甘え方
「人の誘いは断っておいて、自分は他の女とお、お、お家デートってどういうことよ!!!」
「だーかーらー!あの人はそういうのじゃないって言ってるだろ!」
「じゃあなんの話してたのよ!」
「それは……別になんだっていいだろ」
「よくないから!やっぱりなんか隠してるじゃん!」
「だから!用事はその手紙を橙子に渡すことだけだって言ってるだろ!」
「だったら信也に渡してすぐ帰ればいいでしょ!?そのための手紙なんだから!」
宮原を見送った際、タイミング悪く橙子が帰ってきてその場面を目撃された。
別に悪いこともしてないし、後ろめたいこともないのだが、橙子には聞かせることのできない会話をしたのも事実で、こうして言い合いに発展しているわけだ。
会話の内容を話したくない俺と、隠し事があることを速攻で看破して問い詰めてくる橙子。
お家デートなんて甘酸っぱいものではないし、そんな明るい会話をしたわけでもない。宮原の目的はそもそも、橙子にある手紙を渡すことだ。
「てか、なんであの子のお姉さんと信也が知り合いなのよ!私そんなの聞いてないんですけど!」
「俺だって今日知ったんだよ!橙子だって俺があの子と面識ないのは知ってるだろ!」
ちなみにさっきから俺たちが言っている「あの子」は宮原可奈。件のカンニング事件の疑惑をかけてきたあの子だ。まさかあの二人が姉妹だったとはね。ほんとうに、世間は狭い。
「手紙にはなんて書いてあったんだ?」
「本当は知ってるんでしょ?お姉さんに聞いたくせに」
完全に拗ねている橙子。まぁ実際に聞いてはいるし、事情はすべて宮原姉から聞いている。
「結局カンニング疑惑をかけてたのは、自分じゃなくてお母さんだったんだって。止められなくてごめんなさいとか、迷惑かけてごめんなさいって長文だった」
「らしいな。うん。許してやれよ。本当は直接謝りたかったのに、お母さんにバレてそれもできなかったらしいからな」
無理やり話を宮原妹の件に向ける。睨んでくる橙子。うーん、流石にバレてるか。
「許すも何も、別にもう怒ったりしてないから。親に逆らえない子がいることも、別に、そういうこともあるってぐらいで、別に気にしてない」
「大人だな」
素直に感心する。そんなの関係ないとか、押し切って直接謝りに来い!とか言い出すと思ってたんだが。
「逆にしっくりきたっていうか、あんなふうに大事にするような子じゃないって思ってたから、どっちかっていうとやっぱそうだったのか〜って感じ」
本当は直接謝りたくて、それでも親にバレてそれも叶わず、姉を頼って手紙を渡した。それが今回のことの顛末だ。
きっと夏休みが終わって、学校で直接会ったら改めて謝るのだろう。
親に言われたことを、堂々と反対することは難しい。それもあんな風に、人の話を聞かなさそうな場合は尚更だろう。
「良かったじゃんか。カンニング疑惑もこれで完全に晴れたわけだ」
「別にもともと晴れてたようなもんじゃん。それより!そんなどうでもいいことはいいから、あのお姉さんと何話したか教えてよ!」
内心で舌打ち。うまくはぐらかせたかと思ったのだが、流石にそこまで単純ではない橙子。
「ただの世間話だって」
「わざわざ家の中にあげてまで?」
「外は暑いだろ」
「へぇ。だからって普通、何時間も女の子を部屋にあげる?」
まさにああ言えばこう言う状態。この様子じゃ何を言っても聞き入れてはくれないだろう。
それに女の子という言い方から察するに、宮原が俺にとって好意の対象だと思っているのだろう。
「いいから橙子も、一旦お風呂入ってこいよ。話はまた聞くから」
「……絶対だからね」
夕ご飯は済んでいる。普段ならテレビを見たりお互いダラダラしてる時間だ。海に行って、あまつさえ足を怪我しているのだ。そろそろ疲れが眠気に変わってくるはずだ。
(俺の恋愛事情なんて興味ないだろうに)
それほど海に着いて行かなかったことが根に持たれているらしい。なんか橙子を送ってくれた遠山さんの目も少し遠くを見るようなものだったし、まひるさんに関しては目が座ってた。
「で?話の続きは???」
やがて風呂から上がった橙子が、髪も乾かぬうちに話の続きを促してくる。続く話などないというのに。
「いい加減にしろよ、橙子」
(あっ、やばっ)
少しだけ、イライラしていた。繰り返される質問に、話すことなどないという主張が無視され続け、好き勝手言われて少なからず俺も嫌な気持ちになっていた。
その小さな積み重ねが、言葉に乗った。自分が想像していた倍は、冷たい音が橙子に刺さる。
「なによ、そんな……。だって……!だって、私だって……、」
私だって、なんだよ。やめてくれ。そんな今にも泣き出しそうな顔で見ないでくれ。
無理なものは無理だ。話せないことが俺にもあって、それが仕方ないことだって本当はわかってるくせに。
「……おやすみ」
「あっ、橙子」
何か諦めたように、部屋を後にして自室に戻る橙子。
本当に引き留める気なんてないくせに、伸ばした腕が空虚に振られる。無力感にやるせなさを感じつつ、小さな怒りと大きな寂寥感がわだかまりとなって胸に引っかかる。
(あーもう。何やってんだ俺も)
別に喧嘩がしたいわけでも、橙子を傷つけたいわけでもないというのに。
「起きたら、ちゃんと謝らなきゃだな……ってどわぁ!?と、とうこさん?」
ぴしゃん!と鋭い音が響いて、橙子がリビングに戻ってきた。響いたのは強く閉めた扉の音。俯いたままの橙子は、何かを隠すように腕を後ろに組んでいた。
「ドライヤー」
「え?」
「いいから、きて」
話についていけず扉の前で立ち尽くす俺の腕を取って、橙子は無理やり俺をソファに座らせた。
「ちょ、とうこ?」
「いいから、ドライヤーして」
「へ?ドライヤー?」
俺の膝の間、カーペットの上にペタンと、いわゆる女の子座りをした橙子は、こちらに表情を一切見せることなく、後ろ手に隠していたドライヤーを器用に俺に握らせた。
「いいから黙って乾かして。ちゃんと大事に扱って」
「わ、わかったよ」
戸惑いながらも、橙子に言われた通り髪を乾かしていく。指を通せば、水気を帯びているのにサラサラだとわかる黒髪。
不意に視界に入った耳が真っ赤になっているに気づく。恥ずかしいなら、こんなことしなければいいのに。
(本当はただ、こうしてちょっと甘えたかっただけか)
遊びに誘っても断られて、怪我して帰ってきたら、自分を放って他の人とよろしくやってたなんて分かったら、そりゃ思うところもあるだろう。
本当は今日起きたことを話して、楽しみを共有して、それで終わるはずだった1日。
橙子にとっても、追求は本意でなかったのだろう。だけど胸に抱いた感情が黙っていることを許さなかった。どうしようもなかった。
今ならよくわかる。今日は、特に。
「ありがとな」
「……」
髪をすくのを中断して、頭を撫でる。橙子は聞こえていないふりをしているのか、少し頭を捩ったのを最後に抵抗することはなかった。
橙子と俺も、そんなつもりはなかった。だから今日の喧嘩はこれで終わり。橙子はそう暗に伝えてくれている。
そこからはしばらく無言。テレビはついてるから静寂こそ流れていないが、それでも時の流れはゆっくりに感じた。穏やかで、充足していて。
「次、これ」
髪を乾かし終わって早々、橙子はポケットか何かを取り出したかと思ったら、空いた俺の右手に何かを握らせ、あろうことか俺の膝に頭を乗っけた。
体はソファに預けて、いわゆる膝枕の形だ。
「次って、耳かき?」
「文句あるの?」
「いや、自分で……」
「無理。足痛いもん」
関係ないだろうに、とは続けなかった。そんなこと橙子だって百も承知だろうから。
「痛くしても怒るなよ」
「ひゃっ!ちょ、耳触るのやめて。くすぐったい」
無茶言うな。
「やっぱ耳かきはなしでいいや」
まさにわがままな姫だ。人にやらせておいて、自分の都合でやめさせるとは。
「だったら早く頭どけろ」
「ん〜、やだ」
「は?なんて?」
「だから、やだってば。しばらくこのままだから」
(最初からこれが目的か?)
耳かきなんて最初から求めてなくて、膝枕がしたかっただけ?別に嫌とは言わないが、あまり身じろぐのはやめてほしい。俺だってくすぐったい。
やがて落ち着く場所を見つけたのか、橙子はやがて静かに寝息を立て始めた。まじか。あんなに恥ずかしがってたくせに、一度踏み切ってからの加速は凄まじいな。
態度の切り替えの速さに呆れながらも、優しく頭を撫でてみる。胸に満ちるは、父性とはきっと違うのだろう。俺はきっといまだに、橙子との距離を測りかねているのだろうと気づく。
こうして信頼してくれるのは嬉しい。だけど俺は、本当の意味で橙子のことを信じることができていると言えるだろうか。
いまだ隠した両親との確執。それは橙子がどんな反応を示すか分からないからだ。橙子が俺の言うことを信じず両親の味方をすれば、俺はきっと橙子を拒絶してしまう。
それが、たまらなく、怖い。
そんなはずはないと。そう言いきれないほどに彼女は、両親の愛情を受けて育った。
そんな橙子に、真実を明かすのが正解だとは思えない。知らなくたっていい。知ったところで、いいことなんて一つもない。
だけどどこかで、知ってほしいと思う気持ちもある。俺はきっと、共感してほしいのだろう。あの苦しみを、痛みを肯定してほしいのだ。
(そんなの、許されるわけがない)
その対象に橙子を選ぶなどあってはならないのに、どこまでも自分の矮小な部分に腹が立つ。
(五年だ、五年経ったら俺は)
ぶれぶれの決意は、ふける夜に溶けていく。気づけば俺も心地よい重さに瞼を閉じていた。




