44話 雪の降る夜に……
ふと目を開けると、オレンジ色の天井の常夜灯が目に入った。 佳が買ってきてくれたプリンを食べて薬を飲んだ後、いつの間にか眠っていたらしい。 目だけで横を見ると、薄暗い部屋の中で明かりに照らされた佳の後ろ姿があった。
ずっと側にいてくれたのか……
佳はベッドを背もたれにして床に座り、わざわざパソコンデスクに置いてあった卓上ライトを持ってきて本を読んでいる。
「そこに座ったら寒いだろ 」
声をかけると佳はゆっくりと振り向く。
「起きた? 具合はどう? 」
佳は本を閉じて俺に体温計を渡してきた。 ウチに体温計なんてなかった筈だから、これもわざわざ買ってきたのか……
「うん、大分楽になったよ。 ゴメンな、体温計まで用意してくれて。 後でお代払うな 」
「別にいらないわよ。 アンタの風邪が治ればそれでいいんだから。 お水飲める? 」
「いや…… 今はいらない 」
「そっか。 でも少し水分は取っておかないと脱水症状起こすから飲みなさいね 」
枕元の棚には経口補給液のボトルとスポーツ飲料が置いてあった。 さすが看護師と感心してしまうが、いささか大げさなような気もする。
「疲れ溜まってたんじゃないの? ちゃんと休んでる? 」
「…… ゴメンな心配かけて。 お前こそ大丈夫か? 」
ピピッ ピピッ
脇に挟んだ体温計のアラームがなる。 36度8分…… 解熱剤のおかげなのか熱はとりあえず落ち着いてるようだが、まだ頭はボーッとしている。
「私の心配をするくらいなら自分の心配してなさいよ 」
佳は体温計を確認して俺の脈拍を計る。 ウンとひとつ頷くと、枕元に置いてあった手帳に記録して再び読みかけの本を開いた。
「…… お前が読書なんて珍しいな 」
「うん、遥ちゃんにオススメを貸してもらったんだ。 読み始めたら面白くてね 」
小説か? マンガしか興味がないと思ってたが…… そういえば昔は本を読んでいるのをよく見かけたっけ。 忘れてたな……
「…… 」
俺は本に夢中になっている佳の後ろ姿をじっと見つめる。 ページをめくる音だけが聞こえる静かな時間。 こんな時間もまた、佳が側にいると心地よく思える。
「なぁ佳…… 」
「ん? おしっこしたくなった? 」
動けない患者相手に毎回聞くんだろう、白衣の天使の仕事グセにも困ったもんだ。
「バカ違うよ。 お前、栞に俺を譲るって言われたんだってな 」
佳は振り向かず黙ったままだった。 ページをめくる音も聞こえない。
「遥ちゃんに聞いたの? やっぱり話すべきじゃなかったなぁ…… 」
「司からだよ。 あの時の状況も教えてくれた 」
そっか、と佳は一言。
「そんなこともあったね。 司もなんで今更喋っちゃうかなぁ…… 」
「教えてくれよ、お前の中の栞の事 」
「そんなこと聞いてどうするのよ。 しーちゃんはしーちゃん、そうでしょ? 」
「…… 聞かせてくれないか? 」
しばらくの静寂。 佳は少しも動かず、俺は佳が話してくれるのをじっと待った。
「…… ズルい女だよ。 いいだけ人を好きにさせておいて、最後には嫌いになれだなんて…… どんだけワガママなこと言ってるんだか 」
佳は振り向かずにため息を吐く。
「でも嫌いになんてなれなかった。 しーちゃんは私の憧れだったし、一緒にいて楽しかったし…… 何より大事な友達だったから 」
「そっか…… 俺もアイツはズルいと思う 」
栞…… お前の考えてることなんて俺達にはバレバレだったんだよ。 でもそんなことは分かってたんだよな?
天井の常夜灯が眩しく感じて俺は目を閉じた。 パタンと本を閉じる音…… カサカサと布団が擦れる音…… 不意に唇に触れる柔らかな感触と温かい吐息。 触れた佳の唇は少し震えていた。
「…… ずっとしーちゃんが羨ましかった。 しーちゃんの代わりでもいいから、孝太とずっとこうしたいって思ってた 」
震える声に目を開けると、泣きそうな佳の顔がすぐ目の前にあった。 俺は垂れ下がってくる佳の長い髪を耳にかけてやる。
「栞の代わりなんて思ってない。 思えない 」
「じゃあ今のキスは浮気になっちゃうよ? なんで拒まないの? 」
次第に涙が浮かんでくる目で佳は俺をじっと見ていた。
俺は佳が好きだ。 だが栞を忘れることもできない。 そんな俺を佳は許してくれるだろうか…… こんな気持ちで佳を幸せに出来るだろうか…… そんな思いが今まで返事を先延ばしにしてきた。
「迷ってる目をしてるね。 やっぱりしーちゃんには敵わないんだなぁ…… 」
見透かされて何も言えない俺の頬に、ポタっと冷たい涙が落ちる。
「しーちゃん真似をしたって…… しーちゃんになりきったって、アンタが振り向いてくれないことくらいわかってた。 でもしーちゃんにならないと、アンタもしーちゃんも私の中からいなくなっちゃうような気がして…… 怖くてどうしても止められなかった 」
ただ黙って佳の言葉に耳を傾ける。 俺なんかよりずっと辛い思いをしてたんだ…… ホント最低だな…… 俺は。
「ねぇ孝太、私わからないよ。 アンタにとって私はただの都合のいい女? 迷惑な女? 」
「俺の中から栞を消すことは出来ないんだ。 それはわかって欲しい 」
再び頬に涙が落ちた。 スッと離れていく佳を、俺は首の後ろを捕まえて強引に引き寄せる。
「孝太…… 」
「栞のフリをするお前が嫌いだったよ。 何回も止めろって言っても聞いてくれないしさ、お前を見る度に辛くて、何回もこの街から出ていこうとも思った 」
「…… じゃあ私がしてきたことは逆効果だったんだね。 それなら拒絶してくれたほうがずっと良かった…… 」
「違うんだ。 お前が栞になろうとしてくれたから俺はここに居られた。 お前が傍にいることが心地良くてさ、ずっとお前に甘えてたんだ…… 」
「なによそれ…… これからどうしていいか分からないじゃん 」
「お前らしくいてくれればいい 」
「まわりくどい! ハッキリ言ってよ! 」
佳はガっと俺の両頬を掴み泣き顔で真っ直ぐ見つめてくる。
「好きだ、佳。 こんな俺でも…… こんな気持ちでも俺の傍にいてくれるか? 」
佳はもう一度キスをしてきた。 俺は佳の涙を拭いてやる。
「…… 当り前じゃない。 私だってしーちゃんを忘れることなんて出来ないよ 」
少し複雑な笑顔を見せる佳は、俺の鼻の頭に人差し指を押し付けてきた。
「私が一番じゃなきゃ嫌だけど、ちゃんと私達を愛してくれるんでしょうね? 」
「俺に二人を愛せなんて難しい事言うなよ 」
「バカ…… バカ、バカバーカ 」
佳は俺の胸に顔を埋めてくる。
「…… 明後日さ、裁判所の後に栞の所に一緒に行かないか? 報告したいんだ 」
「……うん、わかった 」
栞には伝えなきゃならない…… それは佳も同じ思いだったようで、俺の胸に顔を埋めたまま静かに頷いた。




