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 薄ぼけた視界に、電流が走った。星のようにチカチカと閃光が視界に浮かんでは消え、また浮かんでは消えた。

 次第に感覚が戻り始めて、頭に痛みが襲った。初めは分からなかったが、それが内部からこみ上げるものではなく、外傷によるものだと気づいた。

 「・・・バーカ、チービ、餓鬼、とうへんぼく!」

 果たして、トウヘンボクとはいかなる意味であろうかと気になりつつ、耳元で悪口らしい声が断続的に続いた。この声に聞き覚えが無かったので、どうして赤の他人からこのような文句を言われなければならないかと思うと、涙が出そうだったが堪えて人影を睨みつけた。

 まだ視界ははっきりしないが、その人影に見覚えがあった。

 「・・・」

 声に聞き覚えはなかったが、その顔は忘れようもない。眉を吊り上げ、何故かは知らないが、今にも泣き出してしまいそうな顔をした大輝がそこにいた。悪口を言われている僕が涙を流すのなら兎も角、彼が泣く理由など何一つ無い。いや、泣きそうに見えるのは気の所為で、きっと本当のところは何も意味のない無表情なのだろう。

 「・・・よお、ここで何してんだよバカ」

 「大輝、」

 色彩が戻っても視界の歪みは変わらない。見えなければならないものが、掠れ、状況を把握するだけの頭が回らない。

 「どうしたんだよ、ミキ、」

 「大輝、」僕は大輝の体操服を掴み、片方の手で喉を押さえながら声を吐き出した。「僕は、男だよね。大輝だって、知ってるだろう、」

 恐怖に身体は震えていた。大輝は戸惑った顔を見せて、縋りつく僕の手を両手で包み、同じように震えた声で応えた。

 「ミキ、ごめん」大輝の両手は熱く、反対に僕の体は急速に温度が失われて行く。「オレ、本当は覚えてないんだ。ごめん、ごめんな」

 謝ってほしい訳じゃない。そうじゃないと言いたいのに、言葉が出ない。

 口を開けて叫び出したいのに、声が出ない。瞳が激しく揺れ、涙があふれ出しそうなのに、それすら流れない。ただ口を大きく開けたまま、小刻みに震えるみっともない姿のままだ。

 自分の意識と言うものがあるのかどうか、精神は身体から剥離されたように、状況を朧だが客観的に見ている自分がいる。僕の身体は大輝に引っ張られるようにその場から連れだされて、校舎に戻ってすぐにある保健室に入った。先生がどうしたことか尋ねてくるが、僕には精神が剥離している状態なので、声を出すことが出来ない。

 代わりに大輝が説明をしているようだったが、僕には聞きとることも上手くいかない。保険の先生は、ようやく状況を理解すると、大輝を無下に追い払い、僕に下着とオムツに似たものを手渡した。これをどうしろというのか、僕は予想することは出来たが、実行する気になれない。

 「もしかして知らないのかい、」

 「・・・男だから」

 「冗談は良いから、早くしなさい」

 保健室の奥、仕切とカーテンの中に追いやられ、早く着替えるように要求された。使い方は、おそらく下着にオムツを重ねるのだろう。血が流れ続けているのだから、おねしょをする子どもと同じように漏れてしまわないよう、この薄いオムツをしなければならない。折角成長して排泄を畜生のように所構わずしなくて済むようになったというのに、今度は血が僕の体から排出され続ける。これが女の現象だということは、保健の授業以外でも知るところである。

 着替え終わると先生は僕の制服を渡し、血に濡れた下着とハーフパンツは黒いビニール袋の中に詰め僕に返した。こんなもの投げ捨ててしまいたかったが、身体は精神の支配を受け付けず、椅子に腰かけ動こうとしない。

 今日は早退したら良いと先生が言い、僕も断わる理由は無かったので身体がそれに沈黙で同意した。親に連絡をするように言っていたが、この時間に家に誰もいる筈がない。僕はクラスメイトの女子が届けてくれた鞄と黒いビニール袋を両手に持ち、校舎を出て自転車置き場に向かった。朝着てきたときからそれほど時間が立っていないので、合羽まだ冷たく湿っていたが、どうせまた濡れてしまうのだから大差ない。

 雨は一日中降り続け、きっと明日も明後日も雨だろう。

 どうして雨なのかを考えて、今が梅雨の季節だからだと思い出した。

 季節は、精神と身体の具合など無関係に変化してゆく。対応しなければならないのは僕の方だと言うのに、一体何をやっているのだろうか。

 きっと、変なのは今日だけで、明日になれば事態も変わっているだろう。いつも嫌なことがあっても、明日も同じことが続くとは限らないではないか。日が暮れて、夜になり、朝が来て、きっと変わっているに違いない。

 それは宗教に対する妄信と同一だったかもしれない。

 明日は明日の風が吹く、そう思わなければ壊れてしまいそうだった。ショックで人は死にやしないし、ましてや気絶すらしない。死んでしまいそうになれば、身体の方が精神を切り離してまでも死ぬことを回避させる。つまり、精神が死を望もうと身体がある限り、僕が死ぬことは無く、同時に身体を失わない限り、精神が失われることもあり得ない。理性が身体を制するのではなく、身体が理性を制している。それはまだ、僕が完全な大人ではないからだろうか、しかし、理性、つまり精神は身体が在って初めて成立するものであり、身体の行為の一つが思考であるので、それはよほどのことが無い限り勝ることは出来ないのではないだろうか。どれほど憎かろうと己より順位の高い権力者には簡単に逆らえないように、精神もその産みの親であり大本である身体に勝るはずもない。


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