第29話 食糧危機
帝都が蛮族に強襲される前に聡い者は既に帝都を脱出していた。
というのも東方候は事前に東方圏出身の人々に帝国から脱出するよう促しており、大使も引き上げを行っていた。蛮族の件がなくとも、選帝選挙の混乱で政権、法務省のトップが変わる度に死刑が乱発されて、自分に類が及ぶのを恐れ、裕福な者は国外の帝国系自由都市に住居を移した。
行く当てのない一般庶民も、ラムダオール平原の決戦が行われる頃には、怯えて逃げ出す者も多かった。マグナウラ院の学者達は寝食を忘れて研究に没頭しており、どうせ最後には帝国軍が押し返すだろうとタカをくくって事態を真剣に受け止めていなかった。
「帝国の敗因はなんだと思うかね?」
やせ細った体で土砂を外へ運び出し、生まれて初めての肉体労働で疲れ果てても学者達は毎日討論会を行っていた。
「辺境伯の裏切り」
「皇帝の暗殺による指導者不在」
「軍の腐敗」
「指導力の欠如」
「帝国政府の混乱」
「つまるところ選帝選挙」
「魔導騎士の不足」
「違う違う、諸君は何もわかってない。根本的な原因は庶民の国防意識の欠如だ」
「意識があれば会戦に勝てるとでも?根性論は止せ」
「根性論?違うね。帝都の市民は五百万、武器も兵糧も十分にあった。軍の主力は既に魔導騎士から平民達に移っていた。にも関わらず指導層は貴族ばかり。そして財政の都合上、徴兵制を止めて志願制に変えてしまった。国防を市民ではなく軽犯罪者や食うに困った浮浪者に委ねてしまったのだ」
帝国には百万からの軍隊がいた。
その気になればさらに百万の軍隊を帝都市民だけでも編成可能だった。
しかしながら兵制が変更されて長く、一般市民は軍事は自分と関係ないものと思っていた。
「ふむ、確かに我々にはがむしゃらになっても抵抗する意思が欠如していたといわざるをえん。戦力の中心が平民に移っていたにも関わらず、軍指導者層は貴族で固められていた。これでは士気も上がらないし、庶民のまともな志願者が減るのも無理はない」
「ではどうすれば良かったと思う?いつ来襲するかわからない蛮族に備える為に大軍を配備するか。国防意識に燃えた青年を育て、辺境に長年常駐させるか?不可能だ、国力の浪費だ。財政的にも不可能だし、国家が困窮し、蛮族に対抗出来ても外国勢力との差が縮まりいつかは帝国が打ち倒される」
「確かにその通りだが、君はどうすべきだったと思うのかが聞きたい」
「外交による解決しかあるまい。蛮族を知性ある獣人と認め、妥協点を探る。困難であることは分かっているが五千年かかっても奴らを駆逐出来なかった以上、そうするしかなかった」
「蛮族との永遠の争いに終止符を打つという一点に限ればそうだが、その場合帝国は人類の統率者としての共通の敵がいなくなり支配する大義名分を失う。それによって今度は人類間の戦争が激化する。それに蛮族と妥協するならアル・アシオン辺境伯領を譲渡するしかなかった。国力が減った状態で外国勢と対峙することになる」
何かを解決すればそれによって新たな問題が生じる。
彼らの議論は永遠に終わらない。
◇◆◇
「不毛なお話は終わりですか?」
ケイナンは定期的に避難民側代表のエレンガッセンと諸所の問題を話し合う事にしていた。
議論に熱中していたエレンガッセンが時間に遅れた事に嫌味を言う。
「終わりはしませんけどね。そして不毛でもありません」
「今さらでしょうに」
「我々が惨めな現状に至った理由を皆が理解すれば不満も減ります。戦いはもはや軍人のものではない。この状況に至ってもまだ戦うのは自分の仕事ではないと考えているような人間の考えを改めさせ、抵抗する意思を育む事、そしてどんなに憎くとも蛮族とは最終的に対話し全滅を回避しなければならないということです」
「なるほど、大声で話し合い、道行く人に絡んで議論を吹っ掛けるのもそういう意図があったのですか」
「彼らは素ですがね。止めない理由はそういうことです」
エレンガッセンは苦笑しつつも認めた。
「そしてこそこそと不満を話して不穏な空気が醸成されるのを防ぐこと」
「何か問題が?」
「やはり配給量が少ないのが不満でして、エンツォやアスナールに同情する声もあるほどです。何より食糧庫を管理しているのがウカミ村の人々だという点も」
「しかし、ほぼ全ての食料は我々の物ですよ」
「分かっていますが、私達はカイラス族として一つになると宣言した筈です。もう少し歩み寄って頂いてもいいのではありませんか?蛮族が来る前に内部分裂しかねませんよ」
「貴重な家畜と酒を盗まれて大宴会をされたばかりなのに?恨むならエンツォ達を恨むべきでしょう」
「では、実際どの程度食糧に余裕があるのですか?」
食糧庫は分散して設置してある。
ネズミや火災などで一度にすべて失うのを防ぐ為だ。
全体を管理しているのはケイナンで、オルスも任せきりにしていた。
ケイナンも食糧庫は管理出来ても家畜までは厳重な監視下におけず、鶏を盗み出された。
「よりにもよって雌鶏を二羽盗むとは」
「馬鹿な事をしてくれたものですね。しかしこの際不穏分子を早期に排除出来たと考えましょう」
「死刑には反対だったのでは?」
「やってしまったものは仕方ありません。次からはどうせやるのなら死体は火葬にせず、豚の餌や薬草の苗床にしてしまった方がいいでしょう。肉体は栄養の塊ですからね」
帝国では守護神である大地母神の元へ返す為、土葬が一般的だが犯罪者は火葬される。
汚れた犯罪者を母なる神の元へは送るわけにはいかない為、火によって浄化する。
「意外に過激な事をいいますね」
「腹をくくったのです。で、食糧の余裕はいかほどですか?
「なんとか冬を越せるくらいは」
「では四か月分くらいですか?」
「まあ、そんなところでしょう。配給量を徐々に減らしても大丈夫かとエイラ先生に伺っているところです」
ケイナンとしてはもっと減らしたいのだが、力仕事が出来る体力を維持する程度の食糧は配布しなければならない。
「嘘ですね」
「なんとおっしゃる?」
「周辺の高山には雪がちらつき始めたばかりですが、冬はまだまだこれから。この地域の冬はもっと長いのでしょう?」
「確かにその通り。では五か月は持ちますかな」
「それも嘘。ケイナン殿。私達の間で嘘は止しましょう、私達は協力してこの今にも崩壊しそうな危うい組織をどうにかもたせなければ。全体の事を考えて組織運営が出来るのは私と貴方だけ。真実をおっしゃって下さい。実は食料危機は深刻なのでしょう?蛮族はこの冬は内陸の高原地域に本格的な侵攻はしてこないでしょう。来年の春、我々が食糧を求めて外に出始めた時、かちあう恐れがあります」
春になれば動植物の採集、狩猟対象が増える。
その頃に飢えた人々の腹を満たす為に、危険を承知で行動範囲を広げなくてはならなくなる。
「・・・確かに、エレンガッセン殿のおっしゃる通り。実は食糧は三か月分しかありません。どうすればよいか、困っているのです。エンツォ達はまったく困った事をしてくれた」
「では、現在の配給量を維持すれば二か月分といった所ですか。真冬に食糧が尽きてしまうではありませんか!」
驚いたエレンガッセンの大声が鉱山内に響いた。
今の声は間違いなく誰かに聞かれてしまっただろう。
「ちょ、ちょっと困りますよ!」
「なあに、いいんですよ」
エレンガッセンはにやりと笑う。
「何がいいのですか。暴動が起きるかもしれませんよ」
「まずは情報を開示し信用を勝ち取り、状況が深刻であると皆に知らせ、危機感を持たせること。エンツォの妻子達まで処刑した理由を納得させること。あの女たちも道中で他人のものに窃盗を繰り返していたので同情はすぐに消えるでしょう」
「しかし、食糧不足の根本的解決にはなりません」
「我々の中には植物学者もいます。山中でもっと食べられるものを見つける事が出来るでしょう。私も実地調査をよくやりますからそんなにひ弱な学者ではありません。蛮族が本格的に侵攻してこない今のうちに罠をしかけ鼠でも栗鼠でも通常は食べない小動物も狩ってしまいましょう」
ウカミ村の人々も本来はもっと内陸で暮らしており、長年この地域に足を踏み入れていなかったのでまだまだ知らない事が山ほどある。学者の方が案外、植生を想定して食べられるものを発見できるかもしれない。
「オルスは今、野外活動を活発化させたくないと考えているのですが・・・」
「いや、大丈夫。今行動しなければ手遅れになります。本格的な冬が訪れる前にやれることをやっておきませんと春まで生き延びられてもその時の方が危険です」
ケイナンも食糧問題についてエレンガッセンに全て話したわけではない。
『備蓄食料だけ』なら冬を乗り切れるか微妙な所だったが、偵察班や遠征班が集めてくる食料については意図的に計算に入れていない。
春までもたせることを念頭にいれて食糧危機が深刻だとエレンガッセンに伝え、エンツォ達の処刑の不満を逸らせようとしていたが、エレンガッセンは春までもたせても春こそが危険なのだと主張してきた。
食糧をもっと確保して長い冬、そして春にも備えなければならない。
エレンガッセンの主張を容れてケイナンがオルスを説得し、野外活動を増やした。
子供でも作れるような罠を量産して小動物を狩り、皆は忙しく働き、暗い鉱山で働くよりも日光に当たれることを喜び、不満も薄れた。
厳しく長い冬が迫る中、オルスは綱渡りの選択を選び、結果が吉と出るか、凶と出るかを待った。




