33話 お宿へ……
札幌市の外れにある、北海道でも有名な温泉街がある定山渓。 標高800mを超える中山峠の麓に位置し、山あいに広がるこの温泉街は降雪が早く、既に道路脇に雪山ができる程の銀世界になっていた。
立派な観光ホテルが立ち並ぶ中心部を抜け、更に川沿いに入った奥に沙弥花の祖父の旅館<定山亭>がひっそりと佇む。 大手企業のような大人数を相手にした宿ではなく、田舎の実家のような雰囲気。 観光ホテルに囲まれながらも宿として続けられているのは、この雰囲気が好きだという人達があってのことなのだろう。
「お風呂入っちゃったら? 新城さん達遅くなるって言ってたんでしょ? 」
浴衣に着替えた沙弥花は、深々と降り続く雪を部屋から外を眺めていた遥に声を掛ける。
「うん、でももう少し待ってみる 」
気温も低い為札幌市内のようなベタベタな雪ではなく、フワフワと軽いパウダースノー。 旅行に行ったことがない遥は、その結晶の形まで見えそうな大粒の雪を見ているだけでも楽しそうだ。
「ホント、今までよく我慢してたと思うわ 」
「え? 」
「家族でどこかに行ったりもしなかったんでしょう? 普通じゃ考えられないわ 」
沙弥花は広縁に置いてある椅子に腰を下ろして窓際に頬杖を突く。
「少しは気分転換になりそ? 」
「ありがとね沙弥花。 今凄く楽しいよ 」
沙弥花は頬杖をついたまま、横目で遥の笑顔を見て微笑んでいた。
「おー、情緒あるお部屋だねぇ 」
元気な声と共に瑠依と司が襖を開けて入ってくる。 二人とも既に浴衣に着替えて、バスタオルを片手に温泉に行く気満々だ。
「ほら二人とも! 温泉行こう温泉! 」
待ちきれない瑠依が遥と沙弥花の手を取って椅子から引き剥がす。
「で、でもまだ佳さんが…… 」
「あの二人待ってたら夜中になっちゃうよ。 来たらまた入ればいいんだから 」
「ほら遥、浜松さんのいう通りだよ。 アンタの成長ぶりを確認してやるー! 」
「ちょっ! 待った、まったー!! 」
瑠依に手を引かれ、沙弥花に背中を押されながら遥は部屋から連行されていった。 ちょうど入れ替わりでこの宿の女将が部屋に顔を出す。
「おや、お兄さんは行かないんですか? うちは源泉かけ流しですよ 」
「ありがとうございます。 急に大人数でお邪魔してすいません 」
「いえいえ、孫娘がご迷惑かけてませんか? 毎年面倒くさそうにここに来ていたあの子が、今年に限って張り切って連絡してきたものですから 」
「迷惑なんてそんな。 友達の事をよく考えてる素晴らしいお孫さんですよ 」
ホホホと口に手を当てて笑う女将は苦笑いだ。
「6時にはお食事の準備が出来ますけど、お連れ様をお待ちになりますか? 」
「いえ、あと二人は何時に来れるか分からないので…… 6時にお願いします 」
孝太と桂が定山亭に着いたのは9時を過ぎた頃だった。 桂の仕事が終わるのを待って真駒内まで地下鉄で出たはいいが、思いのほかタクシーが捕まらず結局路線バスで来たのだ。
「いやー、定山渓の入り口のトンネルの中で事故あったみたいでさ、通行止め食らっちゃった 」
「おー、孝太から連絡は入ってたから心配はしてなかったけど大丈夫だったか? 」
既にできあがっている瑠依に絡まれながら司は二人を労う。
「遠いところお疲れ様でした。 災難でしたね 」
沙弥花と遥が、孝太と桂の分のお膳を運んできた。 女将は各部屋の布団敷きに忙しく走り回っているようだ。
「ゴメンね矢作さん。 遅くに着いたのに食事用意してもらって 」
「いえ、事故で遅れたのは仕方ないですから。 お魚焼きたてです、冷めないうちに食べて下さい 」
お膳には焼き魚や根菜の煮付けといった家庭的な料理が並べられ、遥が木製のおひつからご飯をよそって孝太に手渡した。
「ありがとう藤堂さん。 なんか若女将みたいだね 」
微笑んで受け取る孝太に、遥は顔を赤らめてすぐに手を引っ込める。 その様子に皆は気付いてはいなかったが、司だけは横目で見ていた。
女性陣が温泉に向かったのをきっかけに、孝太と司は自分達の部屋に戻ってきた。 人気がない宿とはいえ、年末に飛び込みで予約は二部屋を取るのが精一杯だった。
「少しやるか? 」
広縁から外を眺める孝太に、司は冷蔵庫から瓶ビールを取り出して見せる。
「お前と飲むのも久々だな 」
栓を抜いた瓶ビールとコップを受け取った孝太は、二人分のキレイな泡を作る。 静かな部屋にコップを合わせる音が響いた。
「あ゛ー…… 」
「う゛ー…… 」
最初の1杯を二人は一気に飲み干し、2杯目にはビール瓶は空になった。
「オヤジくせーな、お前 」
「人の事言えんのかよ 」
2杯目に口をつけてお互いに笑い合う。
「上手くやっていけそうか? 」
先に口を開いたのは司だった。 何がという言葉を付けなくても、孝太はその質問の意味が分かっている。
「俺はいいんだけどな、桂はやっぱりツラいみたいなんだ 」
「あれだけ似てりゃな、無理もないだろ 」
『うん』と孝太は椅子から立上がり、冷蔵庫から瓶ビールをもう1本取り出した。
「んで? お前はどうするつもりよ? まさかこのまま桂に甘え続けるなんて言わないだろ? 」
「そんなことできるかよ 」
孝太は司のコップにビールを継ぎ足しながら言う。 二人の顔に笑顔はない。
「…… あまり待たせるとパンクしちまうぞ? アイツ 」
「わかってる。 もう答えは決まってるんだけどな、なかなか…… な 」
「それ、答え決まってるって言わねえよ。 少しはあの女子高生見習ったらどうだ? 逞しいじゃねーか 」
「言わなきゃ伝わらない…… か。 確かに見習わなきゃならんね 」
司は孝太が自分で注ごうとした瓶ビールを奪い取ってお酌する。
「まぁ俺らは言わなくても伝わるけどな。 早く決めろ、とは言わないさ。 後悔のないように佳を幸せにしてやれ 」
孝太は吹きこぼれそうになったビールの泡に慌てて口をつける。 司は面白そうにそのままビールを注ぎ続け、瓶を半分開けてしまった。
「おぉい! 容赦ねえな 」
「お前に容赦なんかしねぇよ。 遠慮なんかしたことない 」
孝太は瓶を奪い取って同じことを司にお返しする。 司も慌てて口を付け、あっという間に3本の瓶が空になった。
「ふう…… 風呂入ってこいよ。 ここの温泉、かけ流しでちょい熱めだけど気持ちいいぞ。 露天風呂もあったし 」
「そうするわ。 ちょいと飲み過ぎた 」
よっこらせと椅子から腰を上げ、孝太はバスタオルを片手に部屋を出ていく。
「ああ、忘れてたけど露天風呂の方な…… って、もう遅いか 」
司はケラケラと笑いながら、冷蔵庫からもう一本取り出して栓を開けるのだった。




