32話 陽子と琢磨……
金曜日、遥のいない教室で沙弥花は日向と香織と一緒に年末の予定の話をしていた。 日向は親の帰省で札幌を離れ、香織は親が泊りを許してくれなかったと泣いていた。
「残念だったね香織ー、また次があるよ 」
「ないよー! 小野さん彼女いるもん 」
香織は司が来る事を沙弥花から聞いて地団太を踏む。
「でもどうしたの? 沙弥花ちゃん。 里帰りにハルちゃん連れてくなんて 」
「なんとなく遥もリラックスできるかなーって思って言ったんだけどね。 それでさ、遥っていつ頃からDV受けてたの? 」
沙弥花は小声で日向と香織に聞く。 二人とも首を傾げながら昔の事はあまり知らないと返事し、沙弥花はやれやれとため息をついていた。
「遥ちゃん、大丈夫かなぁ…… 」
日向が呟く。 窓の外を見つめるその肩を、沙弥花はバチンと強めに叩いた。
「大丈夫に決まってるでしょ。 最初の一歩で私達が暗い顔してたら遥が不安になっちゃうよ 」
呆気に取られる日向と香織に、沙弥花も不安な表情を残しながらも笑って見せていた。
陳述を終えて札幌家庭裁判所の玄関を出てきた遥は、歩道まで出てきたところで大きくため息を吐く。
「フフフ…… そんなに緊張することもなかったのに。 言いたい事は全部言えた? 」
同行した陽子に笑われ、遥は振り向いて苦笑いをする。
「言うには言ったんですけど、ちゃんと伝わってるのかは自信ないです 」
「まぁ、裁判所って馴染みないものね。 どこか寄って休憩しようか? 」
「ハイ、あ…… たっくんの厨房行って新城さんに報告したいです 」
クスクスと笑う陽子は、了解と言うと自家用車を停めている駐車場に向かった。
「どう? 環境が変わって不自由はしてないかしら? 」
ハンドルを軽く操り、陽子は右側の助手席の遥に尋ねる。
「ハイ、新城さんも丸ノ内さんもとてもよくしてくれますので 」
「フフッ 彼から話を聞いた時は大丈夫かなって思ったけど…… 感心するわ 」
「…… 新城さんには感謝してもしきれません。 私も何か新城さんや佳さんに返せたらいいんですけど 」
運転中、チラッと遥を見る陽子の目は優しい。
「その気持ちだけで十分だと思うわよ。 男って色んなものを背負ってるから、下手に何かをしようとするとヤケドしちゃうかも 」
「…… 深い言葉ですね、それ 」
『まーねー』と笑いながら、陽子はたっくんの厨房の近くのコインパーキングにポルシェをスルリと納めた。
「あら…… また! この! 」
スマートに駐車場にポルシェを納めたはいいが、陽子はガチャガチャと鍵を掛けるのに悪戦苦闘している。
「ちょっと! 待っててね! この車、これがなきゃ凄くお気に入りなのに! 」
遥が苦笑いをして後ろ手で待つこと10分、やっと運転席の鍵を閉めた陽子が額の汗を拭いながら歩き始める。
「ごめんなさいね、たまにあの車ヘソ曲げるのよ…… 体冷えちゃったでしょ? 何か奢るわ 」
大丈夫ですと手を振って遠慮する遥に、陽子はお姉さんに任せなさいとウインクする。 二人は笑いながらたっくんの厨房に足を向けた。
「いらっしゃいませー! 」
元気な瑠依の声が二人を出迎える。 昼時間近の店内は満席に近く、それでも二人はなんとかカウンター席に座ることが出来た。
「こんにちわ遥ちゃん。 どうだった? 」
お冷を出しながら不安そうな顔で瑠依が遥に尋ねる。
「は、ハイ。 ちゃんと行ってきました 」
「そっか! 後で孝太さんにも言ってあげてね。 今はオーダーいっぱい入ってて無理だけど 」
そう言うと瑠依は他の客のオーダーやテーブルの片付けに走り回る。 二人はこの店でオススメのAランチセットを注文し、遥は待っている間厨房の中を覗き見ていた。
「一生懸命働く男ってカッコよく見えるよねぇ 」
フライパンを何個も操り、厨房の中を所狭しと動き回る孝太や司に見とれていた遥は、陽子の言葉にビクッとする。
「…… あの二人は素でもカッコいいと思います 」
クスクス笑う陽子に対抗するように遥は言う。
「あの厨房の奥で必死にお皿洗ってる人見える? あの人はカッコいいと思う? 」
「…… カッコいいと思いますよ。 新城さんや小野さんの影に隠れちゃいますけど、あの人が二人の料理を支えてるって感じがします 」
陽子は満足気にニッコリ笑った。
「上手い事言うね。 そうね、そうかも…… 縁の下のなんちゃらっていう感じよね。 でもあれ、店長のヒゲおじさんよ? 」
「え…… ウソ…… 」
「おじさんで地味な仕事でもカッコよく見える…… 男って不思議よね 」
「また意味深な言葉ですね 」
陽子は遥の言葉には答えず微笑んでいた。
「来てたのなら声掛けてくれれば良かったのに 」
2時半を過ぎてやっと客足が落ち着いた頃、琢磨は陽子に気付いて裏口に誘っていた。
「琢ちゃんの働く姿見たかったから。 いい味出してるんじゃない? おじさん 」
頭を掻いて琢磨は恥ずかしがる。
「今日はゆっくりしていけるのかい? 」
「ううん、3時から別件で聴取だからもう行かなきゃ。 今度はゆっくり来るわ 」
ハハハと琢磨の細い目がより細くなる。
「君の今度はいつになるのやら…… 」
琢磨はタバコの先が真っ赤になるほど深く吸い、ゆっくりと吐き出して灰皿に揉み消す。
「なによそれ、じゃあ今の案件が終わったら来るわ。 覚悟しておいてよね 」
「気長に待ってるよ。 このまま行くのかい? 」
「そうするわ。 あ…… お昼代払ってない 」
「ハハ…… ツケておくよ 」
そう言って背中を向ける琢磨に、陽子は腰に手を当てて微笑む。
「…… 相変わらず甘いんだから。 変わらないわね、そういうところ 」
「そうかな? まぁ、人ってそう簡単には変われないものだよ。 ……それより、あの子達のこと頼むね 」
「大丈夫よ。 あの時のようなことには私が絶対させないから 」
そう言うと陽子は琢磨に背を向ける。
「気を付けて行くんだよ? それと、あの車もう買い換えたら? 」
遠ざかる陽子の背中に、琢磨はタバコに火を着けながら声を掛ける。
「バカ言わないで。 お気に入りなんだから 」
歩きながら振り返り、笑顔で右手を振る陽子の背中を、琢磨は見えなくなるまで見送っていた。




