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昨日の君に、さよなら  作者: WW
第7章
25/28

恋する君に、エールを

 文化祭はつつがなく終わりを迎えた。

 雅也は最後の客が飲んだカップを水道で洗い終え、教室に戻る。


「この後どうする?」

「彼女と花火見るわー」

「今年の花火は凄いらしいな」


 あちこちから聞こえてくる賑やかな会話に耳を塞ぎながら、雅也は教室の後ろの棚に食器を置いた。タオルが敷かれているところに順番に置いて、今日の仕事はすべて終了だ。すっかり喫茶店に様変わりしてしまった教室。片付けは日曜を挟んで月曜に行う。今日やるのが普通だろうが、沢見沢高校の文化祭にはこの後があった。

 むしろ青春を謳歌する高校生にとって、ここからが本番と言っても過言ではなかった。


 沢見沢高校の文化祭は市の花火大会と被るように日取りされていて、文化祭が終わって間をあけてから花火が打ち上がるる。その花火を一緒に見た二人は結ばれるというジンクスもあり、多くの生徒が花火を見に行くのだ。学校から見る生徒もいるにはいるが、ほとんどは河原の下流に行く。そこが一番のスポットだ。


 カップル同士で見る者もいれば、好きな人を誘い、花火を見終わった後に告白する者もいる。そのため、文化祭後の最初の月曜日は一年間で最もカップルが多い日だ。サワミ・マジックと言われるその現象の効果は一週間程度。その間にほとんどが別れるというから儚い。


 ホームルームが終わると同時に我先にと生徒たちが教室を後にする。

 花火の開始は一時間後。約三〇分に亘って五〇〇〇発が打ち上がる。時間は短いながら、その分派手なので毎年人気だった。

 戦争に巻き込まれるのを避けるため、雅也はゆっくりと帰る支度を進めた。


「静香、行くか」

「うん」


 席を立って、足音が教室を出て行く。静香を誘っていたのは孝多だった。

 雅也は机に突っ伏して、一向に進まない針を待った。


「おい、東堂。起きろ」


 顔を上げると、メガネをかけた中年の男性が目の前にいた。呆れた表情で嘆息する。


「用がないなら帰れ」

「はい……」


 時計を見ると二〇分ほど経っていた。いつの間にか寝てしまったらしい。もう教室には数人しかいない。どうやら学校で見る者が時間を潰しているだけのようだ。誰もがカップルだった。


 学校を出て駅へ向かう。その途中、屋上に人影が見えた。そちらは閉鎖されているはずの屋上で、そこにいるのが孝多と静香だと分かった。孝多は背が高いのでよく目立つ。

 息を吐いて顔を背けた。関係ない。孝多であれば静香とも釣り合うだろう。少なくとも、自分よりは。


 改札を抜けて電車に乗り込んだ。多くの人が出て行ったせいで車内はすっからかんだった。座席の一番端に腰掛けて、電車に揺られる。鞄が震えて、スマホを取り出すと画面に紗理那の名前が表示されていた。車内には人が少ないものの、電話に出るのは躊躇われた。それに気が進まない。あの一件以来、紗理那とは一言も会話していない。


 電車を降りて改札を抜け、ようやく自宅についた。もうすぐ花火が打ち上がる時間だった。家にはまだ誰も帰って来ていなかった。自室のベッドに倒れ込むようにして仰向けになる。スマホを見ると、母親から残業で遅くなる旨のメッセージが来ていた。父親はいつも遅いので気にしない。


 LINEのトークに『133』と書かれていて、雅也は顔を顰めた。一三三回も電話、もしくはメッセージが送られてきているということだ。それはすべて同じ人物からで、辿るのも面倒でスマホを投げ捨てた。その途端、スマホが震え始めた。

 雅也は嘆息して通話に指をスライドさせた。


「もしも――」

『先輩! シカトとか酷くないですか?』


 音量を小さくしているはずなのに大声が響いて、思わずスマホを投げ捨てた。耳を押さえて、苦しみにあえぎながらも反対の耳に当てる。


「大声やめて……耳が潰れるだろ」

『紗理那の電話に出ない耳なんて要らないです』

「今出てるでしょ……」

『あ、確かに! さすが先輩! 自衛には抜かりないですね』


 昨日の今日のようなものなので、その言葉にずきりと胸が痛んだ。


「わざとやってる?」

『はて、何のことでしょう。耳の保険は入ってますか? 最悪、紗理那が責任を取って先輩の耳と結婚しますから安心してください』

「馬鹿なの?」

『あ、耳だけでいいんで、先輩本体は要らないです。もう飽きたので』

「すごいメンタルだなお前……」

『ありがとうございます。ってか、それどころじゃないんですよ。今、どこにいます?』

「家だけど」


 盛大に深いため息が電話越しに聞こえた。


『え、もしかして馬鹿なんですか?』

「あー、もしかして一緒に見ようとしてた? ごめん」

『勘違い野郎も大概にしてもらっていいですか? 何で紗理那が先輩と見なきゃ行けないんですか? 過去の男にいつまでも彼氏面されるの超迷惑なんですけど』

「っ……ご、ごめん」


 恥ずかしさで死んでしまいそうだった。思い上がりも甚だしい。


『なーんて、嘘ですよ? 最高の後輩こと紗理那ちゃんは先輩に甘々なのです。先輩がどうしてもと頭を地面に擦りつけるなら、一緒に見てあげてもいいですよ。はーと』


 どこが甘々なのだろうと思わなくもないが、一向に話が進まないので突っ込むのをやめた。


「それで、何の用?」

『あ、そうでした。ついついアイスブレイクに熱中してしまいました』

「最近覚えたんだね」

『えへへ、バレましたか。って、まだアイスブレイク続けます? 紗理那的には結構切羽詰まってるので、前戯はこれくらいにしたいのです』

「本題どうぞ」

『あ、ここはちょっと立ち入り禁止ですごめんなさい』

「え、何?」

『おっと、今ちょっと交通整理してるんですよ』

「交通整理中に前戯とか言うなよ……」

『整理は生理とかけてます。失敗すると真っ赤っかだぜ』

「切るぞ」

『あああああ、ごめんなさいごめんなさい。この間のことがあるので、ちょっと照れくさくてですね』


 その言葉に雅也は身体の力が抜けた。まさか、あざとさナンバーワンの紗理那でさえ照れることがあるとは思いもしなかった。


「この前はありがとう。少し目が覚め……」

『そうですそれ! え、今、目が覚めたとか言いました? あー、これはもう末期ですね。助かりませんご臨終です。しかし、スーパードクターこと魔法少女紗理那ちゃんが奇跡を起こしてあげましょう』

「もうお腹いっぱいかな」

『…………何か私だけはしゃいでるみたいで恥ずかしいです……これじゃまるで私が先輩のこと好きみたいじゃないですか』

「お断りします」

『…………本題に入りますが、どうして静香先輩と一緒に花火を見に行ってないんですか?』

「どうしてって言われても……付き合ってないし」

『はあ。これだからゴミ虫は』

「え? 今なんて?」

『あああ、えっとこれだからヘタレ先輩はーもうっ。いいですか? 女の子はいつだって、連れ出してくれる王子様を待ってるんですよ』

「へえー。紗理那って以外と可愛いところあるんだね」

『は、はあ? さ、紗理那はいつだって超絶可愛いですけどね』


 案外扱い易い後輩だと思っていると、紗理那の声色が一段下がった。


『静香先輩はまだ先輩のことが好きですよ。それに先輩も紗理那先輩のことが好きです。大好きです。さすがに私には負けますが、まあ、先輩なら認めてあげてもいいですよ』

「何だよ、それ」


 妙に説得力のある言葉だった。まるでその様を見てきたような、確信めいたものがあるようだった。


『紗理那ちゃんは最高の後輩ですからね。先輩の机の一番下の引き出しの奥を見てください』

「え? ちょっと待てそこは――」

『安心してください。いかがわしいDVDは全部燃えるゴミに出しておきましたよ豚野郎』


 そこで電話は切れた。最悪の終わり方に雅也は頭を抱えて悶絶する。終わった。高校生活が終わった。

 失意のままに言われた通りに引き出しを開ける。驚くべきことに、すべて綺麗さっぱりなくなっていた。どうやら本当に捨てたらしい。涙が出そうになりながらも全部出して奥を覗く。そこには一冊のノートとペンギンのキーホルダーがあった。


 表紙には何も書かれていない。

 とりあえず一枚捲ると、運動会の日のことが書かれていた。静香との賭けの内容、結果、静香からの告白、そして付き合ったこと。もう一枚捲ると、補習の日にお昼ご飯を食べたこと。水族館の約束をしたこと。キスしたこと。プールに行ったこと。その帰りに別れたこと。すべての出来事が詳細に書かれ、まるで小説のようだった。一人称で書いてあるせいか、文面から気持ちが痛いほどに伝わってくる。捲っていくと、ところどころがふやけているページがあった。


『静香と別れた。きっと僕がこの日記を読むことはもうないだろう。だから、今の想いを全部書き込んで終わろうと思う。どうせ明日には忘れてるだろうけど。もし、奇跡的に覚えていたら、今度は僕の方から告白したいな。


 静香は本当に僕のことを好きでいてくれたんだと思う。日記の前の方を見れば分かるけど、彼女はいつだって魅力的だった。特に水族館でキスするタイミングを窺ってたところなんて最高だと思わないか? そのことを覚えていないのが残念でならない。


 今日、静香に勘違いさせてしまい、不安にさせてしまった。僕はもっと静香のことを気にかけるべきだったのだろう。僕は慢心していたのかも知れない。静香とは恋人で、静香は僕のことが好きだという前提で考えていた。僕には彼女との思い出がないけれど、彼女にはある。その差を埋めたくて、日記を隅から隅まで見て、できる限り昨日の自分を再現しようと頑張ったんだ。


 でも、そのせいで僕は静香の気持ちが見えていなかったのかも知れない。どれだけ昨日と同じように振る舞っても、僕にとって彼女は初対面のようになってしまう。それを実感するのは彼女なんだ。僕から思い出が失われていると見せつけられるのは彼女なんだ。

 ないものを信じろなんて、そんなの不安に決まってる。そのことを僕は分かっていなかった。僕は彼女を不安にさせないために振る舞うべきだった。それは昨日と同じ自分を演じるよりも大切なことだった。


 今さら何を言っても、もう遅い。

 本当に遅い。


 静香の泣き顔が鮮明に浮かんでくる。胸が苦しくて、目頭が熱くなる。彼女にあんな顔をさせて、あんな思いをさせてしまったことが悔しい。僕じゃ駄目だった。僕は失敗した。静香を笑顔でいさせることができなかった。もう嫌だ。どうして僕は忘れてしまうんだ。大切な記憶なのに。忘れたくないのに。もうこんな気持ちを味わうのはごめんだ。


 最後、静香は期待してくれていたのだろうか。

 あのとき、抱き締めることができていたなら、僕たちの関係は続いていたのだろうか。

 抱き締めたかった。彼女の温度が恋しい。強く強く抱き締めて、一生離したくなかった。


 でも、僕はこんな風に思ったことだって忘れてしまうんだ。何もなくなってしまう。積み重ならない人生に一体どれだけの価値があるのだろう。僕には一生、好きな人の記憶がないのだ。誰かを愛した記憶も。誰かに愛された記憶も。それが全部なくなってしまうのなら、最初からなかったのと同じだ。それなら最初からない方がいい。そうすれば誰も悲しませることはない。何も心配することはない。


 だから、もし今この日記を僕が見ているのだとしたら、絶対に誰のことも好きになっちゃ駄目だし、誰かの告白を受けてもいけない。思わせぶりな態度もしちゃ駄目だ。何も求めるな。僕はそんなことが許される人間じゃない。特に、静香には絶対に関わるな』


 そしてその最後に、汚い字で殴り書きがあった。


『忘れたくない』


 雅也はそれを指でなぞって、ため込んでいた息を吐き出した。ノートが濡れていくのを止められない。拭っても拭っても溢れてくる。


「何だよこれ、大好きじゃんか。何忘れてんだよ……」


 声を上げて泣いた。幸い家には誰もいない。

 ノートを落としてしまい、それを拾い上げる。先ほどの一文が最後だと思っていたが、落とした拍子に捲られたページには何か書かれていた。

 それは自分の字ではない。


『今度は、先輩から告白してくださいね』


 その下に花丸が描かれていて、中心に『静香先輩への想い』とあった。


「何でお前が読んで評価してんだよ……」


 思わず笑ってしまう。おそらくは毎日家に来ていたときだろう。隙を狙って部屋の中を物色し、このノートを見つけたのだ。


「見つかるようなところに隠すなよ」


 裏を返せば、この日記を最後に書いた雅也は、忘れた後の自分に読んで欲しかったのかもしれない。雅也自身、自分の性格はよく分かっていた。それ以上に、可愛い後輩が涙ながら叫んでくれたから痛いほど知っている。


 期待していたのだ。くじけてしまった自分ではなくて、明日の自分に。まだ痛みを知らない自分に。もう一度、彼女とともに歩きたくて。そうでなければ、これほどまでに静香への気持ちが伝わるものを残すわけがない。


 馬鹿だと思った。なら、ちゃんと机の上に出しておけ。分かり難いんだよ、馬鹿。

 けれど、もう何もかもが本当に遅い。もう花火は終わったはずだ。二人は抱き合ってキスして、その後まで進展してしまっているかもしれない。卑しい想像だ。自分が嫌になる。


 ベッドに身体を投げ出して、ゆっくりと息を吐いた。胸が苦しい。心が痛い。どうしようもない感情が、熱が、胸の辺りで暴れ回っている。もどかしい。いっそ寝てしまおう。寝れば忘れる。


『忘れたくない』


 その文字が頭をちらつく。

 忘れる前に可愛い後輩に礼くらい言っておこうと、スマホを開く。すると、紗理那から三〇分ほど前にメッセージが来ていた。電話も来ている。まったく気がつかなかった。


『終わりの場所で奇跡が起きる』


 奇跡って何だよ。笑っていたのも束の間、最新のメッセージを見てハッとする。


『機材トラブルで三〇分遅延! 走れ!』


 雅也はスマホを投げ捨てて、一目散に駆け出した。部屋を出てすぐに向かいの壁に肩をぶつけるが気にしない。


「お前、本当に最高の後輩だよ」


 遠くから地響きのような音が一発、盛大に轟いた。

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