理由の確認
翌朝、私は管理室の机に並べた書類を見て、少しだけ嫌な予感を覚えていた。
昨日の初回確認で表示された通知。
『停止申請の未登録項目:参照可能』
たった一行の通知だったが、あれから頭の片隅にずっと残っている。
参照可能。
つまり、見られるようになったということだ。
しかし、何を、誰が、どのような条件で見られるようにしたのかは分からない。
普通の職場なら、共有フォルダにファイルが一つ増えただけで済む話かもしれない。
ここは八百年前の管理者が残した権限体系が、今も動いている施設だ。
不用意に開けば、単なる閲覧のつもりが何かの処理を開始する可能性もある。
私は書類の一番上に置いた確認手順書を指で押さえた。
「ゴトーさん、また書類を増やしましたね」
ミレイが入ってきて、机の上を見た。
「増やしたというより、昨日の通知に対応するために必要なものを並べたんだ」
「結果として増えています」
「仕事というのは、そういうものだ」
「便利な言い方ですね」
便利だから使っている。
そのとき、廊下から足音が聞こえた。
マルタ・エインズ監査官だった。
彼女は挨拶を済ませると、椅子に座る前に机の書類へ目を通した。
「昨日の通知について、王国管理局の記録保管部門にも照会しました」
「何か分かりましたか」
「少なくとも、通知が表示されたことと、未登録項目の閲覧が許可されたことは、同じ意味ではありません」
私は椅子に座り直した。
「どういうことです?」
「参照可能という表示は、対象データへの参照経路が存在することを示している可能性があります。しかし、閲覧権限の範囲や、閲覧後に発生する処理については、別途確認が必要です」
「つまり、扉があると表示されただけで、通っていいとは限らない」
「その理解で結構です」
ミレイが小さく息を吐いた。
「また扉ですか」
「この施設は扉の管理に熱心なんだ」
「扉だけでなく、鍵と鍵の記録にも熱心ですね」
私は反論しなかった。
マルタは資料を一枚取り出した。
「今回、確認すべき点は三つです」
彼女は紙に順番を書いた。
一つ目。未登録項目が、誰の操作によって参照可能になったのか。
二つ目。参照可能になった項目は、停止申請のどの部分に属するのか。
三つ目。閲覧によって、勤務状態の確定や例外処理の再審査が自動的に開始されないことを確認できるか。
「三つ目が特に重要です」とマルタは言った。「以前の記録では、対象者の勤務状態が確定した場合、例外処理の再審査を開始するとありました」
「勤務状態を確定しないまま、停止申請の記録だけを確認できるか、ということですね」
「そうです。もし閲覧と同時に勤務状態の確認が始まる仕組みなら、今回の調査範囲を超えます」
私はうなずいた。
「では、まず参照経路と権限の確認から。閲覧そのものは、その後に判断しましょう」
「賛成です」
マルタは即答した。
私は少しだけ安心した。
彼女は監査官として、こちらが急いでいるからといって手順を省略しない。
その姿勢は、今の私にとってありがたかった。
*
午前中、レオンとセシリアも加わり、管理室の端末で参照経路の確認を始めた。
レオンは権限変更の記録を担当し、セシリアは魔力系統に予期しない変化がないかを確認する。
ミレイは表示内容を記録し、私は全体の作業範囲を管理する。
マルタは独立確認者として、確認手順が適切かを判断する。
「まず、通知が出た時刻の前後を確認します」
レオンが端末を操作した。
「昨日の会議中、通知表示の直前に、管理者権限による操作は記録されていません」
「自動処理の記録は?」
「あります。ただし、通常の定期確認とは異なる分類です」
「内容は?」
「分類名は、申請記録の参照状態確認。実行者の欄は空白です」
私は画面を見た。
「また空白か」
「はい。承認者もありません。ただし、処理そのものが存在しないわけではありません」
空白は、何もなかったという意味ではない。
それはもう、何度も学んだ。
「その処理が、未登録項目を参照可能にしたと断定できますか」
「できません。通知と同じ時刻に実行されていますが、処理対象との対応関係が記録されていません」
「では、同時刻に起きた別の処理である可能性もある」
「そのとおりです」
ミレイが記録用紙に書き込んだ。
私はその横に、確認済みと未確認を分ける線を引いた。
確認済み。
・通知表示の直前に管理者による操作はない。
・同時刻に参照状態確認という自動処理がある。
・実行者と承認者は記録されていない。
未確認。
・自動処理と通知の因果関係。
・参照可能になった項目の範囲。
・閲覧後に発生する処理。
「ここまでは、問題ありません」
マルタが言った。
「次に、参照対象の分類を確認します」
レオンが画面を切り替えた。
表示されたのは、停止申請に関する記録の一覧だった。
その中に、見慣れない項目があった。
『申請者本人による停止申請の補足確認』
私は思わず画面に身を乗り出した。
「本人による?」
「そう読めますね」
マルタは慎重に言葉を選んだ。
「ただし、本人が直接操作したという意味なのか、本人の権限に紐づいた記録という意味なのかは、まだ分かりません」
「エドガーが追加した記録かもしれない、ということですか」
「可能性はあります。しかし、記録の作成者欄を確認しない限り、そう判断することはできません」
エドガー。
その名前が出た途端、胸の奥がわずかに動いた。
本人による補足確認。
もし本当にエドガーが残したものなら、八百年前の彼が何を伝えようとしたのか、その一端が分かるかもしれない。
だが、画面の文字はまだ何も語っていない。
私は机の下で、握りかけていた手を開いた。
「閲覧の前に、記録の作成者と作成時刻を確認しましょう」
マルタが私を見た。
「今、少し急ぎましたね」
「……そう見えましたか」
「ええ」
彼女は責めるような口調ではなかった。
「気持ちは分かります。ただ、ここで急いでしまうと、記録がエドガーさんのものだと期待した状態で読み始めることになります」
「そうですね」
「期待すること自体は問題ではありません。期待を確認結果に混ぜないことが大切です」
私はうなずいた。
その言葉を、昨日も聞いた気がする。
どうやら私は、同じ注意を何度も受けなければ身につかない種類の人間らしい。
*
昼を少し過ぎた頃、レオンが追加の記録を見つけた。
「作成者の識別情報はありません。ただし、参照対象に紐づく権限情報が残っています」
「どんなものです?」
「管理者補佐権限です。所有者はエドガー・ヴァレン。ですが、作成者欄が空白なので、エドガー本人が作成したとは言えません」
「権限が使われた形跡は?」
「あります。参照対象の登録時に、管理者補佐権限が有効だったことは確認できます。ただし、実際に誰が操作したかは分かりません」
私は画面を見つめた。
エドガーの権限が使われた。
それは事実だ。
しかし、エドガー本人が使ったとは限らない。
権限を使える人間がいたのかもしれないし、自動処理が権限を参照しただけかもしれない。
あるいは、権限そのものが別の目的で利用されていた可能性もある。
どれも、今の段階では推測にすぎない。
「作成時刻は?」
「記録がありません。ただし、参照対象の登録番号は、停止申請が保留になった記録より後の番号です」
「登録番号の順番が、時間順である保証は?」
「ありません」
「分かりました。時間の前後関係は未確認にしておきましょう」
ミレイが記録をまとめる。
そのとき、セシリアが端末から顔を上げた。
「一つ、確認しておきたいことがあります」
「どうしました?」
「この参照対象に関連する魔力反応は、現在の冷却系統から確認できません」
「それは安全という意味ですか」
「いいえ。現在の観測範囲では、関連する反応を確認できないという意味です。記録が古いこともありますし、魔力を使わない情報処理である可能性もあります」
「つまり、技術的な危険がないとは言えない」
「はい。閲覧による影響がないと判断する材料にはなりません」
セシリアの言葉を聞き、私はまた一つ書類を増やした。
閲覧時の影響については、まだ確認が必要。
今日の成果は、どうやら書類の追加らしい。
*
午後、マルタはここまでの結果を整理した。
「現時点では、未登録項目の存在と、エドガー・ヴァレンの管理者補佐権限との関連は確認できました。しかし、本人が作成した記録かどうか、誰が参照可能にしたのか、閲覧によって何が起きるのかは不明です」
「閲覧を許可するには、まだ足りませんか」
「足りません」
はっきりした答えだった。
「ただし、確認すべき範囲は絞れました。王国管理局に対して、参照対象の登録規則と、管理者補佐権限が使われた際の処理条件を照会します。加えて、閲覧が勤務状態の確定や例外処理の再審査を開始しないことを、別の記録で確認する必要があります」
「分かりました。回答が来るまでは、未登録項目には触れない」
「それが適切です」
私は端末を閉じた。
画面には、まだあの項目が残っている。
『申請者本人による停止申請の補足確認』
本人による。
その言葉が、どうしても気になった。
エドガーは何かを残したのだろうか。
あるいは、誰かがエドガーの権限を使って、彼の名前に紐づく記録を残したのだろうか。
私は答えを知らない。
知りたいと思っている。
その気持ちだけは、もう隠しようがなかった。
「ゴトーさん」
ミレイが声をかけた。
「今日はここまでにしましょう。皆さん、かなり集中していましたから」
「そうだな。ガルドにも現場の安全確認を終えたら戻るよう伝えてくれ」
「分かりました」
マルタは資料をまとめながら言った。
「ゴトー管理者。今日、あなたが閲覧を急がなかったことは、記録に残しておきます」
「そんなことまで記録するんですか」
「判断の経緯も監査対象ですから」
「便利な仕事ですね。人が迷ったことまで書類になる」
「迷ったことを隠さず、どう判断したかを残せるのは、悪いことではありません」
私は返事をしなかった。
そのとおりだと思ったからだ。
エドガーの記録には、空白が多すぎる。
誰が決めたのか。
なぜ決めたのか。
いつ決めたのか。
そして、なぜ最後まで処理されなかったのか。
その空白を、私の想像で埋めるわけにはいかない。
だが、空白を空白のままにしておくことも、調査を諦める理由にはならない。
帰り際、端末に一度だけ通知が表示された。
『確認作業の進行を確認しました』
それだけだった。
操作記録には、新たな変更はない。
私は通知を保存した。
誰が確認しているのかは分からない。
エドガーなのか。
施設の自動処理なのか。
それとも、別の誰かなのか。
ただ一つ、分かったことがある。
こちらが調べている間、向こうもまた、こちらの動きを見ている可能性がある。
それがエドガーなら、伝えたい。
まだ君の勤務状態を決めるつもりはない。
君の報酬を勝手に処理するつもりもない。
そして、君が止めようとしたものを、確認せずに進めるつもりもない。
だが、画面に向かってそんなことを言っても、返事はなかった。
私は端末の電源を落とした。
明日は、王国管理局からの回答を待つ。
八百年前の同僚に会うための準備としては、ずいぶん地味な一日だった。
しかし、今のところ、それが一番まともな進め方だった。
おっさんの処世術
気になる記録ほど、作成者と作成時刻を先に確認する。
名前が紐づいていることと、本人が操作したことは別問題。
答えを急ぐときほど、確認すべき項目を紙に書き出す。
誰かを助けたい気持ちは、手順を省略する理由にはならない。
空白の記録は、想像で埋めず、調査する理由として残しておく。




