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体育委員が、四時間目の体育は室内でバレーボールを行うことになったと黒板に記した。そんなことをしなくとも、皆この雨の中でプールを行わないことはわかっていたので、誰もが確認するまでも無く体育館に向かっていたことだろう。
頭が痛く、下腹が内部に向かって引っ張れるかのように鈍く痛んだ。もしかしたら、ハーフパンツとスカートを重ねて履いている所為なのかもしれないが、それは毎日のことなのだから、要因としては考えにくい。親指を掌で握りしめていると僅かながら痛みが和らぐような気がして、顔を俯け、引き出しの中に手を入れて授業を無理に受けた。保健室に行く事を思いついたが、保健の先生は厳しい人なので、怖いという思いが先行し、何もせず耐えていれば良いだけだと、額の汗を袖で拭いながらじっと我慢し続けた。
昼食前の体育と言うのは皆が空腹を抱えて無理に動かなければならないためか、他の時間の時に比べると動作の機微に欠ける。それでも教師には知ったことではないので、指導に手を抜くことはしない。
さすがにこの体調で走り回れるほどの自信は無かったので見学したかったが、熱があるわけでもないので、担当教諭が諸手を挙げて了承する筈が無い。それに、この教師はこの手の見学をしたものには評価を著しく下げる。数学などの教科と異なり、体育の評価は不透明で且つ基準が曖昧で、どれだけその教師に好かれるか、あるいは最低限目をつけられないかが重要なのだ。そうなると、意志薄弱の僕としては先生に見学したいなどと言えるはずもない。
せめてのもの救いは、訳も分からずほぼ無休で泳がされ続ける水泳ではなく、男女ともに体育館を使用するので、一面だけで行うバレーボールに変更されたことだ。それに付けても、身体の調子は頗る悪いことに変わりは無く、立っているだけで熱も無いのに意識がぼうとする。きっと、風邪の引き始めだから具合が悪いのだろう、家に帰ってから市販の風邪薬を飲めば何時も通りすぐに治ってしまうことだろう。
どうにも無理をしてバレーに参加しては居るが、どうにも腹が背中に張りつきそうな、鈍く断続的な痛みが止まない。額に滴る汗は普段と違い、変な匂いがして妙に肌に張り付く。これが脂汗と言うものなのかは知らないが、体温調節のために出る汗とは類が違う。
「あの、」
傍にいた顔の無い女子に声を掛けられ、思わず身構えた。何か酷い失態をしてしまったのか、それとも具合の悪さが表に出てしまったのだろうか。
無理に笑みを作り、「何、」と聞き返した。すると、女子は僕の肩を抱いて体育館の壁際に連れて行き、耳元で囁いた。
「血が付いてるわ」
「・・・え、」
予想外の言葉に、何のことなのか僕には当然分かる筈もない。バレーボールが身体に当たった記憶も無かったが、気分の悪さから鼻血が出てしまったのかと鼻の下を拭って見たが、汗がついただけで血の後も感触もない。
「違う違う、」女子はさらに声を顰め、「あの日みたいよ」と囁いた。
胸の辺りに害虫が湧いたように、ざわざわと落ち着かない。
「あの日、って、」
女子たちの意味する「あの日」を知らないほど無知ではない。しかし、それはあり得ない、
「やだ、生理よ・・・」
女子に僕がそうであるはずが無いと訂正するまえに、ぽんと女子に軽く肩を叩かれた。それがきっかけか、身体が一度ビクリと痙攣し、弾けるように足が身体を引っ張って走り出した。脳で考えている僕と走る足、身体とが一致しない。視界は歪み、正常な時の形を有していない。
どうやら足が辿り着いたのはトイレで、白い便器の前に立ち、僕はハーフパンツの中を覗き込み、絶望した。
僕は男なのだ、だから、あり得ない。
けれど、僕の体には、僕が男だと示す証拠が無い。
どこにも、無い。
無い。
何も無い。
前後不覚。呆然自失。
覚醒しているというのに、何も聞こえない。
目は開かれているというのに、何も見えない。
肌の感覚もない。
どうやって息を吸っているのだろうか。
先ほどまであれ程酷かった苦痛もない。
どうなっているのだろうか、自分という感覚が風の前の塵に似て、今にも消えてしまいそうだ。
いや、消えてしまっているのだろうか。
もしかしたら既に、僕はショック死してしまったのかもしれない。
何も感じない、これが死なのだとしたら、嗚呼、これも悪くない。
良いかどうかはわからないが、これなら悪くない。
それとも、総てが長い夢で、本当の僕はまだ五歳児のまま、どこかで眠っているのか。
どちらにしたって、悪夢には違いないのに。




