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翌日、塾の終わりに彼女がいるのか聞くと、帰ってきた答えは少し照れたように目を逸らして答えた。
「残念ながら、今は居ないんだよね」
「そう」
「何、興味あるの、」
「僕は無い」
即答すると、河合は何故か苦笑した。彼の顔はまだ見えているというのに、さくらより、何を考えているのか分からない。どうも、僕の想定範囲外のことをばかりなので、未だにどのような人物なのか一言で表現し辛い。嫌われてはいないようだが、僕としてはそのような不可解な人間となるべく距離を置きたいと思っているので、いっそ嫌われた方が安心できるのではないかと錯覚してしまう。
河合の答えを次の部の集まりの時に伝えると、ユメは両手を頬に当てて興奮しているようだった。河合に彼女がいないと判明しただけで、恋人になれると決まったわけではないのにあんまり喜ぶので、これでもし失恋でもしようものなら、その反動はどれほどのものになるかと、想像するだけで僕は頭が痛くなる気がした。これでもう手を引きたいところで、「これ以上は協力できそうもないな」と困った顔を向けると、「いいの、ありがとう、」と僕の手に触れてきた。生温かい人の手は気持ち悪く、思わず手を引っ込めた。ユメが首を傾げたので、誤魔化すために笑顔を作り、「上手くいくといいね」と話を逸らした。
「うん、ありがとう」
きっと、彼女は今、満面の笑みを浮かべていることだろう。鏡に映った彼女は整った顔立ちに、赤い頬をした少女なので、きっと笑っている顔は人に好かれるものに違いない。
「ミキちゃん、最後に一つ、お願いがあるんだけど・・・」
その言葉通り、それで最後になるかどうかは分からないが、最後にと念を押されるとこれもまた断わり辛い。人の弱いところをつく、あまりにも面倒で、やはり気軽な約束などするべきでは無かった。
「どんな願い、」
「あのね、今度隣町で祭りあるでしょう、河合君を誘ってくれないかな、」
「自分で誘った方がいいんじゃない、」
やんわりと拒絶を示したが、恋する乙女は盲目と言うか、図々しい。
「でも、私、会う機会ないから・・・」
「河合なら、剣道部だから、平日は午前中練習だろう。だから、その時に誘えばいいんじゃないか」
そんなことぐらい、自分だけで解決してほしい。無関係の僕に頼るくらいの図々しさがあるのなら、河合を誘うくらい訳ないだろう。心に思う黒い感情を吐き出してしまいたかったが、対面だけは取り繕う冷静な自分が押し留める。
「でもね、やっぱり、怖いし・・・だから、聞いてくれないかな」
この調子ならば、事あるごとに僕を通じて河合の情報を引き出そうとすることだろう。そのたびに僕から彼に声を掛けなければならない面倒さを思い、ため息が出そうになるのを俯いて誤魔化した。
「それだと、ユメの聞きたい細かいことはわからない。だから、僕が彼の連絡先を聞いて、ユメに教えるよ」
「だけど・・・」
「それなら、河合に連絡先と夏祭りの予定を聞いて、ユメに電話して教える。それでいいかな、僕は親戚の家に行くからしばらくこっちに居ない。だから、出来るのはここまでだよ」
まだ物足りないのか、ユメは小声で「でも・・・」と呟いていた。一体何が気に食わないのか、僕は河合の予定まで聞いてやろうと結果、彼女の提案を飲み込んだ形だというのに。これで納得しないのならば、いい加減、迷惑だと突っぱねてしまおう。
「・・・うん、あとは自分で頑張ってみるね」
「それがいいよ」
多分、ひきつった笑みになっていたことだろう。彼女に本音が伝わらなければ、それでよい。きっと、変な人だと思われているだけだろう。
「そういえば、さっき僕って言ったよね。もしかして、地はそうなの、」
「そんなことないよ、聞き間違いじゃないかな」
彼女に自分を曝す必要は無い。あまりにも腹が立っていたから、本音の部分が僅かに出てしまっただけだろう。とにかく、もう一度河合と会話をして、彼女に電話をするだけで済む。僕は親戚の家に行くことになっているのだから、彼女と連絡を取り合う必要も無い。あとは夏休みが終わるまで、さくら以外の誰かと特別会話をしなくても良くなる。ようやく解放されるのだと思うと、何故か少しの僅かな寂しさが胸を過ったが、それは未来の約束をまたしてしまったからだと整合性のとれない自分を納得させた。
お盆前の最後の塾の日、河合に祭りの予定を聞いて、「無い」と笑顔で応えたので、連絡先をメモし、彼にユメという名と電話番号を押しつけた。そして、そのまま逃げようとしたのだが、すぐに腕を掴まれて、結果逃げ出すことは出来なかった。
「ユメって言われても、誰か分からないんだが・・・」
僕はてっきり、二人がある程度の面識があるのだと思っていたので、これは面倒だと思い、眉を顰めた。好きになるほどなのだから、名前くらいは知っている仲でなければ、付き合うという過程に至れるかどうかわからないのではないだろうか。
「名字は、確か、田口、だったと思う」
おそらくそれらしい女子が思い浮かんだのだろう、河合は困惑した表情をしていた。その様子から、相思相愛という訳では無さそうだ。けれど、二人が相思相愛であろうと片想いであろうと僕には一寸も関係ない。
「伝えたから、じゃあ、さようなら」
まだ河合は何か言いたそうな顔をしていたが、伝えることはすべて伝え、自分の役割を果たしたので、塾の前に留めてある自転車まで一気に走り、そのまま早々と家に帰って行った。最後に僕に残された役割は、ユメに電話で伝えることだけだ。煩わしさからこれで解放される。
帰ってすぐに電話をし、事の次第を伝えるとユメはやはり高揚した声で「ありがとう」と言ってきた。その後も何かと電話で自分のことをペラペラと捲し立て、相談をし始めたので、なんて煩わしい女だと嫌気が指し、「ごめん、ちょっと親が電話使うみたいだから、」と嘘を言って相手の返事も聞かずに受話器を置いた。
母が「誰と電話してたの、」と珍しく聞いてきたので、「文芸部の部員」と出来るだけ感情の無い声で答えた。
「ま、可愛げのない。お姉ちゃんは、」
またいつものように姉と僕を比較した。母だけではない、父も、親族も姉を知っているほぼ全てが僕と姉を比べ、「逆だったら良かった」だとか「お姉ちゃんにもうちょっと似ればね」と諦めた声を浴びせる。確かに僕は愛想が悪い、頭も悪い、運動神経も鈍い、特技も無い、姉と比べれば、総てが劣化した存在だ。ただ、少なくとも姉と違い、親の意向通りの役割を演じるようにしている。それでも満足がいかないほど、僕は劣っているのだろう。それならば、仕方が無い。




