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夏休みは学校の煩わしさから解放されるが、家に拘束されるというのも苦しいものである。また、成績の低下で勉強時間を更に増加させ、面白味も無い知識ばかりが記憶される。頭が変になりそうだが、果たして、正常な状態だった時が在ったのだろうか、それすらもう曖昧だ。
さくら以外の人と会うことすら拒絶しようと思っていたのだが、夏休みに部活動で招集させられた。文芸部のどこに集まる理由があるのかわからないが、連絡網に出てしまった以上、無碍にすることは出来ない。それで、仕方なく学校に行ったのだが、文芸誌の発行についての事務的連絡が十五分ほどあっただけで、わざわざ連絡網を回して集める必要性は無かった。どうやらそれは単なる口実で、本当の目的は仲良しグループで遊びに出かける約束を取り付けることにあった。一回、二回は断わっても問題無いが、総てを断わることは今後の良好な関係の為に避けなければならない。一人になりたいと思いつつ、避けられることを嫌う自分に、うんざりした。取りあえず、最初と二回目に参加して、後は親戚の家に行かなければならないだとか、他の友達との約束があるからと嘘をついて誤魔化すことにした。
昼食後、隣町のカラオケに行くことが決まったので、制服からわざわざ私服に着替え、昼食の素麺を食べてから自転車で駅まで向かった。隣町なら自転車で行けないことも無いが、全員揃って電車で行くことが決まってしまったのでしょうがない。駅つくと、女子の集団が居たので、すぐに彼女らが文芸部の部員だと分かったが、私服なので顔のない彼女らが一層誰が誰だかわからなかった。さくらなら、私服であってもしぐさで何とは無しに分かる。だが、特別親しくするつもりは毛頭なかったので、彼女らの機微まで観察するほど気を回していなかった為、彼女らの違いは分からない。
小学生のように集団で行動し、カラオケ店に入るまでは、無理やり連れられた遠足のような気まずさがあった。一部屋とり、個々が順番に歌い合ったので、僕も人と被らないように適当に今流行っているだろうものを歌った。一時間も経つと、人の間にも温度差が生まれ、いつまでも気分の高揚した者も居れば、親しい者同士で私語をし、和んでいる。
周囲を眺めていると、トイレから帰ってきたくすんだ赤のスカートを履いた女子が、唐突に僕の隣りに座った。どうしてわざわざ僕の近くに座るのかと訝しんでいると、突然彼女が僕の傍に来て「ミキヨちゃん、ちょっと話したいことがあるの」と小声で囁いた。僕に対して気に食わないところがあるような口調ではなかったので、早く済ませようと「何、」とすぐに聞き返した。面倒事は、これ以上御免こうむるたかったのだが。
「うん、ちょっと、ね。終わってから、話し聞いてもらえないかな」
僕はまた面倒臭そうだと思いつつ、出来るだけ誰にでも良い顔をしなければならない、父譲りの八方美人の性格が邪魔をして、「うん、いいよ」と軽く応えてしまった。女子の話は面倒臭い割に、思うほど深刻なものは少ない。いっそ馬鹿らしいと一度でもあしらえたなら、気分がすっとするかもしれない。だが、その場限りの爽快感で、結局自己嫌悪に陥ることは、己の性格上、火を見るより明らかなので、実行するのは怖くて出来ない。
面倒なカラオケがようやく終わったところで、その後に夕食を一緒に食べる話になったが、僕は早く帰りたかったので「塾があるから、参加できない」と断わって集団から離れた。すると、先ほどの彼女も同様に断わって、僕の隣に並んで一緒に駅まで歩いた。
「ミキヨちゃん、ごめんね、断わらせちゃって」
別に彼女の為に断わったわけではなく、早く帰る為の口実に過ぎない。しかし、彼女が良いようにとらえているので、その件は訂正せずに黙っていた。
「それより、話しって何、」
「うん・・・」俯き、耳を赤くした。ああ、どうせまた恋の話なのだろう。僕などに話を振るより、他の女子に頼む方がよっぽどか良いだろう。
「あの、河合くんってわかるでしょ」
「ああ、河合がどうかしたのか、」
「えっと、その・・・彼って、彼女とか、いるのかな」
そんなことは本人に聞けば良いだろうと思いながら、「わからないな」と小さく答えた。彼女は、本音を言えば傷つけてしまいそうな、繊細に分類されそうなので、あまりきつい言葉で応えない方が良いだろうと思い、なるべく笑顔を作り、駅に着くまで話しを聞いていた。どうやら、彼女と僕は同じ中学の出身だったらしく、そのころから河合のことが好きだったという話だ。なんとも単純なこと、僕に相談するくらいならば、本人に直接言えば良いものを。言うは易いが、それでは彼女の機嫌を損ねそうなので、うんうんと頷くだけに留めた。しばらくは惚気を聞かされて、ようやく本題に入ると、どうやら中学時代に河合が僕と親しかったので、色々と根回しをして欲しいと言うことらしかった。僕としては、彼と親しいとは思わず、向こうが勝手に話しかけてきただけなので、どうすれば協力出来るものかと肩を竦めたが、口に出さなかったので彼女には伝わっていないだろう。
「ね、協力してね」
気が弱そうで、その実、したたかなのかもしれない。微かに震える声で頼まれ、「嫌だ」と突っぱねることは難しい。
「出来る範囲なら、」
「本当、ありがとう」
突然手を握りしめられたので、思わず狼狽した。友達と言えるかどうか分からない人に、気軽に身体接触をされることはいささか不愉快だった。
「あの、それでね、河合くんに今彼女が居るかどうか、聞いてもらえないかな」
耳を真っ赤にする彼女の願いを断われるはずもない。運が良いと言えるかわからないが、河合とは同じ塾に通っているので、その時に聞くことは出来るので、この点には了承した。安易な未来の約束を取り付けることが、本当は嫌だった。約束をしてしまうと、僕と言う人間は破ることがどうしても出来ず、律義に実行してしまう。約束をすればするほど、自分の生きる時間が延びてしまいそうで、追い込まれて行く鈍い恐怖があった。
「ありがとう、ミキヨちゃん」
「・・・あの、私、ミキヨって言われ慣れていないから、ミキって呼んでもらえないかな」
先ほどから、ミキヨと呼ばれるたびに寒気を感じていたので、別れる前に直してもらいたかった。僕はミキヨなんかではない。ミキオと呼ばれなくとも良い、せめて、ミキヨとだけは言わないで欲しかった。
「そう、ならミキちゃんね。私のことはユメって呼び捨てでいいから」
「うん。わかった」
丁度彼女の名前が分かって居なかったので、名前が分かり都合が良かった。きっと、このようなことが無ければ在学中に一度も彼女の名前を呼ぶことが無かったかもしれない。クラスメイトの名前ですら覚えきれていないが、それは興味が無いからではなく、顔が見えないからだと自分を弁護し、今度は彼女の名前を覚えておこうと髪の色と腕にある三つ並んだほくろを見ながら心に決めた。名前を間違えると、人は不愉快な気持ちになるのだ。今後の報告しなければならないので、ユメのことを間違えて覚える訳にはいかない。




