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さよならを言うのは -義妹と過ごす5年間の軌跡-  作者: 枕元


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22/22

お互い様

 「あんたに、あんたに何がわかるのよ!!」


 力強く振り抜かれた張り手が、()の頬を強く打つ。


 あの時のことはよく覚えている。初めて人に向けて明確な怒りを持って手を上げた過去は、今でも私の胸に深く刻まれている。


 私は覚えている。人を傷つける時、自分の心も深く傷つけるってことを。


ーーーー


 あれは中学二年の春の終わりのこと。


 大好きなお父さんが病気で死んでしまった。私にとって、お母さんにとって、妹にとってそれは大きすぎる悲劇だった。


 しばらく学校を休んだし、周りもそれに何も言わなかった。むしろ学校の友達は足繁く私の家に通って、辛い日々の支えになってくれた。気持ちの整理はつかずとも、何もしない日々が逆に辛くなってきた頃、私はなんとか学校に再び通い始めた。


 別に乗り越えたわけじゃない。なお心には深い傷が残っていたし、悲しい気持ちはちっとも薄まっていなかった。


 それでもこのままじゃいけないと、言葉にならない焦燥感が私を動かしていた。


 きっとそこには、お母さんに心配をかけたくないって思いもあった。お父さんが死んじゃって、シングルマザーとして私たちを育てなきゃいけないお母さんに、余計な負担をかけたくなかった。


 空元気はきっとみんなにバレていた。それを指摘する人はいなかったけど、どこか腫れ物を扱うような空気が流れていたのはよく覚えているし、悪意がないと分かっていても、私にとって辛い日々が続いた。


 そんな時、私は思い出した。


 隣のクラスに、母親を亡くした生徒がいることに。


 今思えば、私は彼に相当に酷いことをしたと思う。()はそんなことないと言ってくれたけれど、思い返すと少なくとも常識的なやり取りではなかった。


 「如月くんは、どうやって乗り越えたの?」


 ふと、空き教室に残った彼にそんなことを聞いてしまった。最低だと思う。まさに傷を抉るような無神経な問いかけ。


 しかも、しかもだ。


 どうやって乗り越えたのかなんて聞いたくせに、求めていた答えはきっと方法なんかじゃなかった。


 「今も悲しいよ」「乗り越えられてないよ」


 「こんな悲しみ無くなるわけないよ」


 そんな答えを求めてた。私はおかしくないって、この苦しみを肯定して欲しかった。


 私がしたかったのは、悲しみの共有。どうしようもないって言って欲しかった。仕方がないって言って欲しかった。


 それを隣のクラスの、話したこともない相手に求めてしまった。


 「何を乗り越えるの?」


 彼の言葉に固まる私。言葉の意味が伝わっていないのかと、私は改めて質問した。


 「だって、お母さんが死んじゃったんでしょ?そんなの、()()悲しいでしょ……?如月くんだって、本当はそうなんでしょ?」


 彼の噂はここ最近よく聞いていた。


 曰く、母親の死をどうとも思っていないのだと。悲しむそぶりすら見せず、平然としている生徒だと。


 そんなはずはないと、私は彼を否定したかった。


 彼を否定することで、自分を肯定したかった。


 だけどそんな浅ましい思惑は、彼の本音の前で儚く散ることとなった。


 「悲しいって、なんで悲しいの?」


 「……は?」


 「だって別に、何か変わるわけでもないじゃん」


 おかしい。目の前の少年は、根本的に何かが違うことにやっと気づいた。


 だから彼のことはそっとして、違う生き物として、その場を後にすればよかったのに。


 私もある種、意地になっていたのだろう。


 「ウソ、つかないでよ。だって私は!私は、こんなに……こんなに辛いのに……っ!!」


 目の前の少年に責められる謂れなどないというのに、私は彼を嘘つきと称して断罪しようとした。


 彼の答えは、非常にシンプルだった。


 「僕からしたら、嘘つきは君だよ」


 「……は?」


 「君は親が死んだら、本当に悲しいって思うの?そんなの、死んでみなきゃわからないでしょ」


 彼と私の間にあった、致命的なズレにようやく気づく。彼はそもそも、私の身に起こった出来事を知らなかった。


 別におかしい話ではない。私だって、別に同級生全員に関心を持たれてるなんて自惚れるつもりはなかった。


 だから勝手に期待した。きっと私と同じこの人になら、私のことを助けることができるって。


 勝手に縋って、勝手に失望した。


 「あんたに、あんたに何がわかるのよ!!」


 鋭く決して軽くない音が二人きりの教室に響いた。


 私の胸にあったのは、裏切られたという身勝手な怒り。逆ギレもいいところだ。


 「っーー!!??ちょっと!!あなたたち何をしてるの!?」


 「あ……先生……?」


 第三者の登場に私は、冷や水を浴びせられたように自分の所業を振り返った。


 「ちがっ……わたしは……っこんな!」

 「宮原さん!落ち着きなさい!」


 膝をついて地面に伏せる私を、先生は肩をゆすってなだめてくれる。


 違う、悪いのは私なんだ。そんな風に優しくされるべきは、私ではなくて彼だ。


 そう分かっているのに、それを言葉にせず胸にしまった私。


 私が正しいんだと、そう思わなければとても正気でいられなかった。


 私は卑怯者だった。人を悪者にしてやっと、自分が普通だと言い聞かすことができるのだから。

 

 「違う、私は悪くない……!」


 虚しく、軽い、中身の無い言い訳が教室に響く。


 彼の顔を見ることなんてできなかった。


 言葉とは裏腹に、それが間違いだと、私が一番分かっていたのだから。


ーーーー


 「あのさ、あの時のこと覚えてる?」

 「そりゃ、忘れられないっていうか、本当に悪かったと思ってるよ。その、改めて、本当にあの時は申し訳なかった」


 「んーん。ごめんね、そんなつもりで言ったんじゃないの。あれはお互い様ってことになったでしょ?」

 「まあ、確かにそうなったけど、改めて思い返すとやっぱり俺が悪かったっていうか」


 「いくらそう言ったってね?私は手を出しちゃったけど?如月くんは暴力肯定派?」

 「いや、意地悪言うのはやめてくれ。悪かったよ。あれはお互い様だな」


 「そ、お互い様」


 本当はお互い様なんかじゃない。あの日、悪いことをしたのは間違いなく私だ。彼は質問を受けて、正直に答えて、私に暴力を振るわれたのだから。


 「ねぇ、ごめん。やっぱりお互い様っていうのはやめたいかな」

 「え?」


 「あの時のことは、本当に悪かったと思ってるの。だから、如月くんがどう思っていたって、やっぱりお互い様っていうのは、納得できないっていうか」

 「宮原……」

 

 「あの時如月くんは言ったよね。『僕が悪かった。君を悪者にしたら僕は前に進めない』ってさ」

 「改めて聞くと、少し恥ずかしいな」


 「ううん。そんなことないよ。私はその言葉で、前に進めたんだもん」


 私の暴走から数日して、学校を休んでいた彼は私に手紙を送ってきた。そこには私にかけた言葉に対する謝罪があった。


 その頃には、いや正確には最初からだが、私だって自分がしたことの重みに気づいていた。彼には謝らなければいけないと思っていた。


 『信也くんもね、あなたと同じなの。苦しくて辛くて、それを乗り越えようとしているの』


 『私と、同じ?』


 先生は私と如月くんを同じと言った。そんなはずはないと、その時はやっとの思いで口にできた。


 『僕は、宮原さんみたいになりたい』

 『何、言ってるの?』


 改めて顔を合わせた彼が言った言葉を、私は理解ができなかった。


 『僕は、君みたいに()()()なりたい』


 「正直、馬鹿じゃないのって思った」

 「厳しいな」


 「だってそうでしょ?急に話しかけてきたと思ったら、逆ギレしてビンタしてくる女よ?それを、優しいとか意味わかんないし」

 「ごめん、あんま否定できないかも」


 「いいよ。なんていうか、私たちそんな仲じゃない気がするし」


 私は彼の謝罪を受け入れた。そして彼も、私の謝罪を受け入れた。


 あの日のことはよく覚えてる。優しいのはどっちだと、心の中で何回もツッコミを入れていた。


 私と彼は、よく学校で話すようになった。彼は「感情」というものを勉強中らしかった。ちょっとおかしくて笑いそうになる言葉だけど、彼の境遇を聞いていた私にとってそれは、非常に重たいテーマだと感じていた。


 「どうしてあの時、私のことを優しいって言ったの?」


 それはついぞ聞くことのできなかった疑問だった。それは私が転校してしまったから。お母さんの仕事の都合で、私は隣町の中学に通うことになった。今ではまたこっちに戻ってきているけど、つまりは私は彼の成長を見届けることができなかった。


 だけど今なら聞くことができる。話していてわかる。彼はもう、前に進んでいる。きっとあの頃なりたかった自分に、彼はもうなっている。


 「羨ましかったんだよ」

 「羨ましかった?」


 「そう。なんか宮原はさ、精一杯生きてるって感じがしたから。俺は違った。俺はさ、確かに死んでたんだよ」

 

 否定の言葉は出てこない。今の彼を、確かな光を目に宿した彼からしたら、きっとそうなのだろうから。


 「それを教えてくれたのが宮原だったからさ、宮原は俺にとって「優しい人」だったんだよ」

 

 それはなんとも、私にとって都合のよろしいことで。


 だけどだめ。私は今、彼と許す許さないの話がしたいのではない。


 「ぶっちゃけさ、あれ、どっちが悪かったと思う?これ、今の如月くんに聞いてるから」

 「え、い、今の?」


 露骨に目を泳がす如月くん。自分の本音が表情に出たことを察したのか、真顔に戻そうとするところがなんだかおかしい。


 「ふふっ」

 「…‥笑うなよ」


 「あの日々の苦しみを軽くしてくれたのは、如月くんだから」

 「……あんなの事故だろ。勝手に当たられて、勝手に救われたのは誰なんだか」


 あっ、言ったな?


 「やっぱ思い返すとやばいよね。いきなり教室入ってきた女子がさ、逆ギレしてビンタって」

 「仕方なかったって。最低な質問と最低な返答が噛み合ったというか」


 そう言うけれど、私を拒絶しないで「友達」になってくれたことが、どれだけ私の助けになっているのか、彼は気づいているのだろうか。


 思い返せば奇妙な関係だ。付き合いは短い。出会いは最悪。別れはまずまず。


 だけど久しぶりに、奇妙な縁で再会した今では、こうして気軽にはなすことができている。


 いっそのこと、そのまま聞いてみるか。


 「私を拒絶しないで、「友達」になってくれたことが、どれだけ私の助けになってたか、自分は気づいている?」

 「うーん。当時はぶっちゃけそこまでは。だけどなんだろ、今は特に分かるっていうか」


 「特に?」

 「それがさ、橙子っていうんだけどさーーーー」


 一人の女の子のことを、彼は事情を濁して話してくれた。だけどその瞳に馴染んだ深い黒を思うに、あまり良い事情ではないのだろうと察する。


 「先のことなんて分からないけどさ、なんというか、家族のありがたみとか、本当の意味でまた大切なことが分かってきたんだよ」

 「そっか。如月くんは、ちゃんと変われたんだね」


 あの日変わりたいと願って、ちゃんとそれを叶えられたんだ。


 本当に良かった。


 「宮原先生をお手本にしたからな。ほら、お互い様だ」

 「あ、ちょっと、そういうこと!?」


 「いいじゃん、お互い相手のことを悪いって思ってないんだから、どんなに話したって平行線だろ」

 「う〜ん。否定できないかも?まぁ、如月くんがいいならいいけどさぁ」


 うまく言いくるめられた気がしなくもないが、それはそれで悪くはないか。


 彼がどう思っていたとしても、彼に感謝している事実は変わることはないのだから。

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