昨日の君に、さよなら 1
甲高い音が天に向かって駆け上っていく。次の瞬間、光が飛び散って、空に花が咲いた。様々な色の花が咲き、夜空を彩り始める。
機材トラブルで三〇分遅延したけれど、無事に花火大会が始まった。
学校の屋上から見る花火は少し新鮮だった。昨年は女子バスケ部の面々で河原の下流の方へ行った。今年は二人で見たいと思っていた。けれど、まさか孝多と見ることになるとは、静香は夢にも思わなかった。同じバスケ部の部長で、同じクラス。仲のいい友達。そんな風にしか思っていなかったから、告白されたときにはとても驚いた。
「綺麗だな」
「うん。綺麗」
次々に花火が上がっていく。その様は確かに綺麗だった。けれど、何かが足りない気がした。その何かが分からず、胸の中のわだかまりが気になった。
「静香――」
「ん? 何?」
横を向くと、孝多の顔がすぐそこにあった。唇が近づく。キスしようとしているのだ。静香は目を瞑――ろうとして、気づけば孝多の身体を押し止めていた。
「静香? どうした?」
静香は自分でも何をしているのか分からなかった。孝多とキスするのは初めてではない。告白されたその日にした。嬉しかった。失恋した直後だったから、彼の優しさは沁み渡った。
孝多がもう一度試みるものの、静香はやはり応じることができなかった。
「ごめん、孝多。あれ、おかしいな」
突然、目から涙がこぼれ落ちた。何も悲しくないのに。拭っても拭っても、溢れてくる。
孝多の瞳に不信が宿るのを静香は感じた。
――違う。違うの。
そう声に出そうとして、出なかった。
孝多は静香から離れ、花火を見上げた。静かにその口が開く。
「静香さ、気づいてたか? 俺と付き合った後も自分が東堂のこと見てたの」
――見てない。
声は出ない。
「いつも東堂のこと気にしてた。おかしいよな。付き合ってるのは俺なのに」
――そうじゃない。
音にならない。
「隠してたつもりだったか? バレバレだったぜ? それでも、そのうち俺のことだけを見ると思ってた」
花火が瞬いた。その光が孝多の顔を照らし出す。
静香はその表情見て、息を呑んだ。頬を滴が落ちていく。孝多は音を漏らさず、静かに涙を流していた。
「だって、俺の方がカッコいいし、俺の方が頭いいし、俺の方が運動神経もいい。クラスでも人気な方だし、負けてるとこなんて一つもない。けど……駄目だったんだな。負けたんだな」
――そんなこと。
言葉は出なかった。
「あっはは、俺すっげーナルシストだな」
静香は首を振った。孝多の言ったことは全部正しいと思った。きっと、雅也が勝っているところなんてどこにもない。
けれど、だからこそ。静香は自信を持って言えてしまう。何が優れているとか、どれが勝っているとか。そういったつまらない視点に惑わされることなく、言えてしまうのだ。
「ごめん、孝多……」
「おう」
「私、雅也くんのことが好きだ……」
「ばーか、知ってるっての」
「うん。……ありがとう」
「いいから、早く行けよ。今行けばまだ、間に合うかも知れない」
強く頷いて、静香は走り出した。
屋上の扉を開けて中に入ると、すぐ横に紗理那がいて驚いた。ツインテールの印象が強すぎて、未だにその髪型に慣れない。ここにいる理由など色々と聞きたいことはあったが、今はそれどころではない。後にしようと階段を下り始める。
「静香先輩」
呼び止められてしまい、反射的に足が止まった。
「ごめん、今急いで――」
「静香先輩のことが大好きです」
「知ってる。ごめん、今は――」
紗理那は笑っていた。ほの暗いせいか、その表情はどこか悲しげに見えた。
「お膳立てはしておきました。ですが、静香先輩は一度失敗しています。なので、並大抵の想いでは行くだけ無駄です。お二人を一番長く見てきた私としては大変心苦しいのですが、試させてください。既に先輩には指定の場所に向かって貰いました。一緒に花火を見れるかどうかは、静香先輩次第です」
妙に真実味を帯びていて、静香はその話を切り捨てることができなかった。
「どこなの?」
「ノーヒントで…………ってのはいじわるすぎますね。静香先輩に嫌われたくはありません。なので、超特別ヒントです。二人の関係を再び始めるのなら、始まった場所が一番相応しいと思いませんか?」
静香は思考を巡らせ、はたと思い至る。
「ありがとう! 私も大好きだよ、紗理那」
*
「ありがとう! 私も大好きだよ、紗理那」
その言葉に思わず笑みが漏れた。本当に欲しい言葉じゃない。けれど、それは一生貰えないものだから。これで我慢するしかない。
静香の姿が見えなくなってから、紗理那は屋上へ出た。独り花火を見上げる孝多の横に立って、盛大なため息を漏らした。
「何やってるんです? 独りで」
「お前こそ、何やってんだ?」
平気そうな顔で孝多は笑う。けれど、花火の光を浴びる度に、赤くなった目元が照らし出される。紗理那はそれを見なかったことにした。
「ぼっちじゃ可哀想かなと思いまして。可愛い後輩ちゃんが慰めに来てあげましたよ」
「なんだ、有明も振られたのか?」
「んー、少し違いますね。私の場合、告白しても悪ふざけだと思われて、まともに取り合って貰えないんです」
それを聞いて、孝多は声を上げて笑った。
「確かに。有明はなんというか、妹みたいな感じだもんな。東堂もそんな感じに思ってたんだろうぜ」
紗理那は満面の笑みを作って、孝多の腿に飛び膝蹴りを叩き込んだ。
「いってええ」
「そんなニブチンだから振られるんですよ、孝多先輩」
向かい側の屋上のドアが勢いよく開かれた。花火を見上げているカップルたちが一斉にそちらを向く。静香はそんな周囲の様子など気にした素振りもなく、辺りを見回していた。途中で、紗理那は目が合った。
紗理那は頭の上で大きくバッテンを作った。
「そこは一回目に静香先輩が振られた場所じゃないですか……。もっと分かりやすいヒントにした方がよかったですかね……」
*
紗理那のバッテンを見て、静香は思わず舌を打った。すぐに引き返して、階段を駆け下りる。
あの屋上で告白してからすべてが始まったはずだった。しかし、そこではなかった。
紗理那が嘘を吐いている。その可能性はないと静香は自信を持って言えた。一癖も二癖もある後輩だが、こういうところで笑えない嘘を吐くような子ではない。それはずっと面倒を見てきたから知っている。
だから、彼女は本当に試しているのだ。静香が雅也に相応しいかどうか。
走りながら考える。もう学校に用はない。ここに彼との始まりはない。昇降口を出て、校門へ走る。だが、ここを出てからの行き先が分からない。
遊園地?
水族館?
プール?
最も可能性があるのは遊園地だ。だが、そこで何かが始まったかと言えば、そんなことはない。他も同じだ。そもそも、そのどれであったとしても、今からでは花火が終わる時間までに間に合わない。あと一〇分もないだろう。
逆に言えば、一〇分程度で着ける場所という解釈もできる。
強いて言うなら河原だが、あそこは終わった場所だ。紗理那のヒントにはそぐわない。
考えても答えは出ない。もう一度、紗理那のヒントを思い出す。
『ノーヒントで…………ってのはいじわるすぎますね。静香先輩に嫌われたくはありません。なので、超特別ヒントです。二人の関係を再び始めるのなら、始まった場所が一番相応しいと思いませんか?』
ここには何もない。藁にも縋る思いで、それより前にヒントがなかったか思い返す。
『お膳立てはしておきました。ですが、静香先輩は一度失敗しています。なので、並大抵の想いでは行くだけ無駄です。お二人を一番長く見てきた私としては大変心苦しいのですが、試させてください。既に先輩には指定の場所に向かって貰いました。一緒に花火を見れるかどうかは、静香先輩次第です』
お膳立て。失敗。強い想い。そこでハッとした。
『お二人を一番長く見てきた私としては』
紗理那は真面目なことを言うとき、一人称が『私』になるということを静香は思い出した。それに『一番長く』という表現。普通に考えれば、一番長く見てきたのは京子だろう。振られたときから知っているのだから、間違いなく彼女だ。
しかし、二人の関係の始まりは、何も静香が告白した時点からというわけではない。例えば、一目惚れした瞬間から、二人の関係は始まっていると言えるのではないだろうか。
もしそうなら。紗理那の言葉は正しい。それですべてが繋がる。
走りながら、笑みが漏れた。
「やっぱり、一筋縄じゃいかないなあ」
校門を出て、そのまま橋を渡る。この川の下流では今頃、大勢がフィナーレに向けて気持ちが高ぶっていることだろう。そちらに行けば、きっと綺麗な花火が近くで見られる。だが、静香は渡り終えてすぐに上流へ走った。橋の辺りはまだ人がいたが、そこを過ぎるともう人気はない。走って走って、ようやく辿り着いた。
そこは。
静香が雅也に振られた場所。
そして――
静香が雅也を好きになった場所。
背後で盛大な花火が打ち上がる。フィナーレだ。周囲を見回しても、誰もいない。人の気配もない。違った。静香は肩で息をしながら落胆した。
乱れ咲く夜空の花々を独りで見上げる。
ここは二年の初めに市の清掃活動が行われた場所だ。美化委員である静香と紗理那は一緒にゴミ拾いをしていた。早くも音を上げて大きな石に腰を下ろす紗理那。彼女を応援しながらゴミを拾っていると、休まずゴミ拾いをする生徒がいることに気づいた。
彼は淡々とゴミを拾い続けた。市の係員が彼に休んでいいと話しかけると、彼は笑顔で「大丈夫です」と答えて、作業に勤しんだ。そんな風に一生懸命に拾っているのは彼だけだった。
みんな思っていた。清掃してもすぐに汚れるのだから無駄だと。こんなところ誰も気にしないと。それでも彼は拾い続けた。
別にカッコいいわけではなかった。顔が好みなわけでもない。
その直向きさをいいなと思った。ただそれだけ。すごいエピソードなんてない。運命でもなく、一目惚れでもなく。ただ彼を好ましいと思った。
不思議だった。それから彼のことが少しずつ気になり始めた。美化委員の仕事の度に話しかけたが、うまくいかない。次は何て話しかけよう。どうしたら仲良くしてくれるだろうか。日に日に想いは積み重なって、いつしか。
彼のことが好きなのだと気づいた。
だから、思い切って彼に告白したのだ。
涙が零れた。
今年は独りだった。
想いは届かなかった。
花が散って、夜空に闇が戻る。白い煙が空を漂い、それが虚しく映った。
もう我慢できなかった。泣き叫ぼうと息を吸い込む。その音に混じって、草を踏む音がした。
誰か来た。静香は慌てて息を止めて、叫び声を押さえつけた。同時にそちらへ顔を向ける。夜闇に独り。それは身の危険を感じるのに十分なシチュエーションだった。
その姿を見て、間抜けな声が漏れた。恥ずかしいと思う暇もなく、涙で視界が滲む。
「遅いよ、ばか」




