第10章 月下の共闘、重なる二人の背中
隣国の刺客「鴉」を退けた「聖女の塔」であったが、夜はまだ終わっていなかった。
捕らえた暗殺者の影から、禍々しい粘液のような魔力が溢れ出す。
それはガルバニア帝国が禁忌の呪術で生み出した「眷属召喚の自爆呪印」だった。
「……アル様、下がって! 奴ら、最初から死兵だったようですわ!」
セラの鋭い警告と同時に、暗殺者の遺体が黒い霧へと霧散し、そこから巨大な、形を持たない「影の魔獣」が具現化した。
それは物理攻撃を透過し、魔力を直接喰らう、対・聖女用の秘密兵器だった。
予期せぬ「聖域」の崩壊
塔の最上階が、内側から膨れ上がる闇によって軋みを上げる。
セラの放つ「聖なる閃光」が影の魔獣を貫くが、奴は霧のように霧散しては、瞬時に再生する。
それどころか、セラの高密度の魔力を餌にして、さらに巨大化していく。
「私の光を、喰らうというのですか……!? 汚らわしい!」
セラの顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。
魔法師としての序列が圧倒的であればあるほど、その魔力を吸収して反転させるこの魔獣は天敵となる。セラの魔力が強すぎるがゆえに、この狭い室内では彼女自身が魔獣にエネルギーを供給する「電池」にされかけていた。
「セラ様、魔法を止めてください! 奴に餌を与えているのと同じだ!」
「ですが、止めればアル様が闇に呑まれてしまいます……!」
アルスは、ドレスの裾を引きちぎり、動きやすいように足元を露出させた。
(魔法が通じないなら、物理で叩くしかない。だが、普通の剣じゃ霧を斬るだけだ。……なら、やることは一つ!)
アルスは、セラの背後に回り込み、その華奢な肩を力強く抱き寄せた。
重なる背中、合一する力
「アル様!? な、何を……っ、こんな時に破廉恥な……っ、でも、もっと……!」
緊迫した状況下で、セラの脳内が瞬時に「愛の陶酔」へと切り替わる。
だが、アルスの狙いは破廉恥な行為ではない。
「セラ様、集中してください! 貴女の魔力を、放出するんじゃなく、僕(私)の剣に『定着』させるんです! 貴女が『鞘』になり、僕が『刃』になります!」
「……! 私の魔力を、貴女の技に委ねろと……?」
セラは一瞬、戸惑った。自らの魔力を他人に委ねるなど、プライドの高い聖女には本来ありえないことだ。しかし、アルスの背中から伝わる確かな体温と、鋼のような意志が、彼女の不安を霧散させた。
「分かりました……。アル様、私のすべてを、貴女に捧げます!」
セラがアルスの背中にぴったりと身を寄せ、その両腕をアルスの腕に重ねる。
「聖女の守護契約」が深化した。
アルスの肉体を、セラの純白の魔力がコーティングしていく。物理攻撃しか持たないアルスの「技」に、セラの「聖なる属性」が宿る。
「(重い……だが、いける!)」
アルスは、手にした折れたレイピアの残骸を構えた。
今、その折れた刃には、夜を昼に変えるほどの眩い光の刃が形成されていた。
「行くぞ、セラ!」
「はい、騎士様!!」
月下の舞踏
二人は一体となって闇の中へ飛び込んだ。
アルスの神速のステップに、セラが魔力で加速をかける。
魔獣の放つ闇の触手が二人を襲うが、アルスは最小限の動きでそれを回避し、セラが即座に障壁を張って余波を打ち消す。
完璧な、攻防一体のコンビネーション。
「はああああああっ!!」
アルスの一閃が、闇の魔獣の核を捉えた。
ただの剣術なら通り抜けるだけだが、セラの魔力を宿した一撃は、魔獣の構成物質そのものを根源から浄化していく。
「キ、キシャアアアアアア!!」
断末魔の叫びと共に、影の魔獣が光の粒子へと分解されていく。
崩れゆく闇の中で、アルスとセラは重なったまま、月光が差し込むバルコニーへと着地した。
粉砕されたガラスの破片がダイヤモンドのように舞い、二人の銀髪と金髪を美しく彩る。
そこには、戦い抜いた「騎士」と「聖女」の、神話の一幕のような光景があった。
制御不能の「騎士様愛」
魔獣が完全に消滅し、静寂が戻った塔。
アルスは、ようやく肩の力を抜き、背中に張り付いているセラの拘束を解こうとした。
「……終わりましたね、セラ様。助かりました」
しかし、セラは離れなかった。
それどころか、アルスの首筋に顔を埋め、ハアハアと荒い息を吐きながら、腕の力をさらに強めてきた。
「セラ様……? あの、もう敵はいませんよ?」
「……無理です。離せません。離したくありません」
セラの声は、熱っぽく震えていた。
今、彼女の全身を駆け巡っているのは、勝利の余韻ではない。
自らの魔力をアルスに「捧げ」、肉体と魂が一時的に溶け合ったことで生じた、強烈な「全能感」と、アルスへの「独占欲」だった。
「アル様……貴女の中に、私の光が流れる感触……。あんなに熱くて、激しくて……。私、もう、自分一人では魔法を使いたくないくらいです」
「ちょ、セラ様!? 何を言って――」
セラはアルスを床に押し倒すようにして、その上に跨った。
月光に照らされた彼女の瞳は、ハートマークが浮かんでいるのではないかと思えるほどに、危険な色を帯びている。
「貴女は私の騎士。私の半身。……今夜の共闘で、確信しました。私たちは、二人で一つなのです。性別も、身分も、過去も、すべてどうでもいい……」
セラの指が、アルスの唇をなぞる。
「アル様。……今すぐ、ここで、もっと深い『契約』を結びましょう。貴女のすべてを、私に刻み込んでください」
(ヤバい。これ、さっきの暗殺者より百倍ヤバい!!)
アルスは、セラの瞳の奥に「理性の崩壊」を見た。
彼女の「騎士様愛」は、極限状態での共闘を経て、ついにブレーキが壊れた暴走特急と化していた。
「セ、セラ様! 落ち着いて! 窓が壊れてるから、外から誰かに見られちゃいます!」
「見られればいいのです。エルフレデ王女が、聖女セラの『唯一の所有物』になったと、全世界に知らしめる良い機会ですわ……」
セラが、ゆっくりと顔を近づけてくる。
アルスの「男としての本能」が、この美少女の誘惑に屈しそうになる。
しかし、「バレたら死ぬ」という生存本能が、かろうじて彼を押し留めていた。
その時。
「――おーい、エルフレデ! 無事か! 凄い音がしたぞ!」
塔の下から、間抜けな……いや、救世主の声が響いた。
決闘を申し込んできた熱血騎士、カイエンだ。
「……チッ、野蛮な獣が」
セラが、心底忌々しそうに舌打ちをして、アルスから身を引き離した。
一瞬で「冷徹な聖女」の仮面を被り直す彼女だったが、アルスを見るその目は、依然として獲物を狙う肉食獣のそれだった。
「……アル様。今日の続きは、窓を直してから、たっぷり、じっくりと行いましょうね?」
アルスは、ガタガタと震えながら頷くしかなかった。
敵を倒して絆が深まったはずが、同居生活の難易度は、ついに「ベリーハード」から「インフェルノ」へと突入したのである。
一方、階下で叫ぶカイエンは、自分が一歩間違えればセラの「神罰」で消し飛ばされていたことなど、知る由もなかった。
つづく




