6話 勢い余って……
たっくんの厨房は今日が定休日。 結局孝太の家から佳が帰ったのは地下鉄の終電だった。 晩御飯を食べてから眠いと言って横になり、一眠りしてから終電に間に合わないと慌てて帰る。 佳が孝太の家に来るときには大体このパターンだ。
朝9時過ぎに目が覚めた孝太は、朝飯を簡単なもので済ませてパソコンデスクに向かう。 デジカメに溜め込んだ天体写真のデータをパソコンに吸い上げ、写りのいいものをピックアップしてプリントアウトしていく。
孝太自身は天体写真に興味があるわけではない。 病室でも何か趣味ができればと、孝太が栞に天体望遠鏡をプレゼントしたのが始まりだった。 孝太が使っているのは白いボディの屈折型の安物だが、栞の形見にと彼女の両親が孝太に譲った物だ。 栞は毎晩ファインダーを覗き、天の川が綺麗に見えた日は画像に残して孝太や佳に嬉しそうに話した。 誤って望遠鏡を倒して壊してしまった時には、無理でも修理して欲しいと泣いていたこともあった。 孝太はその望遠鏡で、栞の見ていたものを今でも見続けているのだ。
「………… 」
孝太はパソコンのデスクトップをデジカメの編集アプリからウェブサイトに切り替え、石狩地方の今日の天気を調べる。
「夜から雨…… か 」
孝太はパソコンをシャットダウンして壁に掛けてあったジャンパーに腕を通した。
最寄りの幌平橋駅から地下鉄南北線に乗り、大通駅から東西線に乗り換えて終点新札幌駅まで足を運ぶ。 孝太が向かった先は、厚別区にある青少年科学館のプラネタリウム。 入場料を払って中央付近の席に座り、シートをリクライニングさせて写し出された札幌の夜空を眺める。
病室から栞は何を思いながらこの夜空を見ていたのか。
何を願いながら見ていたのか。
そんな思いを胸に、孝太は上映が終わるまで夜空から目を離すことはなかった。
孝太がプラネタリウムを出る頃には予報より早い雨。 降り始めたばかりで、アスファルトに点々と模様を作り始めている。
「しまったなぁ 」
リュックに常備していた折り畳み傘は、遥に貸して戻ってきていない。 一本物の傘は雨の降らない内に帰る予定だったので持ってきていない。 雨足の強まる前に帰ろうと、孝太は地下鉄の入口に急いだ。
南平岸駅を出ると、雨は既に本降りになっていた。 孝太は仕方なくのコンビニで夕食と傘を調達して自宅への帰路に就く。 吐く息は白く、今夜遅くにはみぞれになるかもしれない。
「…… まさかな 」
孝太は自宅のドアに手をかけて呟く。 公園の方向を一度見るが、孝太はそのまま玄関のドアを開けた。 買ってきた夕食をテーブルに置き、まずはバスルームに行って湯船にお湯を張る。 テレビを見ながら夕食を食べている最中にも、孝太は窓の外をチラチラと見ていた。 卵焼きををつまんでいた箸が止まる。
「…… 見るだけ見てくるか 」
食べていた残りをそのままに孝太は再びジャンパーに腕を通す。 玄関を出ると雨は雪に変わってきていた。 コンビニで買ったビニール傘を差し、公園裏手の急な階段を上る。
「…… ! 」
自動販売機の脇にあるベンチのいつもの場所。 制服のまま全身ずぶ濡れで、頭や肩やスカートにみぞれが積もっている遥がそこにいた。 慌てて孝太は傘を投げ捨てて駆け寄り肩を掴む。
「何やってるんだよ! 」
ゆっくり顔を上げる遥は真っ赤に目を腫らし、真っ青な顔色で震えながら鼻水を垂らしている。
「新城さん…… 私、何もなくなっちゃった…… 」
遥の手には刃を伸ばしたカッターが握られていた。
「何が…… 何があったんだよ? 」
「もういいんだ…… もう、死んじゃいたい…… 」
遥はゆっくりとカッターの刃を手首に当てた。 途端に孝太の目の色が変わった。
パアァン
雪混じりの雨が降る公園に響く乾いた音。 孝太が遥の頬を平手打ちしたのだ。
「…… 」
遥は叩かれて横を向いたまま呆然としていた。 孝太は遥が握りしめていたカッターを奪い取って後ろに投げ捨てる。
「……っざけるな 」
ボソッと呟いた孝太は遥の手首を強引に握ってベンチから引き剥がした。
「痛っ! 」
叫ぶ遥を無視して孝太は遥を引き摺るように急な階段を下りていく。
「やめて! 何するのよ! 」
「うるさい!! 」
狂気にも似た孝太の血走った目に遥は絶句する。 一喝した孝太はその後何も言わず、うな垂れる遥を自宅に引っ張っていった。 乱暴に玄関のドアを開け、靴を履いたままバスルームに遥を連れ込む。
「っ!! 」
遥は背中からバスルームの壁に叩きつけられ、声にならない悲鳴を上げた。 孝太はシャワーの水栓を全開に回し、遥の顔を挟み込むように両手を壁に叩きつける。
「…… 何が死んじゃいたいだよ…… 」
熱いシャワーが二人の上に降り注いだ。
「なんにもわからないくせに! ほっといてよ!! 」
「わっかんねえよ! わかんねぇけどほっとくことなんて出来ねえんだよ! 」
激しく怒鳴り合う。 勢い良く降り注ぐシャワーなんかでは二人の声をかき消すことは出来なかった。
「じゃあどうすればいいのよ! 私にはもう何も残ってない! 」
「悟ったようなこと言うんじゃねえ! だから死ぬのかよ!? 」
遥は孝太の胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「うるさいウルサイ!! 邪魔しない…… で…… 」
遥の動きがピタッと止まった。 眉間にしわを寄せ、歯を食いしばり、悲痛な目をした孝太を目の前で見たからだ。
「生きたくても生きられなかった奴もいるんだよ…… 」
孝太はかすれた声を絞り出すように口を開く。 その目にはシャワーが流れたものではなく、大粒の涙が溢れていた。
「新城…… さん…… 」
「死にたいなんて言わないでくれよ…… 頼むから…… 頼むから自分から命を捨てることなんて止めてくれ…… 」
両手を壁についたままうな垂れて肩を震わせる孝太を、遥は何も言わず見ていることしか出来なかった。




