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第二十八話 あなたに首ったけ

 九月も下旬に差し掛かった土曜日。

 暑さも和らいできて、徐々に過ごしやすくなってきた。


 オレの芸能マネージャーとしての初出勤日。

 オレは普段と同じようにスーツを着て、 岡安さんに指定された通り、八時にC社の事務所に出勤した。

 minaも、もうすぐ来るとのことだった。


 うーん、取り敢えず、社長に挨拶かな。

 ものすごく行きたくないけど、まあ一週間世話になるわけだから。

 あとで、挨拶がなかったとか、余計な因縁をつけられても困る。

 社長はすでに出勤しているようだったので、オレは社長室の扉をノックした。


「入れ!」

 よく通る声で、社長の返答があった。


「失礼します」

 社長室に入ると、社長は自分のデスクの後ろで高級そうな椅子に座ってふんぞり返っていた。


 相変わらず、ギラギラとした眼差し。今日はグレーのスーツに、濃い色のパンツを合わせていた。胸元には派手なポケットチーフが刺さっている。

 今日も平常運転か。


「岡安から話は聞いている。ただ、minaとお前が付き合っていることはオレと岡安しか知らねえから、人前でイチャつくんじゃねえぞ」

「わかってますよ」

 その辺は事前に岡安さんから聞いていた。


「ま、気楽にやんな。お前には全然期待してないから。変な事故だけ起こさんでくれたらいい」

「はあ」

 相変わらずの嫌味っぷりだ。


「お前がどんなに頑張ってもminaと結婚できるわけでもなし。力まずにやるんだな」

 いちいち勘にさわるなあ。


 オレが黙っていると、

「さ、行った行った。オレは忙しいんだ。ま、せいぜい頑張んな」

 社長はそう言って、オレを追い払うかのように手をヒラヒラとさせた。

「よ、よろしくお願いします」

 オレは一応、頭を下げてその場を離れた。


 全く、これからminaと一週間一緒にいれると思って実はウキウキしていたのだが、そんな気持ちも沈んでしまった。


「佐伯さん、おはよう」

 そんなことを思っていると、minaがやってきた。カズくん、だと馴れ馴れし過ぎるので、人前では、佐伯さんで通すとのこと。なんかその呼び方、懐かしいな。


「mina、おはよう」


 今日のminaは赤い花柄が印象的な袖のついたワンピース。いつも女の子ぽい格好をしているけど、今日は、よりふわっとした柔らかな印象を受けるな。なんでだろう? 本当に、会うたびにますます綺麗になっていく。


「佐伯さん、取り敢えず、今日のスケジュールの打ち合わせ、しようか?」

 minaはそう言ってオレを会議室へ誘った。


 かつて、minaとオレの従姉妹の佳奈が死闘? を繰り広げた小さな会議室。

 そこで、オレとminaは机を挟んで、向かい合って座った。


 ふと、minaの小さな手に目がいった。ピンク色の可愛らしいネイル。金のラメが所々にあしらわれていて、さらに彩りをそえている。もしかして、minaも楽しみにしてたのかな?


「カズくん、今日から一週間、よろしくね」

 minaはそう言って、キラリと微笑んだ。二人きりのときは、カズくん、か……。


「ああ、mina。マネージャーなのにわからないことばかりだけど、よろしく頼むよ」


「大丈夫。二人で頑張ろ。あのね……私のために貴重な休暇を使ってくれたカズくんにね、プレゼントがあるの」

 minaはそう言って、持っていた可愛らしいカバンをごそごそやり始めた。


「えっ、プレゼント、なんだろう?」


「はい、どうぞ」

 minaはデパートの包装紙で綺麗にラッピングされた、細長い薄い箱をオレの前に差し出した。

「あ、ありがとう」


「ねえ、早速開けてみて」

「いいの? じゃあ」

 オレはそう言って丁寧に包装紙を剥がした。

箱の中を開けると、なんと、水色の柄の入ったお洒落なネクタイが出てきた。


「どう? カズくん」

 minaは、楽しそうにオレの方を覗き込んだ。

「あっ、すごい! ありがとうmina」


「よかった、喜んでくれて」

「うん、大事にするよ! もちろん銀行にもしていくし」


「カズくん、ネクタイのプレゼントって、どういう意味があるか知ってる?」

「えっ、何だっけ?」


 ふいにminaが、オレの方へ身を乗り出してきた。

 minaの柔らかい髪がふわっと揺れて、大好きな甘い香りが鼻をくすぐった。

 思わず愛くるしいまつげの中の、minaの綺麗な瞳を覗き込むと、その中に、戸惑いを浮かべるオレの顔が映っていた。

 それくらい、minaとの距離が近づいた……


 minaは、オレの頬を指でツンツンしながら


「あなたに首ったけ、っていう意味があるんだって」


 こちらがとろけてしまいそうなスマイルで、オレに微笑みかけた。


 オレは、可愛らしい天使に、ハートを弓矢で撃ち抜かれたような気分になって、胸のドキドキが止まらなかった。


「うふふ、金曜日のデートも楽しみだね。じゃあ、打ち合わせしよっか」

 minaはそう言うと、元の通り自分の椅子に座った。


 この可愛らしい歌姫のためなら、オレはどんなことだって耐えられる。

 そう思ったんだけどな……


 えーと、今日は午前中はもうすぐ出るアルバムのレコーディング。

 午後から、映画『君は僕にも恋をする』のPRイベントに出て、そのあと音楽雑誌の取材と、夜からはテレビの音楽番組の収録か。


 移動時間とか担当者との打ち合わせの時間を考えると、かなりハードだよな。

「いっつも、こんな感じのスケジュールなの?」

「うーん、今日はどっちかというと、少ないほうかな」

 minaは事も無げに言った。

 


 マネージャーの仕事は、とにかくハードだ。

 分刻みのスケジュールの芸能人。それを陰で支えるわけだからな。

 担当芸能人が最高のパフォーマンスを発揮できるように、裏方に徹する。

 単なる付き人のような仕事だけではなく、minaの体調に気を配ったり、関係者との挨拶や打ち合わせ、携帯電話もしょっちゅうかかってきて、スケジュールの確認や対応に追われる。


 音楽雑誌の取材が終わり、夕方になる頃には、オレはヘトヘトになっていた。


「カズくん、大丈夫?」

 minaが見かねて、オレにペットボトルのお茶を差し入れしてくれた。

 あれ、そう言えば、オレ、昼ご飯食べたっけ?


 minaは雑誌の取材の前にちゃっかり弁当を平らげていた。オレもと思ったのだが、ちょうど編集者が挨拶にやってきてそのまま食べそびれてしまった。


 しかも、あの編集者め……取材中に打ち合わせにないことまでminaに質問してきやがって。

「minaさんは、デートするお相手とか、居るんですか?」

 などと、しれっと聞いてきた。


 業界はグイグイ押してくる奴が多いので、岡安さんからは「毅然とした対応も必要」と事前に言われていた。

 岡安さんの真似をして、無表情で「その質問内容は事前に聞いておりませんが」と返してみた。

 オレを軽く見ていたであろう担当者は、少し慌てていた。

 まあ、その辺の呼吸はオレも普段の銀行の仕事である程度慣れているからな。

 しかし、なかなか気の休まる暇がない。



 で、そのあとはテレビ局に入って歌番組の収録。

 テレビ局って初めて入ったよ。すごい入り組んでて、なんか、迷路みたいだな。

 たしか、テロリストとかに簡単に占拠されないように、わざと迷いやすい構造にしてあるんだっけ。


 あれ、今有名女優の稲盛泉とすれ違った?

 なんか、マネージャーを従えて、ツンとした感じで歩いてたけど。

 テレビで見るより断然綺麗だな。


 おのぼりさんのようにキョロキョロするオレを、minaは時たま笑って見ながら、先を案内してくれた。まったく、どっちがマネージャなのかわからない。

 そしてスタジオに入って、関係者と挨拶。


「minaちゃんーー! 今日もよろしく」

 声を掛けてきたのは、なんと女性歌手のA! minaの憧れの存在にして、今や友人とも言える人だ。


 そういえば、Aも背は低かったよな。minaといい勝負か。あんまり顔は似てないが、こうして並んでみるとなんか姉妹みたいだな。実際、テレビ局の裏方さんの間では、ミニミニ姉妹なんてコンビ名が付いているらしいし。


 minaとAは手を取り合って、キャッキャとお喋りをしていた。

 Aも以前ラジオ番組のパーソナリティをしていて、関西弁のトークや時折飛び出す天然発言がとても面白かったよな。オレはAのラジオに励まされながら受験勉強を乗り切っていた頃を思い出した。番組のコーナーにハガキも何回か送ったけど、一度も採用されたことはなかったな。


「minaちゃん、今日は岡安さんやないの? こちらの方は?」

 Aが怪訝な表情で、オレの方を見た。


「あの、岡安さんは休みで、代わりにマネージャーの仕事を手伝ってもらってる、佐伯さんです」


「Aさん、お会い出来てうれしいです。佐伯と言います。よろしくお願いします」

 オレはそう言って、芸能マネージャーの肩書が入った名刺をAに差し出した。岡安さんはそんなものまで用意してくれていたのだ。


 Aは名刺を見て、そのあとオレの顔をまじまじと見つめた。

 なんか、照れるな。Aのつけている香水か、結構キツめの甘い香りが漂ってきた。こうやって目を合わせると、もう三十代半ばなのに可愛らしい格好をしている。Aは疲れているのか、頬が少しこけているように見えた。


「よく見ると、結構イイ男やん! ええなぁ、minaちゃん。私のマネージャーなんておっさんよ」

 Aはそう言って、minaの方に笑いかけた。


「そ、そうですかね……」

 minaは反応に困っているようだった。まだオレとの仲はAには伝えてないみたいだな。


「なあ、minaちゃん! また今度、ご飯食べに行かへん!?」

「あっ、いいですね、いつにしましょっか!?」

 二人の歌姫は、またしばらくキャッキャと楽しそうにお喋りをしていた。


 minaの憧れの人、そして芸能界でできたたぶん初めての友達。うれしそうに語らうminaを見て、オレもなんだか頬がゆるんできた。



 歌番組の収録も無事に終わり、時刻は深夜と言ってもいい時間帯。

 オレとminaはようやく、タクシーで帰路に着いた。

 まずは、minaのマンションの方向へ。

 minaと二人、後部座席へ座る。


 タクシーの運転手に気づかれないように、minaはそっとオレの手を握ってきた。

 イタズラっぽく、微笑むmina。

 

 レコーディングで楽しそうに歌うmina。

 映画のPRイベントで、ファンに優しく手を振るmina。

 雑誌の取材で真剣に想いを語るmina。

 歌番組で司会者に天然エピソードを披露して笑いを誘っていたmina。


 今日一日だけで、テレビで見るだけでは、本当には伝わってこない、色んなminaの姿を見ることができた。

 常に明るく、そして一生懸命、目の前の物事に取り組んでいる。


 でも、普段オレに見せる表情も、同じようにとっても魅力的なんだよな。

 等身大の歌姫。二十代の女性を想いを代弁する、シンガーソングライター。

 その小さな可愛らしい姿を、これからも見守っていきたい。


 そんなことを思いながらminaの方を見ると、minaはすやすやと愛らしい寝息を立てて、眠りに入っていた。

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