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 特別理由もなかったので、僕は美術部を辞めた。中学は、引退するまで必ず何かの部活に入らなければならなかったので、幽霊部員が一番多い文芸部に入った。いや、そこには僅かな下心があり、幽霊部員になれるから入ったわけではない。僕はあの詩を書いた人に興味を持ち、どのような人なのか知りたいからこそ、入部した。けれど、部室にいるのはマンガや本を読む生徒ばかりで、あの詩を書いた人物がその中に居るようにはとても思えなかった。

 「あれ、」

 同じクラスの女子が僕に気づき、声をかけてきた。どう接すればいいのか分からず一瞬戸惑ったが、取り敢えず人当たりの良い浮かべ、「こんにちは」と挨拶した。

 「どうしたの、」

 「・・・入部したんです」

 「へぇ、この時期に珍しいね」

 当然と言えば当然の疑問だ。まさか幽霊部員に為りたいから、と変な言い訳を言える筈も無く、正直なところを伝えた。

 「文芸誌に載ってた詩、良いなと思って」

 女子は他の女子と目配せし、互いに少し驚いた顔をしていたが、すぐに柔らかい笑みを返してきたので、彼女らは多分人当たりの良い質なのだと分かった。

 「ああ、あれね。書いたのは確か、安奈だったかしら」

 「安奈、」

 「夏休み明けに、親が離婚してこっちに引っ越してきた子。1組だったかな、そうよね」

 女子たちは互いに頷き合ったが、僕は下の名前だけを聴かされても良くわからない。教えてくれるのなら、名簿で探しやすい名字を教えて欲しかった。

 「それなら、安奈に伝えておこうか、」

知らない女子が、そう言いながら笑いかけた。おそらく、彼女は安奈の友達なのだろう。感想を伝えるつもりは無かったので、「いや、いいよ」とごまかすために、曖昧に笑みを作ちながら断わった。女子たちは新入部員の僕に興味を示し、話を聞いてきたが、どうにも居心地が悪く、結局、小さな声で「うん」や「あー」と応えることしか出来なかった。

 あのような詩を書くものとそぐわぬ雰囲気を感じ、おそらく彼女もここには来ないだろうと予測して、初日に顔を覗かせただけで、それから先は作品を提出するとき以外、部室に顔を覗かせることは無かった。何より、僕は塾に通う回数が増えて、放課後にゆっくりと時間を過ごすことが出来なくなっていた。もうすぐ高校受験であり、母は成る丈レベルの高い進学校に進むことを望んでいた。だが、僕としては遠い学校に通うより、家から近い平凡レベルの学校に入ることを目標としていた。子どもが少なくなった所為か、去年も定員割れをした公立校なので、よほど成績が悪くない限り、入学出来ない学校ではなかった。

 三学期が始まり、テストが終わると卒業式が来る。美術部には三年生は居らず、また、僕はもう文芸部だったので、一度も見たことのない文芸部の卒業生のために部活全体で花を送った。その日はさすがに文芸部全員が集合し、心の籠もらない乾いた言葉を先生に送り、あとは個人個人で言葉を交わし合い時間を潰していた。部活動といえば、皆涙を流して別れを言うものであるが、誰も涙なぞ流さず意外にあっけらかんとしていた。同じクラスの女子以外、同小学校の生徒もいなかったので、僕は教室の隅を陣取り、傍観者に徹した。文芸部は男女ともに募集をしていたはずだが、男子が一人も居らず、女子だけの部活になっていたので、余計に居心地が悪かった。

 ふと顔を上げると、教室の前の窓から、外を退屈そうに眺めている女子が一人いた。僕はそれが安奈なのだと、妙な確信を持ってその横顔を眺めていた。すると、この視線に気づいたのか、彼女は僕の方を見て、熟女のように艶めいた薄い笑みを浮かべたので、思わず心臓が高鳴った。

 彼女から近づいてくれないことは明白で、僕は蜜に近寄る虫になってしまったのか、ふらふらとその黒髪に吸い寄せられていた。

 「あの、」

 「・・・何か用でもあるの、」

 吸い寄せられただけで、明確な用などあるはずはない。僕は言葉に詰まって、「安奈、さん」と絞り出すように声をかけた。彼女は少し驚いた風に目を見開いたが、すぐにあの艶かしい笑みを顔に張り付けた。

 「そうだけど、貴方は、」

 「僕は・・・」

 しどろもどろになりながら、自分の名札に目をやった。その様子を見ていた安奈は、首を竦めて「下の名前は、」と少し高い声で聞いてきた。

 「ミキ・・・ミキオ、」

 安奈は僕から目を離し、「それなら、ミキね。私も呼び捨てでいいわ」と吐き捨てるように応えた。何か気に食わないことでも言ってしまったのかと戸惑っていると、安奈はその鋭い黒眼で僕を見据えた。

 「ごめんなさい、父と同じ名前だったから。男っぽい名前を娘につけるのね」

 「だって、男だから」

 自然と僕は応えていた。そして、すぐに後悔し両手で口を塞いだが、安奈は馬鹿にするわけでも、気味悪がるわけでもなく、何を考えているのか読めない笑みを浮かべたまま、僕に目を向け続けた。

 「そう、貴方は男なの。私は、今は女よ」

 それがどういう意味なのか測りかねていた。おそらく、全て冗談だと思われているのだろう。気味悪がられるより、その方が幾分も良かった。

 「傍にいてもいい、」

 尋ねると、安奈は僕から視線を外して、「どうぞ」と投げやりに答えた。それきり会話らしいものをしなかったが、誰かの傍にいるというだけで、孤独な人間なのだと思われずに済むもので、本当の所孤独と変わらないと言うのに、寂しさと恥かしさが薄らいだ。

 安奈は同じ年だというのに、ほかの者には感じたことのない色気を感じ、隣にいるだけ自分鼓動が耳にまで届く程緊張していた。夜の闇を深くしたような黒髪が、乱雑な風に靡く度に、細く白い首筋が垣間見え、それに触れてみたい衝動が胸に沸き起こり、落ち着かない。彼女が微笑むたびに、唇は紅もつけていないのに、艶やかな紅をその白い肌の中に浮かび上がらせている。大人っぽい割に、彼女の顔は大人のようにかすれることもなく、その落差が実に蠱惑的な色気を出すのだろう。

 卒業式が終わった後も、安奈のことを忘れることが出来なかった。大輝のことも佐藤のことも全て隅に追いやる程、安奈の横顔、唇、項、髪、瞳、指先、身体の総てが一時も僕の頭から離れない。すっかり、彼女にまいってしまっている。これが恋というものなのだろうか、一度も経験をしたことのない感情だった。


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