4話 夜の公園で……
彼女の名前は藤堂 遥。 市内の公立高校に通う2年生で、この公園の一丁先の一軒家に父母と3人で暮らしているという。
「あの明るい星ってなんて言うんですか? 」
孝太はファインダーを覗く遥と代わってファインダーを覗く。
「ベガって言う星だよ。 こと座の目印になるんだ 」
『へぇー』と再びファインダーを交代する二人の顔が自然と近づく。
「…… 」
孝太は彼女の頬に殴られたようなアザがあることに気付いた。 そのことには触れず、星座に関する小話を続ける。
「もう大分西側に移動しちゃったけど、ベガとその下のアルタイル、左のデネブで夏の大三角形って言うんだ。 ベガは織姫、アルタイルは…… って、つまらないね。 こんな話 」
遥はファインダーから目を離して孝太に不思議そうな顔をする。
「あの…… どうして私に声を掛けてくれたんですか? 」
「さあ…… どうしてかな…… 」
孝太はポケットに手を突っ込んで微笑む。
「…… ナンパ? 」
目を見開いて驚く孝太は突然ハハハと笑い出した。
「俺にそんな度胸はないよ。 そうだね…… 寒そうだったから。 かな 」
遥は少し考えてから顔を少し赤くする。
「あ…… 部屋着だったっけ。 変じゃなかったですか? 」
「よくは見てなかったけど、部屋着のままはさすがに寒いよね 」
ハハハと孝太は苦笑い。
「親に怒鳴られちゃってそのまま…… なんか恥ずかしいな 」
スッと遥は孝太から離れる。
「今日はありがとうございました 」
深々と頭を下げて遥は去っていく。 孝太は小さく手を振ってその姿を見送っていた。 自動販売機の前で遥は振り返る。
「あのっ! 明日もいますか? 」
「え? 雨が降らなければ毎日…… 」
孝太は言葉に詰まる。 遥は再び頭を下げて公園の階段を下りて行った。 残された孝太はおもむろに空を見上げる。 頂点付近に見えていたオリオン座は、既に西の空に傾いていた。
あくる日から、仕事を終えた孝太は自宅に帰る足が少し早くなっていた。 2、3日は雨が続き、夜の公園に足を向けないこともあったが、曇り空で明らかに星が見えない日でも公園に向かうようになった。
「こんばんわ、新城さん。 見えます? 」
望遠鏡をセットしている孝太の後ろから遥が声をかけた。
「こんばんは藤堂さん。 今は雲がかってて無理だけど晴れるかもしれないし。 一応ね 」
厚い雲がかかり、隙間から月明かりまで漏れている夜空。 普段なら家から確認して止めていた孝太だが、わざわざ公園に出てきて望遠鏡までセットするのは遥が気になっていたからだった。
「えへへ…… また怒鳴られちゃいました 」
ベンチに座る二人の間には一人分の間隔。 遥は孝太に買ってもらった缶コーヒーを大事そうに両手で持って苦笑いをする。
「仲悪いの? ご両親と 」
遥は缶コーヒーのプルタブは起こさず、ラベルの文字を親指で何回もなぞっていた。 あまり触れて欲しくはない雰囲気に、孝太は『ゴメン』と一言。
「いえ、私が余計な一言だったので。 その…… 」
躊躇いながらも遥は話を続ける。
「私って、今の両親とどちらも血が繋がってないんです。 元々シングルマザーの家庭だったんですが、その母が今の父親と結婚して。 その母が亡くなってすぐに今の母親と再婚したんです…… ひどい父親でしょ? 」
力なく笑う遥の口元は少し血が滲んで赤くなっていた。 孝太は眉間にしわを寄せながらも黙って聞いている。
「後から考えたら、結婚詐欺みたいなのに引っかかっちゃったんです。 私が中学に進学した頃にあの男…… 父親を連れてきました。 最初は…… 」
ハッと気付いて遥は話を止める。
「ごめんなさい。 何も関係ない新城さんにこんなこと…… 」
「話して構わないなら聞かせてよ 」
孝太の目は真剣そのものだった。 遥もまた孝太の顔をじっと見つめる。
「…… どうしてそんなに優しいんですか? 」
震えてしまいそうなか細い声。 孝太はフフッと遥に微笑む。
「これでも社会人だからね。 頬にアザを作ってる女の子を放っておくなんて出来ないんだ 」
遥は慌てて口元を隠す。 『もう遅いよ』と孝太が言うと、『そうですよね』と遥は口元から手を離した。
「この前も殴られたの? 」
「気付いてたんですね…… 最初はとても優しかったんです。 良い父親になるからねって、徐々に体力がなくなっていくお母さんの代わりに色々面倒も見てくれました 」
カコッと遥は温くなったコーヒーの口を開け、一口飲んで白い息を吐き出す。
「お母さん、すい臓がんだったんです。 余命宣告も受けていたそうで…… きっと焦ってたんじゃないかなぁ 」
「受けていたそうでって。 それじゃ…… 」
「亡くなった後に父親から聞きました。 がんが見つかった時には既にステージ4だったって…… 」
そこから遥の声が途切れた。 押し込めていた感情が漏れたのか、時折鼻をすする音が聞こえる。 孝太は遥の頭に手を伸ばすが、髪に触れる直前で手を引いた。
「お母さんが亡くなった後から、父親は私に無関心になりました。 半年も経たない内にあの女を家に連れて来て、いつの間にか再婚してたみたい…… 結局はお母さんの保険金目当てだったようです 」
「その父親にずっと…… 」
「いえ、暴力は母親の方で。 私も高校二年なので、進路の話をしたら…… です 」
そこでまた遥の話が止まった。 孝太は曇った夜空を見上げる。
「どうしてだろ…… こんな話、友達にだってしたことないのに 」
「DVで訴えるとかは考えなかったの? 」
遥は再び缶コーヒーのラベルをなぞる。
「考えたこともありましたけど、今の私にはデメリットが多すぎるんです。 私が親と思っていなくても戸籍上は親権者ですから 」
遥が未成年である以上、高校に通うにもその先の進路にしても親権者の同意が必要になる。
「だから…… 」
ポツッと孝太の額に水滴が当たった。 すぐにポツポツと大粒の雨が降り始める。
「ヤバっ! 」
孝太は慌てて望遠鏡に駆け寄り、三脚を付けたまま望遠鏡を木陰に移す。 後を追って遥もその木陰に入ってきた。
「ゴメンね藤堂さん、大事な話をしてたのに 」
テキパキと望遠鏡をケースにしまう孝太に、遥はクスクスと笑っていた。
「雨が降ってきたのは新城さんのせいじゃないのに。 なんかそれ変ですよ? 」
苦笑いの孝太は望遠鏡を片付け終わると、リュックから折り畳みの傘を遥に差し出した。
「え? でも新城さん…… 」
「俺の家はすぐそこだから。 次に会った時に返してくれればいいよ 」
孝太はリュックを背負い、望遠鏡のケースを雨から守るように抱えると、木陰から大粒の雨の中に飛び出した。 半ば強制的に傘を渡された遥は、口を開けて唖然としていた。
「あ、ありがとうございます! 風邪引かないで下さいよ!? 」
孝太は振り向かず右手を上げて階段を駆け下りていく。 遥は渡された青色の折り畳み傘を握りしめ、その姿が見えなくなるまで見送っていた。




