第二十六話 結婚って、いいよね
「よう銀行員」
振り返ると、社長が意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。
「はあ、こんにちは」
思わず、間の抜けた返事をする。
「ハヤトと決闘して勝ったんだって!
? お前もやるじゃないか?」
この前事務所で会った時と同じような、いきなりの強襲!
「えっ!?」
「決闘なんて、今どき江戸時代じゃあるまいし……ハヤトもバカだよな。せっかくお膳立てしてやったのに。もうちょっと上手くやれば、minaと付き合えたのにな」
「な、何を言ってるんですか?」
「まあ、映画の宣伝にもなったし、今回の件はお前の実力も見れたし、よかったよ。大いなる一勝だ。おめでとう、銀行員くん」
社長はそう言って、おどけてみせた。
上品なダークブルーのスーツに、派手なポケットチーフもこうなると嫌味にしか見えない。
「あなたって人は! minaがどれだけ傷付いたと思ってるんですか!」
怒気を込めた瞳で、オレは社長を睨んだ。
「おいおい、そんな怖い顔するなよ。ますます愛が深まったんだからよかったじゃないか。それより……お前ら、ヤッたな」
社長が口元をゆがめてニヤリと笑った。
「はっ、どういうことですか?」
「minaが最近、女っぽい表情をするようになったから、そんなことだろうと思ったんだよ」
「な、な、何を……」
何でもお見通しか……ダメだ。向こうのペースに乗せられては。冷静にならなきゃ。
「ちょっとは感謝してくれてもいいと思うが……。だって、あの別荘、元々俺のものだぜ」
そうだったのか! まさか、変なカメラとか、仕掛けられてないよな。
「お前はすぐに顔にでるな、ハハハ、丸わかりなんだよ! 岡安が去年と同じように貸して欲しいって言ってきたから、そんなことだろうと思ったよ。安心しろ、別に覗いたりしてねえから。それに俺は、あんなどこもかしこもちっちゃい女なんてタイプじゃねえし」
社長はさらに豪快に笑いだした。
くそっ! ここまでいいようにやられて、全く言い返せない。
「まあ、別に遊ぶのはご自由に。イケメン俳優さんから彼女を守ったんだし、minaの仕事に支障がなければ好きにするがいい。だが……」
!? 今度は一体何だ?
「この前も言ったが、お前とminaが結婚するのは、無理だ」
「はっ!? だから、なぜ……」
オレの言葉を遮るように、社長は続けた。
「だから、無理だって言ってるだろ! もう少し出来の良い頭で考えてみろよ。まあ、minaも今日の結婚式で浮かれているかもしれないが、それでも無理なもんは無理だ」
オレが再び社長を睨みつけると……
「まあ、せいぜい無い知恵絞って頑張んな」
社長はそう行って、手をヒラヒラさせて去っていった。
残されたオレには、胸の中にどす黒いようなモヤモヤしたかたまりが残っていた。
雨宮さんと岡安さんへの祝福モード、そしてminaの素晴らしい歌を聴いて感動していたオレの心は、一気に沈んでいた。
足取りも重く、minaが待つ、ホテルのラウンジの喫茶コーナーへと足を運ぶ。
入り口のお洒落な字で書かれたメニュー表をちらりと見ると、
な、何っ! コーヒー一杯、せ、千二百円!!
もちろん払えないことはないんだけれど、元が中小企業の不動産屋の育ちのオレは、びっくりしてしまった。
「佐伯さん遅いですよ! こっちこっち!」
オレに気づいた真由ちゃんが手を振ってくれた。
真由ちゃんは肩に掛けた薄いストールがずれてしまって、慌てて直していた。
そのしぐさ、ドレスアップした髪とストールから透けている綺麗な白い肌が、なんか色っぽい。
いや、いや、オレはmina一筋だから……
壁際に掛けられた、夕暮れに染まるフランスの大聖堂を描いたモネの複製画。
ラウンジの天井も高く、落ち着いた印象を受ける。
映画のワンシーンに出てきそうな、重厚感のあるダークウッドのテーブル。
そこでオレはminaと真由ちゃんと、田中と、しばし語らった。
minaと真由ちゃんが楽しそうに喋っていて、田中は少し蚊帳の外っぽかったけどな。
「いやー、雨宮さんの結婚式、よかったですよね。さっきもminaちゃんと盛り上がっていたとこなんです」
真由ちゃんが、席に付いたオレに、そう笑いかけた。
「佐伯さん、コーヒーでいいですか?」
やっと援軍が来た、というほっとした表情の田中。
「うん、ホットで、頼むわ」
「いいなぁ、私も、こんな綺麗なホテルで、みんなに祝福されて、幸せな結婚式、したいなぁーー」
minaは瞳をキラキラさせて、オレと真由ちゃんを均等に見ながら言った。
「ブーケももらったし、もう次はminaちゃんじゃない! それに、お相手もいるし」
ちらりとオレの方を見る、真由ちゃん。
「そ、そうかなぁ……そうなのかなぁ……ねえ、カズくん……?」
minaがちょっと戸惑ったような表情でオレの方を見た。
金の上品の髪留めで結わえた髪。紺色のドレスもよく似合っている。
普段よりさらに洗練されたminaにまじまじと見つめられて、オレはしどろもどろになった。
「う、うん、ど、どうなのかな……?」
ダメだ。全く言葉が出てこない。
「ダメですよ、佐伯さん、女の子にはちゃんと言ってあげないと。minaちゃん不安になっちゃいますよ。まあ、佐伯さんは普段は鋭いのに、そういうとこは鈍感だからなぁ……あっ、minaちゃん、最近はね、女の子から言わせるのも、アリらしいよ」
「お、女の子の、ほうから……?」
じっと考え込む、mina。
「それにね、雨宮さんは、逆プロポーズだったんだって! 雨宮さんらしいよね。そうだ、私の読んでた雑誌にそういうの書いてあったから、今度貸してあげるね」
「ええっ! ほんと!? 読みたい読みたい」
本当にminaは表情豊かだなあ。見ていて、飽きない。
なんか、今minaと真由ちゃんはさらりと怖いことを言っていた気がするのだが、あまり気にしないでおこう。
結婚か……
さっきの社長の言葉。
『お前とminaは結婚は無理だ』
社長はそういい続けている。
何が原因なんだ? オレとminaは……結ばれない運命なのか??
「カズくん、どうしたの?」
minaが不安そうにオレを見つめてきた。
「ああ、ううん、何でもないよ」
オレは慌てて浮かんできた思考を振り払った。
「佐伯さん??」
真由ちゃんまでオレの方を心配そうに見てきた。そして、言葉を続けた。
「minaちゃん、男の人は結婚を決断するまで時間がかかるんだって。だから、もうちょっと待ってあげて。それでもダメなら、また一緒に考えようよ」
「う、うん。そうだよね」
minaの表情が少し、戻った。
「いいですよねー。お二人とも、なんか楽しそうで……minaちゃん、ボクにも誰か、紹介してくださいよーー」
場の雰囲気を変えようとしたのか、田中がおどけながらminaに話かけた。
「えーー、私、友達少ないし。あっ、最近歌手のAさんとご飯食べに行ったんだけど、誰かいい人いたら紹介してって言ってたよ」
「ええーー!! Aさんって、あのAさん? すごーい!! さすがminaちゃん芸能人。あんな人ともお友達なんだ」
真由ちゃんが間に入ってきた。
「お友達って言っても、ご飯一緒に行ったくらいだし。あとたまにメールもしてるかな」
minaはうれしそうに微笑んだ。
女性歌手、シンガーソングライターのA。オレ達の世代では、みんな知っている、狂おしいほど情熱的に愛を歌う、歌姫。そして、minaの憧れの人。
そんな人物と友達になるなんて、また一つ、夢を叶えたな。
「でも、Aさんって、ボクより十歳以上も年上でしょ、もう少し歳が近いほうが……」
「何ワガママ言ってるのよ。元々、田中くんにAさんなんて、逆にAさんに失礼よ」
真由ちゃん、田中にはけっこうキツいんだな。
「あっ、真由ちゃん、ケーキがあるよ! ケーキ食べようよ」
他のテーブルに運ばれてきた美味しそうなケーキを見て、minaが叫んだ。
さっきあれだけ豪華なフルコースを平らげていたのに、小さい体でよく食べるな。
「うん、うん、いいね。えっと、どれにしよっか?」
メニューを見ながら、楽しそうな真由ちゃん。
上品な服装をした店員がやってきて、コーヒーのおかわりを入れてくれた。
コーヒーが冷めてもなお、二人の年頃の女の子達のお喋りは、それからも長いこと続いていた。




