第33話 道化師タッチストーン
皇都の一角にある高級ホテルでタッチストーンは新聞社のオーナーの女性と執事のような格好の老紳士に報告を行っていた。
「というわけで、ブラヴァッキー伯爵夫人の紹介で摂政閣下から宮廷魔術師マミカ殿に蟲を渡す事には成功しました。今は完全に隔離された環境で実験していて油断しているようです」
女性は椅子に座ったまま手紙を読んで項垂れており、紳士の方が受け答えを行った。
「いいでしょう。ですが、潜伏期間を長い物に置き換えて貴族達全体に広めないとすぐに処分されてしまいます」
「ケチな売人ということになっているあっしがあの魔女の研究に口出しするのは無理ですよ」
「マミカとはスパーニア時代の知己ですから私が直接話して仕向けます。研究費用にお困りではありませんか、とね」
「なら最初からあんたが渡せば良かったんでは?」
「私は西方商工会から派遣された経済顧問でしたからそんな怪しげなものを持っていったら疑われます。それに当時は別に親しくもありませんでした」
「さいですか。で、どんな風に仕向けるんで?」
「出来るだけ多くの敵に感染させて亡者と化して操るには潜伏期間が長くすべきだと。そして万が一の為に弱点を設けた方が良いとね。寄生虫が乗っ取る前から見た目ではっきり分かってしまう今の状態では目的は達せられない」
彼らはフリギア家やバルアレス王家の例を挙げながら研究方針を練った。
すぐに発症しては隔離されてしまう。
発症してもすぐに死亡してしまっては感染を拡大させられない。
寄生虫はすぐに大型化してしまって見た目にも影響してしまう。これらの欠点を改善しなければならなかった。
「寄生されてもしばらくは極小化されたままで、接触者にもすぐには分からないってのは難しいですねえ。生物に寄生する必要があるから食事や飲み物に仕込んでも長期間生存するのは無理ですし」
「帝国人の貞操観念が緩い事を利用して唾液交換や性交時に感染し内臓に留まって表皮や血管には出てこないモノを作らせるとしましょうか。伯爵夫人の夢見術を使えば精神暗示も容易いでしょう。・・・ね、ヴィー。協力してくれますね?」
「ペイバック・・・私はもうこんな恐ろしい事は・・・」
読んでいた手紙をそっと押しやった女性は、悲しみに疲れ切り涙も枯れ果てた様子だった。
「伯爵夫人はコリーナの友人だった貴女の頼みしか聞いてくれません。お願いしますよ」
「でも、そんなことをしたら皆死んでしまう・・・」
「大丈夫、対象はオレムイスト家だけにしますから。彼らの血肉だけを欲するように強制進化させます」
「でも、もし制御できなくなったらと思うと恐ろしくて。・・・私には無理です」
「ヴィー。貴女らしくもない。今さら何を躊躇しているんです?その手紙のせいですか?何度読んでも同じです。皆が貴女を裏切者と呼んでいます。かつての親友も夫も子供達も皆が貴女を恨んでいます。それも貴女が幼馴染を裏切り、死なせたから、目的の為に家族を顧みなかったから」
女性はその糾弾にとうとう堪えきれなくなりわっと叫んで顔を覆った。
「目を閉じても、耳を塞いでも失われた命は帰ってきません。もう無理だという彼女に期待をかけて利用するだけ利用して死なせたのに今さら躊躇するんですか?」
「言わないで、もう止めて!」
疲れ切った女性は弱々しく懇願したが、帝国に深い恨みを持つ老紳士、ペイバック・コーマガイエンは無視してさらに言い募る。
「若い頃、私に貴族も平民も男女の区別もない平等の世の中を作りたい、こんな社会ぶっ壊してやりたい、革命を起してやると言っていた貴女がこんなところで挫折してはいけません。諦めたらこれまでの人生が全て無意味ですよ。仕事一筋に生きて、家族を顧みず大新聞社に育て上げたんじゃないですか。それは絶縁状でしょう?もう手紙を送ってくるなと言われたんでしょう?これまでの事を謝罪して家族の元に戻れば許されると思っているんですか?私財を全て投じて貴女の出版事業を助けてきた私を捨てて戻ると?家族や友人を見捨てた後は私ですか?こんな老人にもう使い道は無いと?」
「い、いいえ。私はそんなつもりじゃ・・・ただもう辛くて、何もする気力が起きないんです」
「じゃあいつもの薬を打ってあげましょう。大丈夫、すぐにまた活動的な貴女に戻りますよ。さ、腕を出して」
ペイバックは手慣れた様子で注射を打ち、女性は少しづつ血色が良くなったが目つきはトロンとして意識は混濁していった。それを確認し、ペイバックは再度彼女に言い聞かせ始める。
「ヴィー、いいですか。帝国で最大の軍事力を持つラキシタ家は帝位を強引に奪おうとして自滅しました。ですが、匹敵する力をもつオレムイスト家とフォーンコルヌ家が健在である限り帝国は安泰です。特にフォーンコルヌ家は山々に囲まれているとはいえ中央に位置していますから帝国の何処にでも軍を派遣出来ます。オレムイスト家を内部から崩壊させ、フォーンコルヌ家の弱みを握り支配するにはいくつか段階を踏む必要があるんです。それにフォーンコルヌ家を支配する事に成功すれば亡き友人の恨みも晴らせます。選帝侯を追い詰めるには法務省の協力が必要なんです」
「・・・きっと私、地獄に落ちます」
「その時は私も間違いなく一緒ですよ。家族や友人に見捨てられても私だけは最後まで一緒にいます」
「本当ですか?」
「ええ、勿論。もし研究が失敗に終わっても神々は私を許さないでしょう。かならず地獄に落ちますとも。貴女を決して一人にはさせません」
女性は自分が落ちるところまで落ち、それはこの男の口車に乗ったせいだと考えた事もあったが、全ての始まりは自分の意思だったとも理解している。
薬の効果で思考も鈍り記憶を思い出すのも苦労するようになり、考えるのも面倒になってきたが、ペイバックの最後の言葉には真摯さが感じられた。
「なら・・・もういい・・・・・・。貴方のおっしゃる通りにします・・・・・・」
「ええ。共に地獄に落ちましょう。お休み、ヴィー」
女性は安心感か薬の陶酔効果か眠気が襲ってきて静かに目を閉じた。
ペイバックは長年のパートナーに優しく毛布を掛けてやり、タッチストーンを連れて隣の部屋に移動した。
◇◆◇
「老いてもまだまだ現役みたいですねえ」
クックックとタッチストーンがイヤらしい笑みを浮かべた。
「そう、我々も老いました。スパーニアと蛮族の軍事力を合わせれば三十年前に帝国打倒も可能だったのに。君がフランデアンの工作に失敗するからここまで長引いたんですよ」
「へへっ。あっしは言われた通りにしただけなんですがね。まあいいじゃないですか。フランデアンも反帝国に踏み切らせればいい。今や東方の大君主となったフランデアン王が帝国に反抗すれば東方の国家が皆ついてくる。さいでしょ?」
「まあ、そうですがなにかアテが?」
「ディシアの姫さんの件で昔フランデアン王はもし次にこんな事件があれば帝国を許してはおかないと発言したそうです」
「ああ、ラキシタ家に輿入れ予定だった姫君が叛乱の一味扱いされて処刑された件ですか。しかしあんな事件はそうそう起きないでしょう。アルシア王国も簡単に叩き潰されましたが傍観していましたし」
ペイバックも状況を良く知っているが、偶然に偶然が重なった結果でディシア王側も迂闊だった。それに海軍を持たず遠征能力も無い辺境の小国が本気で帝国に反旗を翻すとは思えない。
「へへっ、それが懲罰戦争を受けたアルシアでお姫さんが帝国兵に凌辱の限りを尽くされたとかで。不名誉なんで帝国側でもアルシア側でも関係者が処分されてますが」
「済んだ話ですし、今さらですね」
「いやいや、それがまだまだ話があって帝都で羽目を外した各国の留学生の王族の中でガドエレ家に借金をして秘密クラブで働かせられている方がいるのだとか。表向きは『異文化交流』ですがね」
華やかな帝都に留学してきた外国の王族、特に姫君達は帝国貴族に負けまいと借金をして夜会服や宝飾品を買いあさる傾向があり、本国に無断で行っている為、金を無心出来ず、返済の為にと紹介された投資や賭け事への誘惑に勝てずさらに大金を借りて首が回らなくなっていることがあった。
「新聞のネタにはなりますが、自業自得ではフランデアン王を動かしづらい」
「そこはほれオーナーの力でなんとか。高潔な騎士王ですから帝国の新聞社にかけられた侮辱や不名誉を許さないでしょう」
「まあやるだけやってみますか。しかしフランデアン王に姫君がいれば陥れるのに都合が良かったんですがね」
「へへっ、まあ東方人は皆我が子も同然と言ってるんですからどうにかなるでしょう。でもオーナーもそこまで協力してくれますかね。もともとは女性に男と同じ権利をって言ってたんでしょう?」
「大丈夫、最後には同意してくれますよ。さっきのようにね」
ペイバックは彼女が寝ている部屋に少しだけ視線をやるが静かなものだった。
「へへっ、悪い人だなあ。手紙とやらも偽造でしょ?あんたしか頼れる人間がいないと思いこませて」
「彼女に勇気があれば手紙など気にせず直接会いに行ったでしょう。手紙を信じたのも彼女の意思です」
「ですかね。さて、あっしは次はどうしやしょう」
「面倒ですがリブテインホテルに戻ってシュミットとその弟子を連れてきてください。マミカは三大公から派遣された魔術師を頼らず自分の手足を欲する筈」
「帝都に戻るんですか?また?選挙絡みで密偵の取り締まりが厳しいと思うんですがね」
「ええ、クールアッハ公の通行証が有効な内に済ませて貰いたいんですよ」
「なるほど。ならついでに実験に失敗した死霊魔術師達にも声をかけてきやしょうか」
「いえ、彼らは皇帝に睨まれているでしょうから無理ですね」
「じゃあ、西方商工会から資金調達でも・・・」
「いえ、それも結構。帝国の経済制裁で餓死者が続出した西方人として恨みを持つのは我々と同じですが最終目的は違います。あまり接触すると真意を見抜かれる危険があります。我々リブテイン人はここから先は独自行動を取ります」
「リブテイン人というより家族の死体を食らって生き延びた人間だけの、でしょ?」
「ええ。そうです。手を借りて良いのは同胞と終末教徒だけです。それを忘れずに」
「アイアイサー。地上に真の地獄を」
彼らリブテイン人の生き残りは子供時代にこの世の地獄を味わった。
半世紀以上にわたり恨みを果たすべく活動をし続けてようやく帝国の各地に協力者のネットワークを作り上げた。貴族が支配する世の中に絶望し、神の予言である三つの時代のうち最後となる時代を人為的に導こうとする終末教徒の狂信者とも繋がりを得た。




