② グローヴズ公爵夫人・前編
「フレデリカ。俺がお前を愛することはない」
これから初夜を迎えようというそのタイミングで、夫が憎々しげにこちらを睨みつけながら吐き捨てた。
「お前のような可愛げのない女を妻にするなんて、俺は嫌だったんだ。兄上の命で仕方なく結婚してやったんだから、感謝しろ」
彼の目には愉悦の色が浮かんでいる。
私が傷ついて悲しむとでも思っていたのかしら?残念ながらノーダメージだ。
「不本意なのは私も同じでしてよ。離縁なさりたいのならばどうぞ?お止めしませんわ。貴方が王命に反したのだと、きちんと証言して頂ければ」
「何だ、その物言いは。不本意などと……不敬だぞ!王族たる俺がわざわざ降下してやったというのに」
「臣籍降下なさったのですから、もう王族ではありません。今の貴方は私と同じ、公爵家の人間ですわ」
「っ……そういう所が可愛げが無いというんだ。少しは俺に愛される努力をしようとは思わないのか」
いいえ、全く。
見た目だけならば金髪碧眼の美しい王子。彼の容姿と王弟という立場に群がってくる女性が掃いて捨てるほどいたのは知っている。彼女たちの美辞麗句を信じ込んで、女性ならば誰しも自分に想いを寄せると信じているのかしら。滑稽だわ。
「政略結婚ですもの。愛など不要ですわ。余所で愛人を何人作ろうが構いません。但し子を設けるのは私のみとして下さいませ。跡継ぎ争いは避けたいですから」
「ふん。俺の情けが欲しいのなら、素直にそう言え。そうだな……土下座して『抱いて下さい』とお願いすれば考えてやらなくもない」
貴婦人としてかろうじて浮かべていた笑みを引っ込めて、私は真顔で夫となったばかりの男を見据えた。
「自分のお立場が分かっておられないようね。当主は貴方ですが、家門の者たちはグローヴズ家の血を引かない者を長とは認めません。彼らが派閥の長と認めるのは私だけですわ」
祖父母や両親、そして私が今まで公爵家として派閥を守ってきたからこそ、そして家門の者たちがそれに応えてくれたからこそ、我が一門の現在の繁栄がある。彼らは王族といえども突然入り込んだ異物を受け入れはしない。まして実績のある優秀な人間ならともかく、見目の良さしか取り柄の無い放蕩王子ではね。
「っ……」
夫が顔を顰めた。どうしようもないクズ男だが、自分の立場を理解するくらいの頭はあるようだ。いくら公爵だと威張ったところで、手足となって動く者がいなければ何も出来ないのだと。
安心したわ。ここで暴れるようならもう、病気になって貰うか事故死して貰うしか無いもの。いくら筆頭公爵家とはいえ、王家と対立するのは避けたい。
私は用意してあった契約書を取り出した。
一、オーガスト・グローヴズには毎月金貨30枚の予算を配分する。用途は問わない。
一、愛妾は認めないが、外部に愛人を作っても良い。但し、子を設けてはならない。
一、オーガスト・グローヴズはフレデリカ・グローヴズに最低男子一人を設けること。
夫のこめかみに血管が浮き出ている。よほど怒っているらしい。しかし契約書に国王の印鑑があることに気付き、彼は口を噤んだ。
種馬扱いが不満だったのかしら?こちらとしてはかなり譲歩していると思うけれど。
「これは国王陛下もご承知のこと。この条項さえ守って頂ければ、後はご自由にして頂いて構いませんわ。貴方の分の予算をどう使おうが私は口出ししませんし、愛人を何人作ろうが関与しません」
「……分かった。不本意だが、子種はやろう」
不承不承と言う顔で夫の手が私の身体に触れた。
反吐が出そうだ。
だけど我慢しなければ。これが私の……公爵家の真の跡継ぎとしての役目だもの。
グローヴズ公爵家は建国時から存在する由緒正しい家柄だ。さらに王国中に持つ輸送網は莫大な利益を産み、その資産は王国随一とされている。
私はその跡継ぎとして幼い頃から厳しく育てられた。筆頭公爵家の次期当主として相応しくあるべく、研鑽を積んできた自負もある。
年頃になれば、多くの求婚者が私の元に列を成した。ほとんどが我が家の利権や資金を望む者ばかりだが。両親はその中から、私を支えてくれる優秀な配偶者を選ぼうとしていた。その矢先に国王陛下が、王弟オーガスト殿下と私の縁談を王命として下したのだ。
しかも女公爵の配偶者ではなく、オーガスト殿下を当主にせよという命令付きで。
陛下は「王族が降下するのだから当然だろう。感謝せよ」という態度だったが。
私より10歳以上年上、しかも女好きで醜聞に事欠かない王子など我が家としては迷惑でしかない。
オーガストは先王の側妃の息子だ。噂では陛下は幼い頃、社交界の薔薇と謳われた側妃様に憧れていたという。側妃様亡き後、残された幼い弟王子を陛下は溺愛した。数々の醜聞に重臣たちが物申しても、権力を使って揉み消させるだけ。そして裕福な我が家に目を付け、無理矢理オーガストを降下させたのだ。
「家のことは任せる。お前が必要なのは子種だけだろう?せいぜい、俺の為に公爵家を盛り立ててくれ」
翌朝、口の端を歪ませながらそう言って、夫はどこかに出掛けてしまった。
嫌みのつもりだろうか。種馬の役目以外を期待していないのは事実だし、勉学もロクにしてこなかったくせに態度だけはデカい男など仕事の邪魔でしかない。それに父が育て上げた執務官たちは優秀だもの。彼らがいれば問題無いわ。
それからもオーガストは公爵家の執務には関与することなく、毎日遊び歩いた。約束通り月に数回は私と閨事を行うが、それ以外は外泊か、夜遅くに帰宅する。
そこかしこで愛人を作っているのは把握していた。見張らせていたが、どうやら外で種をばらまかないという約束は守っているらしい。
中には敢えて妊娠して愛妾になろうと目論んだ女もいたが、そのような輩は私の方で速やかに処理した。妊娠が狂言とはいえ、公爵の婚外子がいるなどという噂が出回っては困る。当の夫は女たちの一人が消えたところで、気にもしなかった。その程度の相手だと言うことだ。
心の底から軽蔑するが、愛人を物のように扱う貴族の男は珍しくないのだ。約束を守っている以上、私が口出しすることは出来ない。
「グローヴズ公爵夫人。一曲、如何かな」
「まあ、セドリック殿下。光栄ですわ」
夫と共に出席した夜会で、私はセドリック王太子殿下が差し出した手を取った。二人で広間の中央に躍り出れば、衆目が集まるのを肌に感じる。
「……叔父上は相変わらずのようだな」
セドリック殿下の視線の先には、若い女性を数人侍らせているオーガストの姿があった。一曲目を私と踊った後どこかに消えたと思ったら、女漁りをしていたらしい。
「いつものことですわ。お気になさらず」と微笑んだ私に、セドリック殿下が眉を顰める。
セドリック殿下と私は貴族学院の同級生だ。王太子という立場を笠に着ることなく、同級生と気さくに接する彼は皆に慕われていた。成人した今は執務に携わりつつ貴族たちと繋がりを深め、次期国王として確実に足場を固めている。
傲慢な現王を厭う貴族からは、セドリック殿下の早期即位を望む声が上がっているとも聞く。
「しかし、叔父上の尻ぬぐいを行っているのは君だろう。結局のところ、父上は王家の膿をグローヴズ公爵家に押し付けただけだ」
「陛下がお決めになったことですから、臣下として従うだけですわ」
夫を「膿」だと言い切った殿下が可笑しくて、少し笑ってしまう。しかしセドリック殿下は至極真面目な顔で触れあっていた手に力を籠めた。
「……俺が君のことを諦めたのは、君が公爵家の跡継ぎだったからだ。叔父上に渡すためではない。当主の座を別の者に譲らせるようなことがまかり通るのなら、俺が娶ることだって」
「そのくらいにして下さいませ、殿下。どこに人の耳があるか分かりませんわ」
「防音障壁の魔法は掛けてある。問題ない」
「秘す事があると言っているようなものではありませんか。結婚の儀も近いのです。王太子殿下ともあろう者が、隙を作ってはなりません」
「そうだな。君の言うことはいつも正しい」とセドリック殿下は笑い、名残惜しそうに手を離した。そして曲が終わるとともに礼をし合う。
別れ際に「困ったことがあったら言ってくれ。君からの連絡は俺へ直ちに通すよう、配下に命じておく」と耳元で囁いて、殿下は去っていった。その背中を見つめながら私は扇の陰で溜め息を吐く。
「変わらないわね、貴方も」
セドリック殿下は若い頃から熱い性格だった。共に生徒会に所属していた頃は、意見が対立して長時間の議論に発展したこともある。
今思えば……彼と首席争いをしたり、議論し合ったりしていた時が、人生で一番楽しい瞬間だったと思う。でも、どうしようも無いのだ。互いに長子である以上、私たちは別の道を生きるしかなかったのだもの。




