エピローグ
翌朝、午前七時四十五分。この時間、主に運動部は自らの技能の向上のために朝練に励んでいる。
正規の部活でない『八百万探偵部』もまた、朝から自主営業中であった。
とはいえ、こんな時間から依頼人が来るはずもない。それは重々承知だ。それでも慎と文が朝から足しげく部室(空き教室)へ通ってしまうのは、それが普段の生活で染みついた習性ともいうべきものだからだ。
今朝、普段と違うことを挙げるとするなら、訪問者があったことだ。
『昨日のお礼です。お二人で食べてください』
数分前、円は八百万探偵部の教室を訪れて、自分で作ったらしいクッキーを置いていった。
――円はあの後、大会を棄権し、補欠と交代する決心をした。
『今回は大会に出られなくて残念ですけど、次は絶対にレギュラーになって見せます。そのときは是非試合を見に来てください』
円はそう言い残し、教室から出て行った。
「……天音さん、足が治ったらまたメンバーに選ばれるといいな」
慎は呟やき、賛同を求めようとして読書少女に目をやる。すると文は、かすかに頷いた。
そんなやりとりから数分、慎と文は特にもやることもなく、ただただ暇を持て余していた。
「あー、眠ぃ。早くも家に帰りたくなってきた……。つーか文、お前、そんなに本ばっか読んでよく飽きないな」
「…………」
文は、黙りこくって読書に徹する。
「……やっぱり無視か……。ま、どーでもいーけどさ」
慎は机に突っ伏し、睡眠姿勢に入る。
目を閉じ、睡魔の訪れを待っていると、かすかに声が聞こえてきた。
「……慎……」
「んー? なんか言ったか?」
慎は顔を上げる。
「……どうして、わかったの……?」
「あー、昨日のことか。そういえば何も説明してなかったな」
慎は「面倒くせぇ」と嘆息してから、語り出した。
「俺は始めに、天音さんに対して嫉妬の念を抱いてる奴を見つけるために部活を見学しに行った。だが、天音さんのことを妬んでる奴は見当たらなかったんだ。それでどういうことかと考えてたときに、お前がその〈文字の支配者〉の能力で、脅迫状に『悪意を感じない』と言ったわけだ。犯人は、別に天音さんに嫉妬しているわけじゃないんだとそこで気づいたよ」
〈文字の支配者〉。
それが琴羽文の能力だ。
簡単に言えば、手書きの文字を見ただけで、その文字を書いた人物の想いを感じ取れる力。
「――そんで自分の思考に迷走してたとき、天音さんの異変に気づいた。で、試合の後に足のことについて訊きに行ったんだ。あのとき、天音さんは『なんでもない』っつってたが、俺の目は誤魔化せない。彼女は足の怪我についてちゃんと自白してくれたよ。頭の中でな」
「……でも……」
私には天音さんの足の異変はわからなかった。
その文の思考すらも、慎は読み取る。
「そりゃそうだ。あのときの『天音さんの動きが極端に悪くなっているように見えた』ってのは嘘だからな。そもそも、俺から見てわかるくらい天音さんの動きが劣化してるとしたら、あの部の監督は何やってるんだってなるだろ。俺の能力でちょっと天音さんの思考を読んだんだ。……天音さん、怪我を悟られないように相当無理してたんだろうな。それだけ試合に出られることになって嬉しかったってことか。――ってことで、あの言葉は、俺の能力をできるだけ隠しておくためにテキトーに言っただけだ」
それは慎の〈思考の読者〉の能力の賜だった。
〈思考の読者〉と〈文字の支配者〉。何を隠そう、この二つの能力をいかにして他人のために役立てるか。そう考えた結果にできたのが『八百万探偵部』であった。……なお、この中二病ネーミングはどちらも慎がつけたものである。
「天音さんの怪我が犯人の動機に関係してることには、そこで大体気づいた。もし怪我のことを知ってる人がいたとして、怪我人があんなに動き回ってたら、普通は止めようとするしな。……もっとも、今回は止め方が過剰だったわけだ」
つっても、その時点ではまだ犯人はわかってなかったけどな、と慎は付け足す。
「その後あの人形が見つかっただろ? お前は言った。人形の――いや、人形に書かれた『呪』の字に込められている想いは『謝罪の念』だって。そのとき思い出したんだ」
そこで一息つく。慎は、円が持ってきたクッキーを一枚口に放り込む。
「――ん、このクッキーうめーな。……まあ、それはともかく……」
仕切り直す。
「最初に神葉さんに会ったとき、ちょっと違和感があったんだ。神葉さん、天音さんに対して謝ってたんだよ。――あ、もちろん頭の中でな……。あのときはなんでそんなこと考えてるんかわからなかったが、人形の話でピンときた。で、そっから後は芋づる式だ。証拠はなかったけど、その辺は話してく内になんとかなるだろと思ってな。――以上が昨日の事件の顛末さ」
コクリ、と文は言葉もなしに頷く。
「まったく、お前が脅迫状や人形に『悪意を感じない』ってもっと早く言ってくれれば、その分事件も早く解決しただろうに」
文は、慎に意志のこもった視線を送る。
「ん? 『あんたの能力ならそれくらい読み取れたんじゃないの?』だって? いやいや、そりゃ無理だ。俺が読むのは思考――つまりそいつが今現在考えてることだからな。心の内を完璧に読めるわけじゃねーよ」
それだけ聞くと、文は本へと目を戻した。
「よし、説明も済んだことだし、俺はもう寝るぞ」
慎は先程と同じ体勢で、睡眠を迎え入れようとした。
「……ところで……」
また、声が耳に届く。
「……用があるなら一回で済ませてくれよ……」
慎は机に顔をつけた姿勢のまま横目で文を見やり、そして思考を読み――
愕然とした。
「ヤベー! 宿題!!」
跳ね起きた。
提出しないと特別補習となる例の宿題のことを、すっかり忘れていた。
「なんでもっと早く言わねーんだよ! ――え!? 『面白そうだったから』? ――ふざけんなコノヤロー!」
大急ぎで、鞄からプリントと筆記用具を取り出す。
「マズイ! まさに絶体絶命って言葉がしっくりくるシチュエーションだぜ! ――何? 『死にはしない』? いや、死ぬわ!! 言ってなかったか!? 補習の担当、あの生徒指導の鬼教師、河原木だぞ!? プレッシャーに殺されるわ!」
鬼の河原木――「鬼」と「かわら」で、通称「鬼瓦」である。
騒ぎながらもペンを取り、問題を解き始める。
「あーくそっ! 時間ねー! 頼む文!! ジュース奢るから助けてくれ! え!? 『面白いからやめとく』!? ――この人でなしがー!!」
それから慎は、協力してくれない文に悪態をつき続けた。口は達者に動かしながらも、その目では数式を追い続けるしかないので、悪態をつかれた文がどんな顔をしているかなんて、慎の気にするところではなかった。
だから、文の口元が、かすかな笑みを浮かべているのにも気づかないままだった。
文が感情を表に出すことは滅多にない。それでも文は、こんなドタバタな日常を――慎と過ごすこの時間を、表情に出す程に楽しいと思っていた。
それは、微笑と呼ぶにもあまりに微細過ぎる笑みだった。
八百万探偵部。営業中。
どんな依頼も承ります。




