
だが漢は、エルフ女子の考えとは違う部分で悔いていた。
二百と五十年、毎日続けてきた筋トレをッ、三日分もッ、サボタージュしてしまった――ッ!
漢は歯がみする。
筋肉を後退させている場合ではないというのに。
「申し訳ありません、セイさん……」
「ん? 何がだ?」
「や、神影戦で足を引っ張っちゃったことですってば」
「ああ。そんなものはおれが気絶した後、神影を全滅させてモルグスまで運んでくれたことでチャラだろう。むしろ礼を言うのはおれの方だ。――ふぅぅぅ……筋肉礼ッ!」
漢がスプーンを置いて、両腕を持ち上げた。
指先を意識してピッと伸ばしながらも、上腕筋がボコリと病的に盛り上がる。それに合わせて、漢はニカッと爽やかに白い歯を剥いた。
フィリアメイラがほんの少しだけ頬を染める。
「そんな……『経典』で学べる最上級の礼をしてくださるだなんて。ですが、神影はレーヴさんとレヴァ子さんが来てくださらなかったら倒せなかったし、セイさんを背負って歩いてくださったのはレーヴさんですから」
「ああ。もちろんレーヴやレヴァ子にも感謝だ。しかしあのとき、おれはキミがいたから立ち続けることが――」
ぼんやりと、言葉を切る。
短い金髪をぼりぼりと掻いて。
「あ~。いや、よそう」
なんとなく、気まずい沈黙が訪れた。
誠一郎はパンを手にして、スープに浸し、口に運ぶ。
決しておいしい食事ではないが、筋肉には栄養が必要だ。
「しかし、期日にはとうとう間に合わなかったか」
「あ、ですが落胆する必要はありません。レヴァ子さんにマドラスまで走っていただいたので、キュバスさんからすでにリガルティア様に確認の連絡がいっているはずです」
リガルティアが想定通りに動いてくれていれば、ストラ街道で三人のエルフが王都ストラシオンの派兵、数千の騎士を足止めしてくれているはずだ。
そう。
足止め……だけしてくれているはずだ……と、いいな~と思った。
否、願った。
筋肉礼とは、他者から与えられた善意や物品に対し、
自らの筋肉を相手に見せることで対価とすることだ!
いつも読んでくれてありがトゥ!
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