第31話 秘密の花園③
四月の末になり、明日にも新学年が始まるという時期になってようやくエンマが入寮してきた。グランディとレナートが寮の門の入口で彼女を出迎える。
「おはようございます、エンマ様」
レナートはグランディに教わった通り、侍女らしく丁寧に屈んで礼をしてみせた。
手には一輪の花を持っており、エンマにプレゼントするつもりのようだ。
「おはよう、レン。大分サマになってきたわね。それにしてもわざわざ出迎えるなんてようやく身の程が分かってきたようね。ディー」
エンマはおほほ、と上品に手のひらを翻して口元を隠しながら高笑いした。
「貴女に大事な話があって待ってたのよ」
「大事な話?いいけどとりあえず部屋に案内して下さる?」
「寮に入ると他の貴族がいちいち顔を出してきて煩いからむこうの温室で話しましょう」
「はあ・・・?」
大公の娘であるエンマと知己になろうとあちこちから訪問客が来る事を予期していたグランディは、なんなの一体?という顔をしたエンマを強引に引っ張って連れて行った。
エンマには一応故郷から侍女がついてきているので荷物は彼女が持っている。
レナートは取り残された彼女を見上げて「持ちましょうか?」と声をかけた。
「いいえ、構いません。ご存じでしたら主人のお部屋に案内してくださいますか?」
「はーい」
仕事が出来たと喜んだレナートは侍女を連れていこうとしたが、振り返ったグランディーが「レンちゃんもこっちにいらっしゃい!」と言ってきた。
レナートはどうしようと侍女を見上げたので彼女は無表情のまま答えた。
「どうぞ、お構いなく。お部屋は事務室で確認します」
「ごめんなさーい」
レナートは謝罪してからグランディーを追いかけようとするが、花壇に蝶々を見つけてそれに自分が持っていた花を突き出して誘い始めた。
「後にしなさい」
何気なく振り向いた時レナートが遊んでいるのを発見した侍女は戻ってきてレナートの首をごきりと温室の方に向けて背中を押した。
「ちょいなちょいな~♪」
レナートはにこにこしたまま花を天に翳し、蝶々と一緒に温室に向かっていった。
「はぁ・・・なんなのあの子・・・。それにしても男の子が女子寮に入って暮らすなんていいのかしら・・・」
主人に逆らえない侍女はひとつ溜息をついて寮に入っていった。
◇◆◇
「はあ?レナートが本当に女の子になっちゃったですって?馬鹿をおっしゃい」
どうせ風呂で会うだろうしいずれバレると思ったグランディーはレナートとペレスヴェータの許可を得てエンマにも秘密を話したが、信じて貰えず笑われた。
「ほんとだよ。ほら」
レナートは何故か嬉しそうに自分のスカートを捲ってエンマに見せようとする。
「こ、こら止めなさい。はしたない!」
慌ててエンマがスカートを掴んで戻させて、周囲をきょろきょろ見まわした。
温室のガラスは透明で外からも見えてしまう。
女子寮は覗き防止用も兼ねて高い木が植えてあり、鉄柵に囲まれているが隙間がないわけではない。
「信じて無くてもどうせ後でお風呂に入るときに分かるんだから別にいいですけどね。あ、ちなみに部屋に専用のお風呂とかありませんから」
「そのくらい分かっています」
平民だろうが貴族だろうが、どんな地位だろうが寮の部屋の広さも設備もほぼ同じだ。
ただし、貴族の場合は本来二人部屋の所を一人にあてがわれる場合もある。
原則は二人か四人部屋なのだが、寄付金の関係で寮の経営上忖度が入った。
「ところで週末にようやくレンちゃんのお父さんと会うんだけど、剣闘士の試合が無くて困っているらしいの。貴女何か知らない?大都市じゃ毎日のように試合してるんじゃなかった?」
「・・・わたくしからいえる事はなにもありません。それよりずっと会ってなかったの?」
「ええ、なんだか日雇いの仕事で忙しいみたいでフラリンガムだけでなくあちこちに出張しているのだとか」
レナートもケイナン教授から聞いただけで、父親のオルスとは一週間以上会っていない。
「そう、寂しかったわね」
エンマも同情してレナートを撫でてやった。
「だいじょうぶ!図書館にたくさん本があって面白かった。ボク以外にも環境次第で雄と雌が入れ替わっちゃう生き物もいるんだって!!びっくり」
「え?ほんとに?」
エンマは二重の意味で驚いた。ほんとにそんな生物がいるのかという事と、どうもレナートの性別が変化したのはほんとらしい。すくなくとも冗談で言っているのではなく本気で信じている。
後にエンマは図書館に連れていかれ本当にそういう生物がいる事を知った。
ちなみに侍女は侍女達用の家が近くに用意されていて、毎朝出勤し、主人の世話だけでなく寮の掃除や調理補助の業務があった。レナートはグランディーが子持ちの特別生徒扱いにして貰っているので寮内に住んでいるが普通の侍女は別の館にまとめて住んでおり風呂は別である。
貧乏貴族や平民の学生には侍女がついてきていないので学生が増え始めると侍女達の仕事は一気に忙しくなる。彼女達は近くで主人の世話をするのが許される代わりに学院側の使用人にもなる。




