7話 子猫?を拾って……
孝太はシャワーでずぶ濡れになった服を着替え、泥だらけになった玄関からバスルームまでの床を雑巾がけしていた。
「…… 」
雑巾に含んだ水をバケツに絞り、再び床を拭く。 無表情でその動作を繰り返す孝太は次第に青ざめていく。
「…… ヤッベェ 」
傍から見れば拉致監禁。 嫌がる未成年の女の子を怒鳴りつけて強引に家に連れ込み、壁の薄いアパートのバスルームで怒鳴り合った後彼女を軟禁している。 隣人が警察を呼び、無理矢理連れ込まれていたと言っても言い訳できないこの状況に、孝太の顔は冷静になるにつれてどんどん血の気が引いていく。
「あの…… 」
バスルームから反響して聞こえてくる遥の声。
「はいぃ! ど、どうしたの? 」
ビクッと孝太は反応して、裏返った声で返事をした。
「ベチャベチャの服…… とりあえず脱いだんですけど、どうしたらいいんですか? 」
バスルームのドアに透ける肌色の人影。
「あ、あぁ…… 洗濯乾燥機があるからそれで。 スイッチ押したら全自動でやってくれるから 」
孝太はバケツと雑巾を手に脱衣所からそそくさと出ていった。
「…… 」
遥はバスルームのドアを少し開けて脱衣所に顔だけを出して孝太がいないのを確認する。 バスルームで脱いだ制服や下着をまとめて選択乾燥機に放り込んでスイッチを押し、急いで湯船に身を沈めた。
「…… 」
遥は一点を見つめ、口まで湯船に浸かりブクブクと息を吐く。 少し温めのお湯は遥の冷えきった体をゆっくりと温めていった。
そそくさとリビングに逃げてきた孝太はローチェストに置いてある一枚の写真立てを手に取る。 高校を卒業した時に病室で撮影した栞との写真。 孝太は写真の栞を静かに指でなぞった。
「…… お前じゃないんだよな 」
しばらく写真を見つめ、写真立てをローチェストに伏せる。 クローゼットの中からジャージの上下を取り出してバスルームに向かった。
「藤堂さん、バスタオルととりあえずの着替え置いておくよ 」
「は、はい! ありがとうございます! 」
ドア越しにうっすらと動く孝太に、遥は顔を赤くしながら答える。
「…… 」
遥は少し赤く腫れた手首を見つめる。 孝太に無理矢理引っ張られた痕…… どれだけ彼が真剣だったのかという証だった。
ピチャッ
天井からの水滴が手首に落ちた。 遥は無言で天井を見上げて目を閉じる。
「生きたくても生きられなかった…… か 」
しばらく上を向いて目を閉じていた遥は、湯船のお湯を両手ですくって顔を叩くと、勢い良く立ち上がって湯船を出た。
脱衣所のバスケットに孝太が用意してくれたのは白のジャージと黒のTシャツ、それと袋に入った新品のボクサーパンツだった。 遥は体にバスタオルを巻き付けたままボクサーパンツを手に取り、掲げて見て少し赤くなる。
「男物…… だよね。 当たり前か 」
新品のパンツを履き、ぶかぶかのTシャツを着る。
「こうやって着てみると男の人はおっきいなって実感あるな 」
上下のジャージは裾と袖を何回も折り返して間に合わせ、洗面台の鏡の前でクルリと一回転して後ろも確認する。 肩幅が全然合っていないのは仕方がない。
「お風呂、ありがとうございました 」
遥はリビングの入口で、靴に乾燥機をかけている孝太に向かってお辞儀をした。
「あ、あぁ。 しっかり温まったかい? 」
遥はハイと答えてリビングを見渡す。 対面式キッチンの前のダイニングテーブルには空のマグカップが一つ。
「コーヒーで良かった? 紅茶もあるけど 」
「あ、紅茶で。 ありがとうございます 」
孝太に勧められるまま遥がテーブルの椅子に座ると、孝太は紅茶をカップに注いでミルクを足す。 どちらでもいいように孝太は前もって準備をしていたのだ。
「砂糖と…… はい、ハチミツ。 好きな方をお好みで 」
孝太はテーブルの上に砂糖の小瓶とハチミツのボトルを置いてキッチンに下がっていった。
「手際いいんですね、カフェみたい 」
「まあこれでも一応調理師だからね 」
それっきり二人の会話が止まる。 湯気が出るカップをフーっと冷ましながら口を付ける遥を孝太はキッチンから見つめていた。 時折遥が孝太に目線を向けるが、その度に孝太は下を向いて目線を逸らす。 そんなことを繰り返している内に遥はミルクティーを飲み干してしまった。
「…… あの、ありがとうございました 」
「え? 」
マグカップの文字を指でなぞりながら遥は話を切り出す。
「…… ヤケになっちゃってました。 バイトから帰ってきたら、私の部屋の中が荒らされてたんです。 鍵をかけた机の中の貯金通帳とお母さんの写真がなくなってました 」
孝太はキッチンから出てきて遥の向かい側に座る。 表情はとても硬かった。
「犯人はわかってました。 だからあの女に問い詰めたんです…… 通帳は大した金額じゃないからいいんです。 でもお母さんの写真だけは…… ダメ…… 」
「…… 」
何も言えず、孝太は眉間にシワを寄せたままテーブルの上を見つめる。
「全部を捨てられた気分でした…… だから、もういいやって…… 」
かすれる様な声で話す遥の声には感情の色が見えなかった。
「公園で新城さんが目の前にいたのにはビックリしました 」
「…… 」
「思ったんです。 あ、怒られるな…… って 」
ピー ピー
洗濯乾燥機の終了の音がバスルームから響いた。
「ひっぱたいてゴメン。 痛かったでしょ? 」
遥は何度も首を横に振った。 マグカップを見つめたままフフッと笑うと、一筋の涙が頬を伝う。
「おかしいですよね。 もうどうでもいいやって思ってるのに、新城さんに怒られるのはイヤだなって思ってたんです。 ほっぺよりも心が痛かった…… 」
歯を食いしばって嗚咽を漏らす遥。 孝太は席を立ってバスルームに向かうと一枚の乾いたバスタオルを持って戻ってきて、それを広げて遥の頭を包む。
「うぅ…… ヒクッ うぅぅ…… 」
声を殺し、肩を震わせながら泣く遥の頭を、孝太は戸惑いながらも自分の腹に引き寄せた。
「うわああぁぁぁぁ…… 」
遥は今まで押し込めていた感情を全て吐き出すかのように大声で泣く。 孝太は目を閉じ、遥が泣き止むまでバスタオル越しに彼女の頭を撫で続けた。




