1.捨てる男、拾う男
「オレ、就職するわ。
だから別れよ」
突然、宣言された。
「――え。バンドは?」
「辞める。このままやってても売れる気しねぇよ」
「……嘘だろ?いきなり……」
「お前もさ、いい加減現実見ろよ。
そういうとこもうキツイわ」
大学時代から5年を共にした相方の顔に、もうあの頃の光はなかった。
その後ファンへのお礼として開催した、解散ライブ。
事実を受け止めて、今までのことに感謝して、つらいけど前を向いて。
お互いに違う道の一歩を踏み出して――
「いい加減、出ていってくれる?
いつまでも居座ってんなよ」
楽屋で余韻に浸る暇もなく告げられた。
「……無茶言うなよ。おれ貯金ないの知ってんじゃん」
「じゃあ実家に帰れよ」
「……それは……」
「一週間、猶予やるよ。荷物取りに来るときだけ連絡して」
もうおれに何の感情も抱いてない目で見下ろして、今日までの相方は楽屋を出ていった。
大滝源吾、25歳、名も無きバンドのベーシスト。
世間は卒業の季節、バンドも、彼氏も、住むところも無くしました。
♪
「どぉしたらいいんだよぉ〜、マスターぁぁ」
「災難だなぁ、ゲンゴ」
解散ライブ終了後、ライブハウスのカウンターでマスターに泣きつく。
「カケルのやつ鍵も持っていきやがった。
今日から行くとこねぇよぉ」
浴びるほど飲みたい気分だが、金欠なので安酒を一杯。
酔わない量なのに、涙が溢れてくる。
「おれ生活費も入れて家事も全部してたのにこの仕打ち……
なんでだよぉ〜おれが何かしたのかよ〜」
『お前さ、一緒にいるの疲れるわ。重い』
元カレはそう言った。
重いって、なんだよ。
頑張ったのに。
お前の言うこといつも聞いてやったのに。
カウンターに臥せて、しばらく涙を流して。
ひとしきり泣いたら、ネットカフェにでも――
「マスター、この子、うちで預かろうか?」
カウンターの端でそんな声が聞こえて、顔を上げた。
「おー、セーワくんほんと?
いいんじゃない」
マスターが話している相手は。
スーツにメガネ、前髪を下ろした、地味なサラリーマンだった。
「ゲンゴ、今日はこの人が泊めてくれるってよ。
うちでもたまに演奏してるキーボードのセーワくん」
音楽やる人に見えないくらいには、地味な人。
でもマスターの知り合いなら、ヤバい属性の人ではないだろう。
“セーワくん”がこっちを見て、静かに微笑む。
「ゲンゴくん、だっけ。今日の演奏見てたよ。
5弦ベース、いいね」
「……どうもっす」
「うちでよかったら、泊まっていいよ」
「……めっちゃ助かります、すいません」
ライブ、観てくれてたんだ。
ベースはただでさえ脇役になりやすい上、低い音の弦が一本多い5弦ベースはかなり少数派で、気づいてももらえないことが多いのに。
この人は、結構な音楽通な気がする。
「じゃあ、そろそろ行く?」
「お世話になります。
あ、おれガチの金欠っすけど、ほんとにいいんですか」
「聞こえてたよ。
気にしなくていい」
「まああれです、最終カラダで払いますんで」
「はは。取って食ったりしないよ」
半分ヤケだ。
今どん底なおれは、最悪この人が体目的でもいいやと思ってる。
普通に考えて、見ず知らずのバンドマンなんか拾って荷物にしかならないんだから。
彼の家に向かう間、話はちょっとずつした。
藤崎清和くん、32歳。
普段はジャズ系をやってるらしい。
おれはジャズは分からない、自由に演奏するってことくらいしか。
でも、清和くんは物知りだ。
有名なベーシストの名前を何人も知ってて、おれに話を合わせてくれる。
おれが知らないベーシストの名前もいろいろ出て、なんでキミの方が詳しいん?ってなりっぱなしなんだけど。
音楽通、っつーか……
これはガチ勢の香り。
只者じゃない気がする。
バンドかっけぇ〜って始めたおれや元カレとは、次元が違うような……
でも、リーマンで普通に正社員だから不思議だ。
あれかな、オタク気質な人なのかも。
電車に乗って、駅から少し歩いて、ちょっといい感じのマンションが清和くんのお宅。
シックなエントランスに、オートロック。
安アパートとは全然雰囲気が違う。
部屋に上げてもらって、リビングの奥――
「うわ」
突っ張り型のパーテーションの向こう、パソコンを置いたテーブルに、鍵盤、それと左右にスピーカー、コードがいろいろ繋いであって、ちょっとした要塞があった。
「もしかして、パソコンで音楽作るとかっすか」
「そう、DTM。やってる」
「すげー」
「ベッドはこっち。自由に使って」
「え、全然、ソファーお借りするんで、てか床で大丈夫っす」
「あー、俺がむしろ普段ソファーで寝てるから。
これから作曲進めて、ソファーで寝落ちする。だからベッドの方使って」
涼しい顔で、ネクタイを外しながら言う清和くん。
これから?もう夜中近いけど。
作曲してるんだ。しかも寝落ちって。
趣味だとしても、これは明らかなガチ勢だ。
「ここ、風呂ね。
冷蔵庫ほぼ物ないけど、ミネラルウォーター適当に飲んでいいよ。
俺の部屋着でよかったら寝るとき着て」
ひとしきり案内されて、シャワーだけ使わせてもらった。
「お風呂、お先です」
「んー」
清和くんはもうパソコンに向かって、何やら作業を開始している。
「お水、もらいます」
「どーぞ」
おれの方を見向きもせず、画面を見つめてパソコンをカチカチやってる。
ヘッドホンをしてるのが何かプロデューサーな雰囲気。
「じゃあ、ベッド借ります……おやすみなさい」
「んー」
(没頭型だな、生返事だわ)
気持ちは分かる。
それに、音楽ガチ勢はかっこいい。
面白そうな人だ。
一人暮らしの男っぽい、ちょっと、いやまあまあ片付けの行き届いていない部屋。
ベッドに入ると、一瞬忘れていた今日のあれこれが急に思い出されてきた。
(まじこれからどうしよう)
別れると言われても、結局ずっと同棲していたアパートにいたから、今になって急に一人になった実感が押し寄せてきた。
(ほんとに……別れたんだ)
話し合いもしたけど、元カレは取り付く島もなかった。
別れ話の後は普通に友達同士のように生活はしてきたけど、ここでいきなり切られるなんて。
家賃と生活費の折半と奨学金で、出ていく貯金をする余裕はなかったのを知っていたはずなのに。
(バンドもなくなっちゃったし……バイト増やして、しばらくネカフェか安ホテルに……)
明日からのことを思うと、疲れているはずなのに全然寝付けなかった。
♪
「すいません!寝すぎました」
「あー。おはよ」
起きたら昼前。寝付けなかった分だけしっかり寝坊してしまった。
昨日泊めてくれた清和くんは、またパソコンに向かっていた。
長居をするのは申し訳ないので、準備をしてお暇しないと……
「源吾くん、ちょっと。
ベースこれに繋いでみてよ」
「え?」
突然清和くんに言われ、戸惑いながらベースを持ってきた。
エフェクターとも違う、小さい機器にシールドを差し込む。
アンプの代わりのスピーカーから音が出た。
「音量大丈夫?」
「このくらいなら、普段から流してる」
パソコンの周囲の床や壁には吸音材が貼ってあり、一応防音仕様にしてあるのはさすが。
「この曲のこの部分さ、ちょっと弾いてみてよ。
コードはこれ」
清和くんが、自分で作った音を流してくれる。
何度か聞いて使う音を把握してから、曲に合わせてベースを入れてみた。
「うん。いいね」
「ほんとっすか」
「じゃあ、この部分からここまでやってみよ。次は俺も合わせて弾いてみる。
ドラムパートだけ、音流すな」
「おっけーっす」
曲に合わすのも弾きやすい曲でおもしろかったけど、ドラムパートだけ残してあとは生演奏の音。
ちょっと緊張してカウントを待つ。
クリック音が鳴り、清和くんのピアノと同時にベースを入れた。
うわ。
何だコレ。
かっこよすぎねーか?
同時に音が聞こえた瞬間、火がついたように胸の奥が熱くなる。
全身がこの音楽を喜んでる。
今までもそれなりに高揚したことはあるけど、正直群を抜いて、テンションがアガってる。
やべえだろ、コレ。
清和くんの指、まるで魔法みたいだ。
音がキラキラ輝いて“見える”ような感覚は、初めて。
やってきたジャンルが違うからかもしれないけど、
なんつーか、音使いがエロい。
欲しかった音をくれるっていうか、和音の響きがエロいっていうか、
スパダリってこういうことじゃね!?
……音楽をやる奴にはきっと通じるはずだ。
ただ、正直ベースが力不足で置いていかれてるのを感じる。
清和くんの音に合う音が、もっとあるはずなのに。
まだそれが分からない。
「もう一回。
もっと遊んでいいよ。せっかくだから五弦まで使ってさ。
俺、低音好きなんだよ」
おおぉ。
その言い方、ベース殺しっす。
ベースの音ちゃんと聞いてくれる人って、多くない。
それも五弦まで求めてくれる人って、さらに少ない。
嬉しくなっちゃうだろ。
もう一度清和くんがドラムパートだけ流してくれて、再チャレンジ。
清和くんの音をしっかり聴けるほどの余裕は今ないけど、
それでも耳に入ってくる鮮やかな音とリズム。
めっちゃ心地良い。
安心して音を委ねられる、上級者と演るときの感覚。
こんなの、最高じゃん。
昨日まで絶望してたのに。
そして気づけば、数時間が経っていた。
♪
「源吾、行くとこないんだろ。
金貯まるまでうちにいな。
んでときどき手伝ってよ、ベースパート」
「ぉぉおれでよかったら、お手伝いさせてください、じゃあ、お世話になります」
音合わせ後、清和くんが申し出てくれた。
もうこの音を聴いちゃったら出ていきたくなくなった。
清和くんまじ、拾う神。
ていうか、完全に音に釣り上げられた。
「あと、家事はやらせていただくんで!
おれ得意なんで任せてください!早速なんですけどお皿洗っていいっすか?」
「ああ……じゃ、頼むわ」
実は昨日水をもらいながら気になっていたこと。
シンクにカップや皿が溜まっていて、いかにも男の一人暮らし。
ついでに風呂場の隅の水垢が気になったり、部屋の埃が気になっていたので、その辺まとめて掃除させてもらった。
その間、清和くんはずっとパソコンに向かっていた。
♪
「めちゃ助かるわ。汚くてごめん」
「全然、余裕っす」
「あ、敬語いらないよ。
なら料理もできる感じ?」
「まかせてもらって」
「ちょうどいいじゃん。生活の面倒見るから、家事してくれたら。
それでいい?」
「いや、生活費、自分の分は出すんで」
「いらないよ。一人くらい、養える」
この余裕感、すごくね?
エリートか。
「あの、お仕事、何してんの?」
「経理」
「それっぽい」
「よく言われる。
それと一応、作曲の副業もあるから」
「え、それって、プロ……」
「これ一本で食えるほどのもんじゃないけどね」
いやいやいや。
音楽で金もらってる人じゃん。
インディーズ底辺のおれとは訳が違う。
ガチ勢どころか、業界の人だった。
「なんで、リーマンなんかやってんの?」
「プロには実力もセンスも足りないから」
……は?
あれで?足りない?
じゃあバンドでやっていこうとしてたおれって、何?
音楽副業にしてるリーマン、何者?
「音楽にしがみついた凡人の、末路だよ」
清和くんはそう言って笑い、またパソコンの前に座ってヘッドホンを装着した。
かっこよすぎね?
いろいろ失ったおれ、なんかすげえリーマン作曲家に拾われました。
※DTM=デスクトップミュージック、パソコン等で楽曲制作を行うこと。ちなみに和製英語。




