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異世界で無職を極めた俺は、役割を拒んだ選択の末に歌姫を救う  作者: 若木勇祐


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第9章「Re:Evaluation」

扉の向こうは、暗かった。


完全な闇ではない。

だが、光源もない。


輪郭が、まだ定まらず、

恒一の足音が、響かない。


鳴ったはずの音が、

どこにも記録されない。


影は、半拍遅れて動く。


ゼロスライムが、足元で静かに広がる。

ぬるり、と。


空間が、かすかに脈打つ。


……ドクン。


恒一は立ち止まる。


「……今のは」


また。


……ドクン。


今度は、はっきりと。


音ではない。

空間の揺れ。

石壁が、呼吸しているみたいだった。


ゼロスライムが、強く震える。


雫の形が崩れ、

一瞬だけ輪郭を持つ。


指。

腕。


少女の横顔のような、影。

しかし、すぐに溶ける。


「……お前か」


答えはない。


だが、鼓動が一段強くなる。


……ドクン。


壁面に、淡い光が走る。

古代文字だ。


今度は削られていない。


──聖律原典 第八節


人は役に生まれず。


役を選び、

役を捨て、

再び選ぶものなり。


これを、

無職という。


──アルケイア文明 静粛前原典。


古代文字のため、意味はわからない。


だが、

なぜか目を逸らせなかった。


「未確定を、恐れるな」


まるで、

続きの一節のように。


恒一の胸が、同調し、

鼓動が、重なる。


ゼロスライムが、足元から広がる。


黒い波紋。

床の紋章を滲ませる。


観測不能が、さらに進む。

天井のどこかで、微かなノイズ。


──追跡率、低下。


ここは、届かない。

鼓動は、神の監視より深い。


アルケイアの、核。


恒一は、ゆっくりと歩く。


鼓動が近づく。


……ドクン。


……ドクン。


空間が、形を取り戻す。

今度は、崩れない。


広い円形の部屋。

中央に、低い台座。


その上に、何もない。

だが確かに、そこにある。


目に見えない、未完成の核。


ゼロスライムが、台座へ伸びる。


触れた瞬間に、

光が、爆ぜる。


白ではない。

色のない光。


形を持たない、輝き。


鼓動が重なる。


恒一の胸と。

空間と。

ゼロスライムと。


三つが、同時に鳴る。


同じ鼓動で、区別がつかなかった。


……ドクン。


……ドクン。


……ドクン。


ゼロスライムが、形を保てなくなる。


雫ではない。


少女の輪郭。


だが──

まだ、世界が彼女を決めていない。


目は閉じている。

声もない。


未完成。


恒一は、台座に手を置く。


「……選ばない」


鼓動が、強まる。


「固定しない」


少女の影が、わずかに揺れる。

まぶたが、震える。


……ドクン。


「必要になったら、選ぶ」


その瞬間。


空間が、震えた。

鼓動が、はっきりと鳴る。


ゼロスライムの核が、明確になる。


まだ眠っている。

だが、応答はしている。


光が収束する。


そして──

重い足音。

石が擦れる音が聞こえてくる。


部屋の奥で、

闇の中から、巨大な影が立ち上がる。


静かに、

ゆっくりと。


鎧を纏った騎士。


崩れた兜。

亀裂の入った胸甲。

その胸に刻まれた、古い円環。


神の紋章ではない。

アルケイアの誓印。


声は低い。

だが、はっきりしている。


「……何者として、進む?」


──原初守護者。

《誓約残響オース・レムナント》


空間が、緊張する。


ゼ◯の鼓動が、まだ鳴っている。


未完成のまま。


恒一は、守護者を見上げる。


影が、半拍遅れる。

観測不能。


だが、確かにそこに立っている。


「……何者でもない」


「だから、選び続けて──何にでもなる」


静かに、答える。


守護者の兜の奥で、光が揺れた。


「ならば──」


巨大な剣が、持ち上がる。


「選び続けよ」


鼓動が、さらに強まり、

未完成の核が、震える。


守護者は、

ただ見ていた。


中央に、何の変哲もない剣が刺さっていた。


あまりにも、

わかりやすい場所に。


それを握れば、

戦えると理解できた。


理由はない。


ただ、

そう決められているようだった。


恒一は柄に手をかけた。


冷たい。


──いや、違う。


これは、

誰かのための剣だ。


恒一は、

静かに手を離した。


「ゼラ」


その名前だけが、

静かな空間に落ちた。


その名前は、

どこから出たのか分からなかった。


──その名前が、

初めて世界に落ちた瞬間だった。


応えたのは、

中央の剣ではなかった。


差し出されたのではない。


寄り添うように、

ゼラが重みを持つ。


気づけば、

手の中にあった。


──剣だった。



守護者が、一歩踏み出す。


その瞬間。


床に刻まれた円環が、淡く発光した。


光は五色ではない。

無色。

いや、銀色のように見える。


そして、それが広がる。

まるで、静かな波紋のように。


恒一の身体が、わずかに重くなる。


だが──。


広がった光の中では、

ロール補正が、消える。


役割による強化も、減衰も、ない。


ただの身体。

ただの思考。

ただの動き。


守護者の声が響く。


「役割に頼るな」


剣が振り下ろされる。

速く、そして重い。


純粋な技量の差がある。


恒一は、衝撃で転がり、

床を滑る。


ゼラが、衝撃を僅かに逸らす。

だが大半は、そのまま受けてしまう。


息が詰まって苦しい。


「……くっ」


守護者は追撃せずに、

ただ、構える。


「何者として、立つ?」


問い。

単純な攻撃より重い。


恒一は、立ち上がる。


「何者でもない」


守護者が踏み込む。


剣と拳を振りかざし、

鎧の軋む音が響く。


剣の打ち合い。

もちろん、ロールによる助けはない。


技巧だけ。

判断だけ。


ここは、役割を与える場所ではない。

“選ばないまま立てるか”を試す場所。


数合、交わる。


火花が飛び散り、

息が漏れる。


床に大きなひびが激しく走る。


守護者が、後退し、

光が揺れる。


次の瞬間。


姿が、変わった。



鎧が砕ける。

その下から、別の姿が現れる。


軽装。

長杖。


空間が冷えて、

魔術陣が展開されていく。


「選び続けよ」


雷が部屋中に走り、

炎が天井まで渦巻く。

そして、氷が床を凍らせる。


剣士ではなく、

魔術師。


恒一は、ひたすら走る。


詠唱を読めない。

だが、予兆を必死に読む。


ゼラが、魔力の流れを僅かに歪ませる。


直撃は避けた。

だが、熱は伝わる。


身体の一部が焼けて、凍る。


熱いとか、冷たいとか、

そんな程度は、とうに超えている。


それでも、踏み込む。


すると、守護者が、再び姿を変える。


盾を持つ重装。

巨大な防壁。


「選択を恐れるな」


防御。

完全防御。


どこからも崩せない。

押しても、叩いても、動かないだろう。


恒一は、剣状に変化したゼロスライムを構えながら止まる。


ロールは、変わる。

姿も、変わる。

だが、核は変わらない。


選び続ける存在。


「……そういうことか」


守護者は、固定されず、変わる。

それでも、“誓い”は揺れない。


なら。


「選び続ける」


恒一は、踏み込む。


守護者が、元の鎧姿へ戻る。



今度は、変わらない。


剣士の姿。

誓印が、胸で淡く光る。


ロール無効領域は、まだ続いている。


役割は使えない。

能力も、誇張されない。


ただの人間。

ただの戦い。


剣が交差する。

激しい衝撃。


膝が沈み、

息が荒くなる。


守護者の一撃が、恒一の肩を裂く。


血が落ちる。ゼラが剣からわずかに滲む。


だが、回復ではない。

ただ、支える。


恒一は、歯を食いしばる。


「……何者でもない」


守護者が踏み込む。


真正面からの全力の一撃。


避けないで、

受ける。


衝撃が走り、

足が滑る。


だが、ぎりぎりのところで倒れない。

剣を押し返す。


力。

技巧。

読み。


すべてを総動員する。


一瞬。


守護者の重心が、僅かにずれる。

その隙を、逃さない。


踏み込み。

体重を乗せる。

刃を滑らせる。


鎧の隙間への、一閃。


守護者が、止まる。


沈黙。


剣が、地に落ちる。

膝が、つく。


ロール無効の光が、消える。


守護者は、兜を外さない。

だが、声は静かだった。


「……選び続けよ」


胸の誓印が、淡く光る。


「固定するな」


守護者の身体が、光に溶ける。

消滅ではない。

これは、解放。


円環が、床に刻まれる。

アルケイアの誓印。


ゼラが、強く震えて、

鼓動が、重なる。


……ドクン。


……ドクン。


未完成の核が、はっきりと目覚め始める。


守護者は、最後に告げる。


「未完成であれ」


それこそが、選び続ける者の姿だ。


光が消えて、

静寂が訪れる。


恒一は、剣状になったゼラを振り下ろす。


膝が震えている。

だが、なんとか立っている。


「……ああ」


息を吐く。


「選び続ける」


ゼラが、剣の状態で強く波打つ。


今度は、明確に、

少女の輪郭が、はっきりと浮かび上がる。


まだ未完成。

けれども、確かにその目は開きかけている。


守護者は斥けた。


だが──

本当の核は、まだそのさらに奥にある。



誓印の光が消えた瞬間。


世界のどこかで、

静かな海が、波打った。


光でできた空間。

無限に近い座標。


管理の網が、世界を覆っている。


その一角が、黒く滲む。


──遮断。


追跡線が、切れる。

観測座標が、空白になる。


再計算。

再接続。

再固定。


──不能。


意識が、深く沈む。


怒りではない。

だが、明確な異常。


アルケイア。


その名が、記録の底から浮上する。


粛清済み文明。

自由選択思想。


排除対象。

完全消去。


──のはずだった。


だが、今。


同じ波形が、発生している。


未確定。

固定不能。

削除不能。


管理網の一部が、わずかに焼ける。


例外、再発生。


今度は、疑問ではない。

判断が走る。


優先度、上昇。


光の海に、亀裂が走る。


世界の法則の一部が、微かに書き換わる。


地上。


空が一瞬だけ、濁る。


誰も気づかない。

だが、神の視線は定まった。


観測対象:無職。


名前は付けない。

まだ。


だが、完全に“認識”した。


そして。


初めて、

“干渉”を検討する。



恒一は知らない。


だが、空気が変わる。


守護者が消えた部屋に、

微かな重圧。


ゼラが、強く震えて、

鼓動が、乱れる。


……ドクン。


……ドクン。


今度は速い。


未完成の核が、反応している。


恒一の影が、消える。


完全に、

一瞬だけ。


足元に、影がなく、

存在が、空間から外れる。


天井のどこかで、焼けるような音。

追跡再確立、試行。


圧が降りる。


世界そのものが、

“確定させよう”とする。


恒一の身体が、重くなり、

空間が、白く塗り潰される。


黒い波紋。


「……来たか」


鼓動が、最大に達する。


……ドクン。


台座の中央。

見えなかった核が、可視化する。


色のない光。

未完成の塊。


神の圧が、押し潰そうとする。


固定。

確定。

分類。


だが。


恒一は、一歩前へ出る。


「選ぶのは、俺だ」


ゼラが、爆ぜる。


雫ではない。

輪郭。

少女の形。

その瞼が、ゆっくりと開く。


光ではない。

零。

色を持たない輝き。


神の圧が、弾かれて、

管理の網が、断線する。


──干渉、失敗。

光の海が、揺らぐ。


初めて、

明確な失敗。


ダンジョンの空間が、安定する。


鼓動が、ようやく静まった。


少女が、そこに立っている。


十歳前後の姿。

まだ未完成。


だが、確かに目を開けている。


ゼラ。


彼女は、恒一を見上げる。


「……選ぶ人」


声は小さい。

だが、確かに響く。


神の視線が、わずかに退く。

完全撤退ではない。

だが、押し切れなかった。

管理は、揺らいだ。


ゼラが、恒一の手を取る。

すると、そこには確かな温度がある。


未完成の存在。


「まだ……全部じゃない」


だが、目覚めた。


無職ダンジョン深層第1階。


核が起動し、

神は認識した。


例外は、再び現れた。


そして今度は──

今度こそは、消せない。



光の海は、再び静まっている。

だが、完全な平衡ではない。


管理網の一部に、黒い欠損。


未確定領域。


神の意識が、そこに触れる。

今度は排除を試みない。


代わりに──。


優先度:監視強化

干渉方式:間接


直接の固定は、弾かれた。


ならば。


環境を変える。


世界の法則を、わずかに傾ける。


数値。

確率。

偶然。


管理は、強化される。


地上。


王都の上空で、ほんの一瞬だけ空が歪む。


誰も気づかない。


だが、世界の裏側で、

“例外に対する監視”が、強化された。


そして。


別の命令が走る。

権能端末、起動。



高い場所。

光でできた柱。

そこに立つ存在。


翼を持つ。

だが、羽ばたかない。


感情の揺らぎは、薄い。

権能を持つ端末。


天使。


その一体が、目を開く。

瞳に、数値が流れる。


管理網:異常。

例外:再発生。

座標:アウレリウス王国領域。


天使は、静かに膝を折る。

声は出さない。


神の意識が、流れ込んでくるが、

命令ではない。


“理解”。


観測せよ。


天使の翼が、わずかに広がると、

空間が裂ける。


地上へと続く、細い光路。

だが、降りない。


まだ。


直接介入は、最終手段。


まずは──。


“裁定”。


天使の瞳が、遠くを見つめる。

無職ダンジョンの方向。


薄く、笑うような歪み。

それは感情ではない。


ただの、判定。


管理不能:存在。

危険度:未定。



──王都の教会。


祈りの最中に、

蝋燭の火が、一瞬だけ揺れる。


聖印が、微かに軋み、

異端審問官グロスクロイツが、顔を上げる。


彼は、何かを感じる。

だが、まだ確信はない。


空気の歪み。

神の沈黙。


「……強化、されたか」


呟き。


世界は、静かに動き出す。



ゼラは、まだ完全ではない。


立っているが、不安定で、

輪郭が揺らぐ。


「……見られてる」


恒一は、空を見る。


天井の石。

だが、その向こう。


「来るか?」


ゼラは首を振る。


「すぐじゃない」


「準備してる」


その言葉は、重い。


神は焦らない。

まずは、天使が動く。


管理は強化される。

例外に対する、静かな包囲。


恒一は、小さく笑う。


「上等だ」


ゼラが、わずかに微笑む。


「選ぶ人」


未完成の存在が、並ぶ。


無職と、零。

地上では、何も変わらない。


だが、世界の裏側で、

歯車は回り始めた。


静かに──。

そして、確実に──。



いつの間にか通路に戻ってきていた。


通路を抜けると、視界が開けた。

低い天井の洞窟。


湿った石壁に淡く青い光が反射している。

空気はひんやりとしていて、静寂が支配していた。


「……最奥か」


恒一は小さく呟く。


ゼラの手を優しく握ると、

形が自然に変わり、盾状になった。


警戒しながら、

しかし、落ち着いた足取りで歩を進める。


洞窟の中心に、巨大な影が見えた。

無数の触手を持つ、半透明の塊。

──人型スライムの集合体。


敵意が明確に迫ってくる。

だが、致死性は高くない。


ダンジョンが「無職専用」である以上、

この戦いも試練の意味合いが強いのだろう。


(……相手は俺を試しているだけ)


恒一は深呼吸する。

手元のゼラは、膨らんで拳状に変わる。

軽く振ると、触手が当たりそうになった瞬間に跳ね返す。


「……行くぞ」


衝撃を受け止め、弾き返し、形を変える。

棒に変えて、素早く叩く。


すると、敵は割れるように小さくなり、

再び触手を伸ばす。


(……速さと柔軟性、か)


恒一は、冷静に思考を巡らせる。

攻撃は必須ではない。


受ける。

弾く。

進む。


ダンジョンの仕組みは、戦うことではなく、

生き残ることでもなく、選択することにある。


ゼラが、膨らみ、再び盾に戻る。

触手を受け止め、壁に弾き返す。


次の瞬間、棒状に変化させ、敵の一部を叩き潰す。


──勝利ではない。進行。

倒す必要も、破壊する必要もない。


ただ、最適な行動を選ぶことが、

この世界での生存ルールだった。


そして、最後の一撃。

ゼラを拳状に変え、触手を思いっきり殴ると、

巨大な塊は静かに縮み、溶けるように消えた。


洞窟全体に、青い光が広がる。

微かな振動が、足元から伝わってきた。


──無職専用ダンジョン。

──深層第1階クリア。


(最後はやけにあっさりしてるな……)


恒一は、静かに息を吐いた。

ゼラを膝に抱え、初めて微笑む。


(……これで、レベルが上がるのか?)


水晶が、机の上で淡く光る。

指先で触れると、文字が浮かび上がった。


世界が、ほんのわずかに遅れて追いつく。


《レベル:1》

《評価:SSS》

《ロール:オールマイティー》

《スキル取得》

《ゼロストライク》

《ジョブチェンジ(仮)Dランク 解放》


例外:確認

無職:管理対象外


文字を見た瞬間、胸に熱いものが込み上げる。

無職。役割なし。評価E。

すべての既成概念を覆す、たった一つの事実。


(……世界の方が、やっと追いついた気がした)


だが、恒一は喜ばなかった。


ゼラが、ぷるぷると膨らむ。

まるで、喜んでいるように見えた。

恒一は軽く頭を撫でる。


洞窟には、水滴の音だけが残っていた。


(……自由。これで、俺は自由に動ける)


だが、静寂を破るように、洞窟の奥で振動が走る。

外部に検知された――通知のようなもの。

青い光が、強く点滅する。


(……あ、見つかったか)


無職専用ダンジョンは、本来、王国の正式な監視対象ではない。


だが、クリアによるレベル変動は、

システム的に外部へも記録される。


王国の監視システムが、

ゼラの存在を感知したのだ。


「……面倒なことになりそうだ」


恒一は、ゼラの形をゆっくりと元に戻す。

ぴょん、と跳ねる感触が、心を少し軽くする。


(……まあ、いいか。

どうせ、俺は誰の支配下でもない)


静かな洞窟。

光を反射する石壁。

そして、無職にしか歩けない道。


──ここから先は、完全に、俺の選択だ。


恒一は、ゆっくりと立ち上がる。

足元で、ゼラが小さく揺れる。

世界が初めて、彼に微笑みかけた瞬間だった。


洞窟の奥で、

恒一とゼラは静かに息を整えていた。


巨大な核が、音もなく崩れた。


破壊音はなかった。

爆発も、崩落もない。


ただ──

役目を終えた装置のように、静かに光が消えた。


洞窟の中央に、円陣が浮かび上がる。

それは、魔法陣ではない。


ORIGIN : ZERO

STATUS : SEALED

ROLE : WEAPON


床に刻まれた“役割”。


ゼラが、ぴたりと止まった。


『……あれ』


震える声。


『……わたし』


円陣の中心に、黒い球体があった。


鎖のような文字列が絡みついている。


「役割を設定せよ」


空中に、選択肢が浮かぶ。


武器。

盾。

召喚存在。

契約体。


恒一は、しばらくそれを見つめた。


どれを選んでもいい。

どれを選んでも、封印は解ける。


だが。


「決めない」


空気が揺れて、

選択肢が、微かに歪む。


選択権オプション・ゼロ


ROLE の文字が、ノイズのように崩れる。


鎖がほどけて、

黒い球体が、ゆっくりと裂けた。


中から現れたのは、形を持たない存在だった。

光でも、液体でもない。

境界そのもの。


そこに、目だけがある。


『識別:分体確認』


無機質な声。


ゼラが、後ずさる。


『……こわい』


『記録:喪失』

『存在定義:未設定』

『過去:不明』


淡々と告げる。


だが、次の瞬間。


その目が、恒一を向いた。


わずかに、目が揺れる。


『……同行記録あり』


ゼラが、震える。


『……いっしょ、いた』


境界の存在の声が、ほんの少しだけ変わる。


『感情ログ:保存済』


恒一は、息を吐いた。


「お前が、真の本体か」


『未確定』


即答。

だが、否定もしない。


空間に、最後の文字が浮かぶ。


統合しますか?

YES / NO


ゼラが、恒一を見上げる。


『……わたし、なくなる?』


「なくならない」


恒一は即答した。


「増えるだけだ」


少しだけ、間。


ゼラが、小さく頷く。


『……なら、いい』


YES が、光った。


光が弾け、

分体が溶けて、

本体が広がる。


二つが、重なり合う。

境界が、徐々に形を持つ。


少女の輪郭が、ゆっくりと確定する。

今までより、やや大きく成長した姿。


瞳に、初めて色が宿る。


息を吸う。

吐く。


ゆっくりと、口を開く。


「……恒一」


初めて、名前を呼ばれた。


恒一は、何も言わずに頷いた。


少女は、自分の手を見つめる。


「わたし、全部、わかんない」


静かな声。


「でも」


顔を上げる。


「あなたといたことは、ちゃんとある」


記憶は欠けている。


だが。


今は、残っている。


神器(??):未分類

名称:ゼラ(仮)

適合者:空野恒一

契約方式:相互非支配


“所有”ではない。

“従属”でもない。


相互非支配。


少女──ゼラが、ゆっくりと恒一を見る。


「……わたし、武器じゃないよね?」


「違う」


即答だった。


「俺も、持ち主じゃない」


ゼラは、ほんの少しだけ微笑む。


「よかった」


その瞬間。


ダンジョン全体が、激しく軋んだ。


教育装置:終了

管理プロトコル:停止

対象:逸脱


天井が白化し、

壁が崩れる。


空間が、確定を拒む。


ゼラが、恒一の手を掴んだ。


「……落ちる」


「知ってる」


足元が抜ける。


光。



──神界。


管理対象:無職

ROLE:NULL

神器原型:解放

干渉率:上昇

危険度:再評価


「……なぜ、固定できない?」


沈黙。


「……まだ許容範囲だ」


短い判断。

だが、名前は記録された。


空野恒一。


光が弾ける。


一方、外部では大きな異変が起きていた。



──王国の監視室。

多数の水晶球が浮かぶ空間で、

聖職者たちがモニターのように状況を見守っている。


普段なら、この部屋の光景は安定している。

だが、一つの水晶球が異常な振動を示していた。


「……これは……?」


若い聖職者の一人が、目を見開く。

水晶の光は、これまで見たことのないパターンで点滅している。

そして、通知の文字が浮かんだ。


無職者がレベルアップ、評価SSS。


部屋の空気が、一瞬で変わる。

重苦しい沈黙。


「無職……だと?」

「E評価の……?」

「レベル0から1に……?」


ベテランの聖職者がゆっくりと口を開く。


その声には、

驚きと危険信号の混ざった響きがあった。


「これは……想定外です」


想定外。

その言葉が、部屋中に重く落ちる。


「無職に、SSS評価……?

ありえない……!」


別の聖職者が叫ぶ。

手元の水晶球を叩き、光の振動を強める。


「だが、事実は事実だ。

無職……空野恒一が、我々の監視下で行動した」


彼らは即座に判断を迫られる。


無職。

評価E。

通常の管理外。

しかし、SSSに跳ね上がったという事実。


「やはり異端……と見なし、処分すべきか」


その瞬間、室内の空気が固まった。


“無職”の概念は、

王国では危険因子としてしか存在しない。


これが外部で検知されれば、

管理不能の異端としてマークされることになる。


「……監視対象外の者が、勝手に評価を上げた。

これは、王国の秩序に対する挑戦と見なさざるを得ない」


重々しい宣告。

王国の上層部に報告する準備が、

すでに進められていた。


──無職、空野恒一。

──王国の“異端者リスト”に、

彼の名前が刻まれ始めた。


その一方で、ダンジョン内の恒一は、

まだ静かな呼吸を続けていた。


ゼラがスライムの姿に戻り、

小さく膨らんで、手元で揺れる。


(……向こうで騒いでるかもしれない)


恒一は目を細め、少しだけ微笑む。

誰も、まだ追いつけない。


この世界に、まだ誰も立てない立場に自分がいることを実感する。


(……無職の俺を、誰も管理できない)


洞窟の奥、石壁に反射する青い光。

その光は、王国側の監視も、

既存のルールも、何も通さない。

自由の証明として、静かに輝いていた。


──異端認定のフラグは、すでに立った。

──だが、現場の恒一には、まだ届かない。


「……さて」


彼は立ち上がる。


ゼラをその手に抱え、

洞窟の奥の階段の方に視線を向ける。


(次は……どう動くかだな)


世界に規定されたルールの外側。

無職だけが歩ける道。


その一歩を、新たに踏み出すとき、

恒一の心は、もう迷わなかった。


──選ぶのは、俺だ。

──またここへは戻ってくる。

──地上へ、強制転移。


観測対象:空野恒一。

状態:例外。



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