事の始まりは……
本編は5話で完結です。
以下は補足の話となっております。
事の始まりは……
夜が長くなり、震えるような寒さを感じるようになってきた頃、新酒のワインが出来上がったと送られてきました。
これは私の趣味の一つでワインの生産をしているのです。
今年はいくつかの種で試しに作ってみたということで、目の前にはワインボトルが五本並んでいます。
座り心地の良いソファーに身を深く沈め、一本目のワインボトルからグラスに白い液体を注ぎました。
甘いフルーティーな匂いが鼻をかすめます。これは白ワインですわね。
グラスを傾け、口に含みました。
「初めて白ワインを作ったにしては、美味しいわね」
生産者から白ブドウの収穫ができるようになったから、一樽だけ作ったと言っていましたが、このまま売ってもいいぐらいですわ。
私はソファーの上に置いてあるクッションを持ち、思いっきり投げつける。バンッという音を立てながら扉に当たり、そのまま床に落ちていきました。
二本目のワインの瓶を手に取ります。これは少しだけ作った白ワインの二次発酵を瓶の中で行なったというものです。
グラスに注ぎますと、白ワインが泡立っています。あら?スパークリングワインまで作りましたの?
グラスを傾け口に含みました。あら?これも中々美味しいですわ。特に喉越しがいいのが好みですわね。
来年はもう少しスパークリングワインの生産を多めにしてもらいましょう。
色々考えながら、手を伸ばしてクッションを引き寄せ、そのクッションをおもいっきり投げつけます。
バンッという音が室内に響きました。
しつこいですわ。
そしてバキッという音が聞こえてきました。
「はぁ……」
どうして、こう毎回毎回壊すのですか。私は破壊された音が聞こえたほうに視線を向けました。
「どうして、毎回扉を壊すのですか?ここは私の寝室なので、勝手に入ってこないでいただけます?」
「開けるようにノックをしているのに、開かないから仕方がないな」
そう言って、黒髪の長身の男性が壊れた扉から入ってきました。
ノックされようが、鍵を掛けているので開きませんし、私からは開けません。
「それから、俺が妃の寝室に入れないということはないだろう?」
「ちっ! 今日は気分が悪いと断りましたわよ!」
そう、皇帝陛下が妃の元に訪れることを拒否するのは、よっぽどのことでない限りしてはならない。なぜなら、妃には皇帝の世継ぎを産むという役目があるからです。
しかし、夜に私の部屋に押し入る皇帝は昼間の迂愚さがなく、色々面倒なのです。
「気分が悪いのにワインを飲んでいるのか? それに護衛の者から、何やらご機嫌で寝室に入って行ったと報告を受けたが?」
皇帝はそう言いながら私の隣に座ってきました。
護衛の者……グラヴァート卿に私の機嫌がいい理由を聞かれましたわね。貴方には関係がないと言って寝室にこもったので、もしかして陛下を偵察に来させたとか言いませんわよね。
「これは今年のワインの試飲です。それからこれは私の個人のものですから陛下に飲ます酒はありません」
ワインのボトルを手に取ろうとした陛下の手をはたき落とします。これは私に届けられたものですのよ。
「そう言えば、昼間に言ってきたことだが……」
「属国のアスタベーラ国のことですか? 陛下はそこまでする必要はないとおっしゃいましたが、私は宰相セルヴァンと同意見です」
だいたい陛下は甘いのです。そんなんだから、舐められるのですよ。
「王族の血を絶やすことにした」
「え? 第一王女を人質として第六側妃に迎えるというのは……」
属国である、アスタベーラ国王は第一王女をとても可愛がっているのです。その王女を人質の意味で、妃に迎えることを私も宰相も提案していたのです。
王族の血を絶やす。ということは王族だけでなく、王族の血が入っている者たち全てを殺すということです。
「それはあまりにも……」
「非道だと?」
光を宿した赤い目で私を見下ろしてきました。この目で見られますと、ゾクゾクという悪寒が身体を襲ってきます。
「やり過ぎは反乱を起こすきっかけになります」
「だが、今回で三度目だ。二度は温情を与えた。三度目はない」
いつもは私と宰相のやり方に、二の足を踏む陛下ですが、夜に私の部屋で会う陛下は逆に私が陛下の言葉を止める役になるのです。
「やるなら徹底的にだ」
陛下の言われることは、ある意味正しい。属国アスタベーラ国を帝国の領地アスタベーラにしようと言っているのです。そうすると、その地の管理者に帝国の手の者を送ることができるのです。
「では、その地を治める者も決められているということですか?」
ちょっと意地悪なことを言ってみました。アスタベーラは領地とするにはかなり大きな国です。それをその辺りの者に任せると、どこぞかの公爵から色々言われることになるでしょう。
「もちろん決めてある。恐らくあと二ヶ月か三ヶ月後には公に決まるだろう」
おかしな言い方をしてきました。陛下が決めているのであれば、命じればいいのです。しかし、この言い方だと時が決めると言っているようなものです。ということは……
「何か見えたのですか?」
皇帝陛下の赤い瞳は魔眼というのは有名ですが、その魔眼にどのような能力があるのか知るものは少ないのです。
私も幼い頃に教えてもらわなければ、知ることは無かったでしょう。現に皇妃となってその話がでてきたことは、皇帝陛下から一度もないのです。
「退屈そうなアンリローゼが見えるな」
「……退屈ではなく、早く出ていって欲しいと思っているのです」
こうやって、誤魔化されるのです。
これは何か事が起こることで、アスタベーラに行く者が決定されるという流れなのでしょう。
ならば、私が何かをいうことはありません。未来まで見てしまうというクロード様の魔眼にアスタベーラの未来を託しましょう。
「退屈ついでに新しい仕事をやろう」
陛下は私に向かって右手を差し出してきました。握っている右手の中に何かを持っているということでしょうか?
仕事というのであれば、お受けいたします。
私は陛下の右手の下に両手を差し出しました。
すると手のひらの上に赤い宝石の指輪が落ちてきます。何ですか? これは?
手にとって観察してみますが、良質な魔石だろうということと、このような深い赤い色の魔石は、この辺りでは採掘されていないということです。
「これを新年の祝の席につけるように」
「この指輪をですか?」
「揃いの装飾品を一式、用意している」
物凄く怪訝な顔で陛下を見上げます。いったい何を考えておられるのですか?
「以前申しましたが、新年の祝賀パーティーには赤いドレスを用意しているのです。このような赤い宝石は困ります」
私は年明けにあるパーティーのために赤いドレスを準備しているのです。
ハイフェード帝国で真っ赤なドレスを着ることが許される者はごく一部の者たちだけなのです。それは皇帝の赤い瞳に由来するものですので、皇妃である私は身にまとうことを許されているのです。
この帝国の皇妃は誰かと見せつけるためでもあります。
それなのに、ドレスの一部になってしまいそうな赤い宝石など普通ではありませんか。
「ドレスもこちらで用意している」
……これは影で噂されていることが、本当なのかもしれません。第二側妃であるメリーエディラ妃の懐妊。
ここ半年ほどでしょうか? あまり表には出てきていないのです。
ということは、その新年の祝賀パーティーで赤いドレスをまとうのはメリーエディラ妃であり、私は赤い宝石とドレスを与えるから、メリーエディラ妃に主役を譲れということですわね。
「そうですか。では、そのように準備を進めていきます」
これはもしかして、近々お役御免のお達しをされるかもしれません。メリーエディラ妃の懐妊は、帝国にとっても私にとっても目出度いことですわ!
「そこで、アンリローゼが管理している領地から採掘されたと自慢げに話してくれ。こういうのは得意だろう?」
ん? 私が管理している領地?
私が管轄しているところは、広大な農地があるところがいいと希望しましたから、鉱脈なんてありませんわ。
それに赤い鉱石といえば、サイザール公爵領の特産です。しかし、この指輪ほど品質はよくありませんね。品質は劣るものの、皇族の装飾品の殆どはサイザール公爵領産の『ルーフエリッラ』と呼ばれる宝石で作られているのです。
凄く嫌な予感がします。
「陛下。サイザール公爵に喧嘩でも売ろうとしています?」
すると陛下はニヤリという笑みを浮かべました。
これ、あまりよろしくないと思います。
私は赤い指輪を陛下の手に戻しました。
「陛下。流石にサイザール公爵に喧嘩を売るのは如何なものかと思います」
「ここ最近、虫が多くて鬱陶しいから、そろそろ駆除をしてもいい頃合いかと思っていてな」
「虫ですか?」
「ああ、虫だ」
虫が何の例えかはわかりませんが、流れから推察するに、サイザール公爵から送り込まれた刺客と捉えられますわね。
サイザール公爵の立場は先代の皇帝の弟となり、皇帝陛下の叔父となります。
先代の皇帝陛下の実子が皇帝であるクロード様しか生き残っていない理由が、サイザール公爵にあると噂では聞きました。皇帝の座を得ようとしたと。
しかし、何も証拠がなくサイザール公爵はそのまま公爵の地位にいるということなのです。
「そうですか。どうやって駆除するのかお聞きしても?」
私はどう動けばいいのか確認をしておきませんと。
「まぁ、恐らく自滅するだろうな。ということで、アンリローゼ。これを渡しておこう」
再び私の手に赤い指輪が戻ってきました。
陛下。答えになっていませんわ。
昼間に会う陛下は、あまりにもの迂愚さなので、イラッとくるのですが、夜に会う陛下は言いたいことが私には汲み取れず、それに関してもイラッときます。
きちんと説明して欲しいですわっと詰め寄りたいところですが、寝室の外には私の護衛がいますし、陛下が押し入ってきてから、隣の部屋から別の者の気配があります。
誰も居ないように見えても、互いに護衛される立場であれば、言いたいことも言えないのです。身分があるとは面倒なものですわ。
はぁ……メリーエディラ妃の懐妊の噂が本当であればよろしいのに。私は喜んで皇妃の座をお譲りいたしましょう。
「それでは陛下。御用が終わったのであればお戻りください」
結局、今日来たのはこの赤い宝石でサイザール公爵に喧嘩を売って来いと命令をしにしただけですわよね。だったら、もう私への用事は終わったはずですわ。
すると、陛下は私が飲みかけていた白ワインのグラスを手にとり、そのままグラスのワインを飲み干したのです。
それは私のワインだと申しましたわ!
「陛下に飲ませるお酒はないと言いましたわ! さっさとご自分の部屋に戻って好きなお酒をお飲みください!」
陛下からワインのグラスを奪い取ろうと手を伸ばせば、その手を取られ引き寄せられ……口づけを……
「うっ……ん〜!!」
ななななななんていうことを……
「初めて収穫して作った白ワインを! それも数が少ないスパークリングワインを!なんて勿体ない飲ませ方をするのですか!」
私のワインを! 私好みのワインを!
口づけをして私に飲ませてきたのです。
他の試飲をしてから、じっくりと楽しみながら飲もうと思っていましたのに!
すると陛下からクツクツと笑い声が聞こえてきました。
「まさか、ワインの飲ませ方で怒られるとは……アンリローゼがそんなにワイン好きだったとは知らなかったな」
「別にワインがそこまで好きというわけではありませんが、これを売り出せば……なんでもありません」
思わず口が滑ってしまうところでした。私が南の島で、優雅な隠居生活を画策していることを自分からバラしてしまうところでした。
「アンリローゼは可愛いな」
うっ……悪役の仮面が外れてしまっていましたわ。
夜に会う皇帝陛下は苦手です。私が対応できない突拍子もないことをしてきて、いたずらが成功したと言わんばかりに子供のように笑うのは、心臓に悪いのでやめて欲しいですわ。
「それから可愛いアンリローゼ。皇妃という役目を忘れないでほしいものだな」
「うっ……」
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
次話は6話になります。